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8月6日のこと

 広島に原爆が投下されてから、58年目を迎えた。投下されたその日、私は海軍航空隊第105飛行隊の要務士として、現在の米子空港にいたが、そこでは彗星という艦爆機による特攻訓練が行われていた。
 要務というのは操縦士、つまり特攻要員の管理をするのが仕事、事務職みたいなものであったが、毎日航空管制室に入って、訓練をする人たちの記録を作ったり、受けた無線通信をみたり、雑用をするのが日課であった。この日も天気はよく予定通りの訓練が行われる筈であった。
 我々が一番気を使う情報は米軍艦載機の動きであった。この米子にも時々艦載機が飛来して来て、ロケット弾を落とすことがあった。敵機は頭の真上に飛んできてそこから真下の空港を目掛けて突っ込んでくる、それを見た操縦士の一人が「あの角度で降下すれば日本の航空機は反転できずにその侭地面に突っ込んでしまう」と教えてくれたのに驚いたことを覚えている。
 この日何時ものように朝から無線通信を聞いていたところ、突然その声が聞こえなくなり、しばらくすると雑音の中から小さな声をやっと聞くことができるようになった。何故通信が突然そのようになったのか、さっぱりわからなかったが、聞こえなくなったその時に広島では原爆が投下されていたのである。米子には広島を経由して通信が送られていたようで、それがなくなってどこから中継になったか判らない侭に、雑音の多い通信になってしまった。やがてその声の中から「広島に特殊爆弾が投下された」ことが判ったが、それが原子爆弾であることは知らなかった。
 その日から最早58年、被爆者の平均年齢は71歳を超えている由で、もう風化されても可笑しくない時間が経過している。しかし、秋葉広島市長の平和宣言は、例年にないきびしい内容であったと思う。「ブッシュ大統領、北朝鮮の金総書記をはじめとして、核兵器保有国のリーダーたちが広島を訪れ、核戦争の現実を直視するよう強く求めます」とまで言い切った。イラク戦争、イスラエル紛争などが、核の問題を改めて世界の人たちの注目を集めた、そのような環境の中で市長はブッシュ大統領を非難していると思われる言葉を述べたのである。その席に参列していた小泉総理はどんな気持ちでこれを聞いていただろうか。そのあとの首相挨拶は何か通り一遍の内容であったし、元気のない声に聞こえた。市長は「この原爆を投下したのはアメリカで、この一発で今日までに23万人余りの犠牲者が出ている」そのことを、言いたかったのではないかとさえ思った。
 正直の気持ちとしては、58年も昔のことで、何時まで広島、長崎でこのような式典を続ける積もりなのだろうか、と思っていた。しかし58年目の「原爆の日」は風化されるどころか、反対にクローズアップされたように思えた。それは世界で核開発が相変わらず行われていること、それも北朝鮮までがそれに加わっていること、などが我が国は勿論、世界の関心が高くなったことに因るのだろう。核爆弾は人類の絶滅に繋がることを世界中の人が認識しているのに、これを止められないのは、何故だろう。人間の弱さなのだろうか。   
(2003.08.06)

 追記・・秋葉市長が印度、パキスタンを訪れて、核廃絶を訴えたというニュースをNHKでみた。一般の都市の市長だったらその国の元首や首相に会うことは難しいだろうが、広島市長だと外務大臣に会って核問題を話している。広島が被爆都市であることは世界に知られているが、その市長が世界からの核廃絶に向けて行動していることを、私は高く評価している。
(2003.10.22.)