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傘寿のお祝い

今夕は私の傘寿、家内の喜寿をお祝いして頂き心から感謝申し上げます。

 今から10年前の平成6年に古希の祝いを、私たち夫婦が媒酌しました方たちでして頂きました。もともとこのような会は老人になったことを証明されているような気持ちでお断りしていましたが、ご承知のように平成3年秋に胃癌の手術を受けて、この先どうなるの判らないこともあって、古希のお祝いをお受けすることにしました。しかし運が強いというのでしょうか、未だに命を長らえており、この度のお祝いは素直な気持ちでお受けいたしました。

青山の山岳部の歴史が偶然私の生きてきた時間と殆ど同じなのです。これも何かの縁なのでしょうか。

 私が山岳部の部室を訪れたのは昭和16年、1941年、もう60年もの昔ですが、その時の自分の姿がまだ見えるのです。その日から山岳部と私との絆ができました。お世話を頂いた先輩、坂岡さん、福島さん、小島さん、小倉さん、平野さん、立花さん、原田さん、大倉さん、佐野さん、佐伯さん、笹井さん、丸野さん、外山さん、田山さん、後藤さん、山口さん、滝沢さん、安達さん、黒岩吾一さん、もう随分の方たちは亡くなってしまいました。

 戦後にOB会の建て直しに苦労したこと、学院創立100年の時にヒマラヤ遠征をしたこと、もうそれも25年前の話しになってしまい、考えてみれば現役の諸君がまだ生まれていない時なのです。

 その山岳部OBの方たちからお祝い頂く事は嬉しいとともに光栄であり、本当に感謝いたします。

 年齢とともにくる体力の衰えは、如何ともし難いことで、フラットなゴルフ場で歩いても疲れてしまいます。あずさヒュッテにも、上高地の慰霊祭にも行きたいとの思いだけはあります。しかしあの慰霊碑まで辿りつけるのか、あの場所に決めたのは私と鈴木敏夫君ですが、そのときは80歳になっても大丈夫かなどとは考えていませんでした。今になればもっと明神に近いところを探せばよかったと思いますが後の祭りです。

OB諸君も次第に歳をとっていくのですから、80歳でも大丈夫だよ、の手本を示さなければならない筈です。私の所属しているゴルフ倶楽部では、90歳でカートを使わずにプレーされている方がおられます。そのお話を伺うと、まず気力、その気持ちがあれば続けられる、とのことでした。「もう山は駄目」と思ったら本当に駄目になるのでしょう。その手本を皆さんにお見せすることが、私の努めなのかも知れません

 今後とも、本当に長老と呼ばれる立場になりましたが、私はそれに甘んじることなく、まず皆さんの前に顔をだし、自分の出来る範囲でOB会に協力いたしますので、よろしくお願いいたします。今夕は有難うございました。

(2004.3.20)