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1500キロ列車の旅

 10年前に古希を迎えた時、B&Bの皆さんから旅行券のお祝いを頂いて、それで夫婦で山陰の旅に行った。松江を中心にまず観光し、小泉八雲を偲び、出雲大社に詣で、宍道湖畔の皆美館で一泊、そして大山、私が終戦を迎えた米子にまわり、そこから空路で帰った。それから10年の歳月が流れたが、今度は私の傘寿と家内の喜寿を記念して旅することにし、裏日本を大阪から札幌まで21時間あまりをかけて走る寝台特急「トワエライト」に乗ることを思いついた。旅行案内所に相談したら、予約は1ヶ月前、しかし希望の日が取れることは奇跡に近いと言われた。そこで希望日を4日つくって頼んだところ、1日目は駄目、2日目も駄目との連絡があり、半ば諦めたところ、4日目のA室は駄目だがB室ならとの連絡があり、それに決めたのである。ツインのスイートはこの列車には2部屋しかないのだから駄目でも仕方ないが、因みにこのスイートを使っての料金は、乗車券、特急券、寝台券を含めて一人44.810円である。

 しかし幸いB室でも取れたので、その日の朝新幹線で京都に行き、ここでトワイライトに乗り込んだ。懐かしい電気機関車が引っ張って走る9両編成、特急並に走るから殆ど停車はしない。

 ここでTWILIGHT EXPRESS の説明をしておくと、この列車は運転開始から今年で15年になり1日の走行距離は1.495km,恐らく日本で一番長い距離を走る列車ではないかと思う。この年齢だから疲れることは覚悟の上であったが、気がかりは夕食と睡眠、

 その夕食は予約制で洋食12.000円、和食6.000円とのことで、正直この値段には驚いたが、和食にした。ところが和食は各部屋に届けるとのことで、食堂車に行く機会を失ってしまったが、会席御膳と称する二段重ねの内容は、鮎の塩焼き、鱧ちり、生うに、あわび、鴨の照り焼き、などなどにお汁もついている。量も年寄り向けであったし、ゆっくり食べられたことは何よりであった。

 9時ころになると何もすることもないので、ベッドをつくり、私は上段を使うことにして横になってみると狭いながらも何とかなるスペース、しかし走っている列車のことだから本当に眠れるか心配であったがゴトンゴトンが眠りを誘ってくれたのか眠ってしまった。夜中に何度か目を覚ましたが、翌朝6時には外が明るくなっていたので起き出した。もう北海道に入っていた。

 起きてはみたが、朝食は予約が出来なかったので食堂車には行けない、つまり札幌までお預けなのである。だからぼんやりと外を眺めているしかないのだが、気が付いてみると列車は草原や森の中を走っていて、建物を見ることがない時間が多くなっていた。言葉を代えれば緑の中を走っているのである。この日も好天に恵まれたから、朝日に輝く緑に新鮮さに目を奪われた。昭和新山が眺められたが、鉄道にこんなに近いとは思ってもいなかった。

 トワイライトは定刻の9時過ぎに札幌に到着した。矢張り大都市である。駅には人が溢れ各方面に列車が出発していく。この駅も駅舎にデパートが入るなど改築したようで、綺麗であったが広すぎる感じがした。時間が中途半端であったが、とにかく予約した札幌プリンスホテルに行き、その日をどうするかを考えることにした。

 有難いことにチェックイン前であったが、部屋を使わせて貰えることになり荷物を運び込んだが、このホテルは4月に改築が完成し28階建て、その20階の部屋であったので街の全体が見えると思ったのだが、この程度の建物は幾つもあり、私が考えていた以上に札幌は大都市なのであった。昼近くになったので降りていき、「さっぽろラーメン」をとホテルの中華の店に入って注文したが、果たして本物かどうかは判らなかったが、美味しかった。

 午後はホテルの世話で観光のためのタクシーを頼んだ。しかし時計台とかポプラ並木は要らないから市街を見渡せるところ、と注文した。そこで最初に行ったのが大倉山シャンツェ、周囲の景色の所為かそこに着いた時は小さくみえたが、足を運んでジャンプ台に近づくと先ずその高さに圧倒された。また大倉山はその土地の名ではなく、昔の大倉男爵がこれを作ったことからの由、リフトもあり立派な観光地で誰でもスタート地点に行ける。しかも雪がなくても水を撒けば滑れるので、練習に使われているそうである。

 次に回ったのが藻岩山、ガイド兼務の運転手によるとここが札幌全体を見下ろせる唯一のところだという。標高も500メートル余りあり、この日は台風が通過した後であったことが幸いして、遥か先の山並みも綺麗に見ることが出来た。しかしとにかく一目で市街を見ることができる、東京や大阪ではとても考えられないこと、それは市街地に隣接する街がなく、市街の外側は草原か森なのである。(続き) 
(2004.7.15)