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2005年を迎える  

 今年は新年を東京プリンスホテルで迎えた。大晦日の午後の大雪の最中にホテルに入って2泊3日であったが、このホテルは私の所属している東京芝ロータリークラブの例会が行われているから、毎週行く所なので、それなりの馴染みや愛着があり、私にとって気分的には楽であった。  
 新年を都内のホテルで迎えることが何時から始まったかは知らないが、食事の時などに見渡すと年輩者が圧倒的、車椅子を利用している人も少なくない。偶々地方の方らしいロータリアンが居られたので話をしたら「毎年来ていますが、これは家族サービスなのですよ」と何気なく言われ、滋賀県の近江八幡から来られたとか。地方の正月の煩わしさから逃れてかとも思ったが、それも判る気がした。  
 ホテルでのプログラムは、31日夜のイヤーエンドショーから始まり、年越しそば、カウントダウンパーティと続き、元旦は新年のおせち料理を頂きながら、長唄の演奏、夜はディナーショーと新春寄席、そして暇な時間には隣の増上寺、近くの芝大神宮とお参りにも行ける。疲れれば部屋で寝ることもできると結構づくめなのである。ショーでよかったのは中国の二胡という楽器演奏、二弦で胡弓に近い音色だが、それで西洋音楽も演奏するし、冬のソナタのテーマを奏でたりする。これには吃驚した。寄席は林家こぶ平が立派につとめ、3月には正蔵を襲名するという。とにかく朝から深夜までここで紹介し切れないプログラムが一杯あって、睡眠不足になりそうなくらい、結構楽しかった。

 今年は80歳になったし、仕事から離れたのだから、との考えで年賀状をご遠慮申し上げたが、家に帰ると頂いた年賀状がどんと積まれていた。「しまった」と思っても後の祭り、早速賀状の御礼を書いて、それを孫にパソコンでプリントして貰った。これからその宛名書きをするのだが、頂いた賀状は印刷されたものに添書が多く、それも殆どが健康を案じてくださり、これからもどうか元気で、とのお励ましであった。これは嬉しかったので、礼状には「これからも出来る限り皆様のお役に立ちたいと念じている」と書いた。このホームページを読んで頂いている皆様、これからもどうかよろしくお願い申し上げます。

  しかしこの新年のニュースは、スマトラ島沖で起きた津波に襲われて亡くなった人々が、何と12万人を超えたという悲しいもの、この救済どうするかを相談するため各国首脳が集るという。この津波のことは別項でも触れたが、大変な災害になってしまったことは全く残念である。
(2005.01.03)