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 81歳の感想

 歳をとると日のたつのが早いというが、昨年傘寿になったとき家族や親戚の人たちからお祝いをされたり、ロータリーのガバナーまでからお祝いを頂戴したりして、1年たってしまった。これらは有難いこととして感謝したが、思わぬ余得もあった。それはロータリークラブ、ゴルフ倶楽部ともに年会費が半分になったこと、このような規約がどちらにもあるとは全く知らなかったが、これは「貴方は老人になったのですよ」と言われているようで、その有難さは半分というところだろうか。私のいる東京芝ロータリークラブの会員は約90名であるが、私は7番目の年長者、まだ年上の方が6人おられるから、最年長になる日はまだ先であるが、この日を迎えたら私はがっくりすることだろう。

 若い方はご存知ないだろうが、70歳以上になると自動車の運転免許更新の都度、教習所に行って目などの検査を受けたり、講義を聴いたり、実地に運転したりの検定を受けて、証明書を貰わなくてはならない。私はこの検定は3度目であったので、気楽に話しを聞いたりしていたが、一つ憶えていることは、現在免許証を持っている最高齢は、九州の田舎に住んでいる男性で100歳を超えているという。本当に運転をされているのかと思ったりしたが、この話をある人に話したら「貴方はまだ運転しているのですか」と逆襲されてしまった。第三者の目からみると、私は最早運転をやめなければならない年齢らしい。

 私の入っている霞ヶ関カンツリー倶楽部には干支の会があって、私は子年の会に入っているのだが、私の入った時にはふた周り年長の方がいらした。それが今日では我々が最年長になり、24歳も若い人と回る事になってしまっている。若い人と回ってよく言われることは「お元気ですね」はお世辞としても「あと24年たっても私はゴルフを続けられるでしょうか」とのこと。彼等にとって24年という歳月は遥か先との感覚なのであろう。こう訊かれると「大丈夫、私が生きてきたから」ということにしている。生きてきた者が勝ちというわけではないが、この言葉を聞くと「長生きしていることを誇れる生き方を」を心掛けなければと思う。

年が改まって2ヶ月半になるが、今年は寒い日が続いたからだろうか、お葬式に行くことが多い。周囲の人たちの年齢も高くなっているのだから、当然なのかも知れないが、長く付き合っていただいた方たちばかり、思い出は多いし、その寂しさも特別である。青山の校友会とロータリークラブでともに一緒であった賑やかな佐古田君、仕事上で知り合ってすっかり気が合い、霞のメンバーにもなった、面倒見のよかった松本晃君、霞の二友会の会計を一手に引き受けてくださった杉山英男君、私が霞に入会以来のお付き合いで倶楽部の理事長まで勤めた高井研次君、これらの人たちが今年になって相次いで不帰の人とになった。この誰方も私より若い。葬儀に飾られた写真に向って「何故君は足しより先に逝ったのか。歳の順序を忘れるな」と言いたくなった。この人たちは霞の将来に大切と考えていたから、知らせを耳にした時には大変なショックを受けた、辛かった。こんな思いをもうしたくないと願ってみても、こればかりはどうにもならない。

 誕生日のこの日、雨の中を高井君の葬儀に出掛けて帰ってきたが、やはり気分は何となくすぐれなかった。家には子供たちからお祝いのケーキが届いており、夕食に家内は赤飯を用意してくれた。古希とか傘寿という切り目ではなかったけれど、矢張り嬉しかった。そしてお蔭で気分まで和らいできた。80歳を超えてのこの1年に何か違ったものを感じている。それがなにかよく判らないけれど、私としては80歳に拘らずに、今までとおり自分らしくすごせばよい、と思う。これが本音であろう。

(2005,3.17.)