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松尾努君を悼む

 この4月に入って松尾努夫人から封書が届いた。封を開ける前から何か嫌な気がした。がそれを一読してもっと驚いた。その全文をここにご紹介しよう。  

 拝啓。この処しばらくご無沙汰致してりましたが、私 松尾努、去る平成17年3月16日、安らかに天寿を全う、阿弥陀さまに抱かれてお浄土に帰りました。  
 大正12年7月28日。、父長造、母寿貞子に命を受けて以来、これまで貴方様始め、数多くの方々のご厚情、お導きにより、非常に楽しく、何一つ苦労もなく一生を過ごして参ることができましたことを、心より厚く御礼申し上げます。  
 大学卒業後すぐ飛び込んだ報道界でのサラリーマン生活も、定年まで楽しく勤め、還暦後は趣味の乗馬やロング・ドライブなど好きことを思う存分楽しんで、毎日を明るく過ごせ心残りは全く御座いません。私は昭和58年に還暦を迎えました折、近親者に私の葬儀は行わないよう申し伝えておりました。また遺体は54歳の時、胃潰瘍手術で世話になり、学友も多数在籍していた東京慈恵会医科大学にかねてより手続きを終えていた「献体」といたしました。このご挨拶がお手元に届きました頃は、遺体は解剖学教室に移され、およそ1年間、医学向上の資に供されている手筈で御座います。という次第で葬儀の諸行事は致しませんし、私の遺志でも御座いますので、生花、お供え、固くご辞退申し上げます。遺骨は、医学のお役目を果たしました後、郷里長崎市玉園町永昌寺の当家墓所に納骨の予定で御座います。  何百年後、極楽亭か賽の河原の露葉にて、お目にかかるやも知れませんが、皆様長生きされて、天寿を全うされますように、お祈り致して居ります。  
 では、生前のご厚誼への御礼、旅立ちに際してのご挨拶、生前認めて置きましたもの、送らせて頂きます。                     
                                  敬具


 読んでまずこれは、本当に松尾君が生前に書いたのだのだろうか、を思った。
最後に「生前認めて置きましたもの」とある、彼ならこうした洒落たことをし兼ねないと思う反面、ジャーナリストを長く勤めた人がこんな言葉、一つ取り上げると「御座います」を使うだろうか、とも思った。がそのことを詮索することはやめ、ここにあるとおり、ご本人が書いたものと信ずることにした。が松尾君について知らなかった一面を知ったことは確かである。彼はよく二五会報のことで私の会社に訪ねてきてくれたが、ここにあるようなことは一言も聴いたことはなかった。  
 同級生がまた一人亡くなった。この年齢になるとこれが一番淋しいし悲しい。
唯ひたすらにご冥福を祈るだけである。
(2005.5)