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妻の入院  

 これは全く予期しない出来事であった。もっともこんな事が何時も起きては困るけれど人生には突然何かが起こることがあるのだ。  

 3月29日、私が60年もの間友人として、また仲間として大切な人であった川崎亘君が亡くなり、この日がお通夜であった。しかし昼は予約してあったのでオペラシティに行って妻と「花咲く港」を見に行き、その後私はお通夜に、妻はこの芝居を共に見た友人と夕食の約束があったので別れた。お通夜は故人の友人知人が沢山集り、彼を偲ぶのに相応しいひと時を送った。この席に弟も来ていて、「久し振りに姉さんに会っていく」とのことで帰りは我が家まで一緒した。が妻はまだ帰っていなかった。  

 しばらくしてタクシーが止まったので「帰ってきた」と思ったが、なかなか家に入って来ない、そしたら孫のふみが「ママチャンが車から降りられない」という。私は立ち上がったが、医者の弟はさっと立って様子を見に行った。妻は何とか車から降りようとするのだが、痛いのであろう動けない、そこで孫の悠の力を借りたががどうにもならない、そこで止む無く救急車をお願いすることにした。  

 救急車は5分で来てくれた。救急員の人たちは流石に慣れたもので、忽ち妻を寝台のくるまに移したが、一人の人は直ぐに「これは骨折」と言った。そこでその侭その救急車で幡ヶ谷のクロス病院に運ばれることになり、弟も同乗してくれた。後で聞くとこの日の当直が整形外科の医師だったこと、それに弟が付いて行ってくれたので緊急の手当てをして貰うことができた。これは不幸中の幸いであった。救急員が言った通り大腿骨が骨折しており、手術を早くすることが大切との診断、これに弟も全く同意見だったので、そのように決まり、手術日は31日となつた。  

 この日妻は家の前まで帰ってきたけれど、その侭病院に運ばれたのだから、本人も不本意であったろうが、周りの我々には思わざることになってしまった。幸い娘2人が我が家の両隣に住んでいるので、このような突然の災いにどれだけ援けになったことか、私にとっては有難い極みであった。  

 手術は担当の医師が「骨も頭もしっかりされていたので」と言ったほど順調に終り、1日置いて直ぐリハビリが始められた。本人はまだ痛みがあるし、手術を受けた足で立つことは怖かっただろうが、病院だから医師が時間もどのようなリハビリをするかを決め、そしてその時間がくれば看護婦がリハビリ室に連れていく、それは患者の意思とは関係なく行われる。そのお蔭かどうか10日ほどたつと車椅子に座って食事をするようになり、ベッドに寝た侭という姿ではなくなった。唯リハビリが何時まで続けられるのか、これは回復とともに、本人の努力に負うところも多いから、我々には全く見当はつかなかった。  

 家での生活は私一人になった。娘二人は共に隣にいるけれど、毎日の病院通いをしてくれているし、それに夫々が家庭をもっているから、私にまで十分に手が回るはずがない。ということは、生活を一人で何とかしなければならない状況になってしまった。先ず3度の食事、今までは家内の作ったのを食べることであったのが、何を食べるか、栄養のバランスはこれでいいのかを考えての買い物、それでこの量で多いのか、少ないのかの判断、料理の手間はどのくらい掛かるのか、焼いたり煮たりは面倒なので電子レンジに頼ろうとするから、それで自然と食事の対象範囲が狭くなる。しかしストアに行ってみると簡単なお菜から酢の物、白和え、煮物などがよく揃っているのに驚いた。が食べて「これは美味しかった」と期待していた味にぶつかることはまずなかった。妻の味付けに私は慣れきってしまっていたことになる。 その上食べ終わったら食器を洗い戸棚に戻す仕事がある。がこれは綺麗に洗い上げる自信がなかったので、娘に勧められて早速皿洗い器を買った。実によくできていて、中に整理して並べれば洗って、すすいで、乾燥までしてくれる。これで一つの問題は解決した。  

 次は洗濯、これも洗濯機を使えば簡単と思っていた。確かに機械を使えば洗うことは出来たが、洗ったものは干さなくてはならない、乾いたら取り込まなくてはならない、そして最後にそれを畳んで決まったところに整理しなくてはならない。これらを機械はしてくれない。がこれが意外と時間が掛かるのである。  

 掃除がある。これは身辺を綺麗にする程度がやっと。部屋の掃除は以前から外にお願いしていたので、それを今まで通り続けて貰うことにした。掃除というのはやはりコツがあるのだろう、来て貰った後はなんとなく居心地かよくなる。これはどうも私では無理と思う。  

 まだある。それはゴミの処理、焼却するゴミ、資源ゴミ、生ゴミと分けておき、それを集めに来る日に決められた場所に置く。ゴミをどのように分別するかさえ判らないから、これは娘に頼んだ。間違えて分別したら持って行って貰えないというのだから、どうにも出来ないと悟った。  

 もう一つ挙げれば猫である。もう10年以上も前に孫が拾ってきたのを、我が家で飼うことになったのだが、いまや6キロはあろうという雌の大猫である。しかしこう長く飼っていると矢張り可愛い、妻がしばらく居ないことも感じているらしく、空腹になれば、外に行きたくなれば、そして抱いて欲しくなれば鳴くのだが、一人になったお陰で彼女が何を訴えているのか少し判るようになった。  

 妻の入院のお蔭で思いもよらない経験をする羽目になった。これが意外と疲れるのには正直驚いている。何れ妻は退院してくるのだが、さて我が家はどのような生活になるのか、それが怖くもあり、楽しみでもある。
(2005.4.15)  

 30日に退院が決まった。医師に感心される程の回復ぶりであったし、連休に入ればリハビリも休みになるとのことで、主治医の許しもあって急にこの日に決まった。それで家での生活を過ごし易いように、取り合えずトイレに手すりを取り付けることにした。介護保険の適用を受けられることで、専門業者に依頼したら、退院に間に合うよう手配して貰えた。これは有難いことであったし、その上20万円まではこの工事費の9割は介護保険で賄って貰える。この保険料を夫婦とも納めていることは承知していたが、その恩恵を受けるとは、予想もしていなかったことである。退院した跡に必要な工事は浴場、階段などであろうが、それは追々この恩恵でお願いすることにしている。
(2005.4.29)  

 退院して1ケ月たつと、家の中でも杖は使っているけれど、台所の仕事は、それも立った侭で殆どできるようになった。そうなると買い物をする気持ちにもなり、車でストアまで連れていけば、ゆっくりながら店の中を歩き回って品物を選んで籠に入れていく。これが結果としては何よりのリハビリで、そのお蔭か杖に頼る力が小さくなり、階段を上るのも早くなり、屈むことも出来るようになってきた。本人にとって一番怖いのは、転ぶことらしい。これは実は私にとっても同じなのだが、骨折した妻はもう二度との気持ちは強いだろう。だから無理はして欲しくないし、させたくもない。この回復は薬石に頼れないから、時間をかける他はなく、本人の気持ちと努力に待つほかはない。7月に入ればきっともっと楽に歩けるようになっているだろう。家内が元気になることは、そのまま以前の生活に戻ることであるのだが、旅行したり、会合に行ったりするにはまだ時間は必要であろう。けれども妻は私が予想していたよりも早く回復しているのに驚いている。有難いことである。
(2005.6.9)