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82歳に思う  

 今日3月17日で82歳になった。毎年一つづつ歳を重ねるのは当たり前のこと,と今までは考えてきたのだが、時とともに体力は落ちる、忘れっぽくなる、息切れはする、目が見えなくなる、などが現実の悩みになっている。だから手放しに齢を重ねたことを喜べないが、過去に結核も患った、癌にも侵されたことを思うと、なんとよくこの日まで生き続けられたものとの思う。神に感謝しなければならない。  

 昨年のこの日にもこのホームページに書いたが、読み直すと亡くなった方のことが主になっていた。自分より若い人が多かったので尚更心に残ったのであろう。それらの方たちの葬儀に行ってからもう1年経ったのか、自分のことばかり考えてしまうが、ご遺族の皆様お変わりないだろうか。芝ロータリークラブの古いメンバーであった郷良太郎氏が亡くなりそのお通夜に行ったけれど、親しかった方たちが次第に少なくなることに、この日も淋しく思った。  

 今年で大正生まれの人は全て80歳以上になる。「大正は遠くなりにけり」と言われる時代になったのだが、反面過去の人として時代から取り残されつつあると感ずることもしばしばである。身近な例を挙げれば携帯電話、子供も孫もそれぞれが持っているけれど、私たちはどうしても求める気にはなれない。しかし現代の生活の中で携帯電話は、最早常識と言わなければならない。それはよく判っているのだが、それでも持とうしないのが年齢の所為なのである。

 曾孫がいるかいないか、が我々の間では話題になる。同年齢の女性ならおられて当たり前だが、幸か不幸かまだ私には曾孫はいない。けれど、生まれればさぞ可愛いことであろう。孫が生まれた時の喜びとは、また違った嬉しさを味わうことだろうと思うけれど、しかしそれは自分の子供が「おばあさん」になったことなのだから、複雑で手放しには喜べない気もする。子供は幾つになっても子供なのだ。  

 時々若い人から「お元気ですね、まだ5年や10年は大丈夫でしょう」と真面目な顔をして言われると、答えに窮する。勿論わが人生は終ったという気はないけれど、今の日本の社会をみていると、余りにも事件が多すぎる。ライブドアのホリエモン、防衛施設庁の談合、建築設計での偽装、民主党のガセネタと数え切れないが、よく考えればこれらは皆自分の利益を考えてのこと、そこにはモラルがない。日本人が情けなく見えてきたのである。これに加えて幼い子供が殺される事件が起こるし、中高生が殺人を犯す、まだ日本にはテロがないから幸せという者もいるが、これから長く生きても、世相の暗い面ばかり見せられるのならば、そろそろ観念した方が良いのではないかと、思ったりする。  

 次に気なになっていることは、体重が落ち放しのこと、食べればいいのだろうが胃のない悲しさ、食べられない。偶に男の孫と食事するとその食べる量には吃驚するが、頼もしくも思う。だから体力はなくなるし、スタミナも続かなくなる。これがゴルフに影響しないわけはないないのだが、最近では身体を使わない仕事、例えばこのHPを書いても疲れ、1時間書けば一服することにしている。そうした心がけも少しでも長く生きていこうとするためである。  

 あと何年が自分の寿命かこれは判らない。判らないから生きていられるのだが、いま思っていることは一人でも多くの仲間、友達を大切にしよう、ということだ。青山学院、ロータリークラブ、霞ヶ関CCと私は恵まれた環境にいることに感謝しなければならない。  

 今年の誕生日は風は強かったが好天、、我が家の白梅は満開であった。 (2006.3.17)