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検査入院  

 昨年の3月渋谷区が行っている高齢者のための検診を受けたところ、一度病院で前立腺の精密検査を受けるように言われた。このことを同年輩の仲間に話したら、我々の年齢なら誰もが言われるし、また余り気にすることはない、との答。私には始めてのことであったが、自覚症状もないし毎日の生活に支障があるわけでなし、その侭にしていた。ところが1年たった今年3月の検診でまた同じことを言われ、検診の先生が紹介状を書いてくれ、東京医大病院に行くことになってしまった。予約も取れて診察を受け、その診察結果が1週間後に出たら、「要精密検査」とのことで、1日入院をするように言われた。3月に検診を受けてからここに来るまで1ケ月半も掛かっている。それから推察すると、前立腺の病気は余り命には関わらないように思えてきたが、医師が心配しているのは、言葉には出ないが、それが癌性かどうかだけのように思える。

 精密検査のため5月12日の朝病院に、10時までにと言われていたのでその時間に行ったが、この日は前立腺の組織を取るとのこと、それが行われたのはなんと3時半、それまでは病室で看護婦さんが呼びに来るのを待っているだけ、タバコは吸えないし、ひたすらじっと我慢をしていた。診察室での組織の採取は30分ほどで終ったが、この採取を行うとその後出血があるとかで、その予防のための点滴があり、左腕に注射針を挿された。その状態の侭病室にもどり、この針が抜かれたのは8時半であったから、4時間は自由に動くことも出来ないし、夕食も食べた気がしない。考えてみると、この点滴のために入院させられたようなもので、この組織の採取とその後の処置が重要なのであった。

 翌日朝に退院、その時看護婦から「トマトジュースのような尿が続いたら、24時間何時でも病院に来るように」と言われた。家に帰ってトイレに行くと尿に血は混じっていたが、トマトジュースほどではないので、経過をみることにしたが、退院4日後に血尿は全くなくなった。これで検査入院は無事に終ったことになったが、後は組織の検査結果を待つだけになった。それは1週間後の23日に判る。 (200(2006.5.15)    

 23日に病院に出掛けた。この日までさんざ考えて、癌と言われても手術は受けない、と心に決めたので、その結果を恐れることはなくなっていた。果たせるかな検査入院の結果は、前立腺ガンであった。が「では手術を」と言われると思っていたら、年齢を考えて手術は避け、内服薬を明日から飲むようにと処方箋が渡された。がそれはそれで身体の状態を調べるための診察をうけなければならないが、まぁ手術を免れたことでよし、としなければならない。

 では現在の身体はどうか、自分なりに考えると、体力は無くなっているし、食べる量が減っている。それが年齢の所為なのか、胃袋を持たない者の宿命のか、これが判らないのである。しかしこの日医師からガン性と言われたときは、矢張りショックだった。一生の内に2度も宣告されるとは、これが私の運であったと思うより他はない。今度は手術がないから薬とガンが身体の中で戦うことになる。これが長い戦いであることを覚悟しなければならないが、それが1日も長いことを願う。
(2006.5.23)

 HPに自分の病気も書いておきたいと単純に考えて、今度の検査入院について記したのだが、第三者の方にはこれが「またガンになりました」とのお知らせに思われるようだ、確かにその通りには違いはないけれど、医師からの話は緊急の手術は必要はないし、ともかく内服薬を飲んで経過をみましょう、であったから私にすればほっとした気持ちになった。つまりこの病気で俄かに命が縮むことはない、と私は理解したから、軽い気持ちで書いたわけで、もしご心配頂いた方があれば申し訳ないことをしてしまった。ここにお詫びと感謝を申し上げる。

(2006.5.25.)