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淡島ホテル

 この名前のホテルをご存知の方は何人おられるか。勿論私も全く知らなかった。唯1人霞ヶ関CCの降旗君が知っていたが、「そこは兎に角食事が高い。しかし外で食べたいと思っても船に乗らなければならない」と言っていたが、その時これがどういうことなのか、想像もつかなかった。

 淡島は沼津市の郊外から300メートルほど離れた無人の小島、その周囲は2.5キロ、広さは5万坪で、そこに建てられたのが淡島ホテルである。以下にいろいろと書くことを読んでいただければ、次第に判って下さると思うが、静かで、ルームは全室スイート、12歳以下の子供は泊まれないという、このホテル独特のルールがあるからか、行ってみると何か落ちついたムードを感ずる。  

 私たち夫婦が行こうと思った動機は、このホテルから勧誘の手紙を貰ったからであるが、今までこのような誘いに乗つたことはなかった。なのに私は沼津沖にある小さな島ならきっと富士山か素晴らしいに違いない、その一言で行くことが決まった。そして多分暇であろう12月4日(月)に1泊と決め、行きは小田急の「あさぎり」を利用することにしてその予約もした。

 いよいよその当日、この日の静岡県東部の天気予報は、気温は低いが晴れ、これなら期待通りに富士は見えると思いながら車上の人となった。丁度2時間で沼津に着き、タクシーに乗って「淡島」と告げると直ぐ走り出し、街をやがて離れる。運転手が車の左手にある山並みを「沼津アルプス」と呼ばれていると言う。それはこの尾根を南から北への縦走道は、富士山を眺めながら歩く絶好のルートだそうで、シーズンには結構賑わうという。日本人何方も富士山がお好きなのだ。

 「はい,着きました」と言われて降りたところは、ホテルに行く舟に乗る処だったが、そこで迎え荷物を持ってくれたボーイさんは「鈴木さまですか」という。これには吃驚した。お客が少ないから判ったと思った程だ。舟に乗っている時間は数分、みるみるホテルの建物に近付く。そしてホテルに入ったのだが、所謂フロントがない、ないから何処のホテルでも書かされる宿泊カードなどはない。係りの人が「鈴木様ですね」の言葉に頷けば,部屋の鍵が2本渡される。何か普通のホテルと違う。舟着場のボーイさんにも私たちの到着が伝えられていたのだろう。

 簡単な昼食を済ませて、決められた最上階の部屋701号室に入る。寝室、居間、バスルーム何れもゆったりとしているし、テレビは居間と寝室に夫々あるし、その上ステキなのはバスに浸かりながら窓ごしに富士山がみえること、それだけで私は気に入ってしまった。部屋の広さもさることながら、壁の色の所為か、調度家具のためか、落ち着くのである。ぼんとベッドに倒れ込んで一眠りしたくなった程だ。そんな時に電話のベルが鳴り、出るとこのホテルの案内を送ってくれた渡辺一武という係りからで挨拶に伺うと言う。こちらは暇だから「どうぞ」と答え待っていた。

 この日は富士山のあるところだけに雲があって、その全容が見られなかったが、それを渡辺氏に問うと、「明日は大丈夫」と太鼓判を押す。そんな雑談をしていると「私はこの沼津の人間なのでこのホテルに入った」という話から、この土地の出身の芹沢光治良氏と親しくして頂いたという。これには驚いた。 戦前私がまだ中学生の頃、落合の家から歩いても10分くらいの東中野に芹沢先生は住んでおられ、父の勧めでよくお尋ねしてお話を伺ったことがあり、また戦後は軽井沢で先生の別荘と私のとが真向かいだったので、夏に出掛ければお訪ねするのが恒例であった、そんなこを話しをしたら、今度は渡辺氏が驚いた。彼もよく東中野のお宅に伺ったようで、お目に掛かった部屋は私と同じ2階の書斎だった。まさに奇縁で世の中は狭いものだとつくづく思った。

 この後に温泉に行ってみた。思ったより狭かったが、偶々私一人であったので、ゆっくりと浸かることができた。この日は小さな団体、それも女性中心だったので男湯が空いていたのは幸いであった。

 夕食は和食堂「櫂」の鉄板焼をお願いしてあった。スタンドの形で料理が目の前で作られていく。これは大変美味しかった。量も年寄りに合っていたし、時間もゆっくりで楽しめた。この店は一度に8人しか座れないから、団体は入れない、私たち二人の他に老夫妻がおられただけ、その方たちと旅先の気安さからお喋りができたが、このお二人は常連の由でここの調理師ともすっかり顔見知りらしく会話されていた。

 翌日目を覚ますと早速富士山が見えるかどうか、を確かめた、恐らく五合目くらいだろうと思われる処まで白い富士が朝日に輝いている。これを見ただけでこのホテルに来た目的を果たしたようなもので、しはらくの間見詰めていたが、南側から見る富士の姿がやはり一番美しいかも知れない。

 朝食は洋風にし、バイキングだったので好きなものを食べ、久し振りにオムレツを作って貰った。これも美味しく頂いたが、飲む水が美味しい、そしてこれは当然だが空気が違う。これがよく食べられ、よく眠れる原因なのかも知れない。こうした環境の中に我々のように身体を休め、都会の煩わしさから逃れることの出来るホテル、それに富士の景観がつく、小さな島だから行くところはないけれど、2泊か3泊くらいでまた来てみたいと思った程だ。 朝食を終っても帰るには早すぎるので、島の様子でもと散歩をした。月曜の朝だから殆んど人がいない。けれど時間がくればオットセイのショーは始まる。それは何処でも見られる程度のものだろうが、僅かの見物人の一人として拍手を送ったら、調教の人が私たちの直ぐ前にオットセイを導いてくれ「触ってください」と言う。生まれて初めて触ったが短い毛が実に綺麗で、水から出て来たのに暖かく感じた。これはよい経験をさせて貰った。

 この島はよく見ると岩の山である。なのに大木といっても可笑しくない樹木に覆われている。これは気がつかなければ見逃すところだが、その岩の割れ目に可なり太い根が食い込んでいるのが見える。その木はもう何年たっているのだろうか。その生命力には目を見張った。 そしてタクシーを呼んで貰ってホテルと別れ、沼津の街でおみやげの干物などを買って駅に着いたが、驚いたことは上りの電車は三島とか熱海止まり、この沼津には新幹線の駅がないのでまるで地方並み、仕方なく乗り換えを繰り返して新宿に辿りついた。これは今後行かれる方のために書いておく。ホテルから三島まで宿泊者のためのバスがあり、それを利用して新幹線に乗るか、小田急の「あさぎり」に乗るかのようだ。 しかしこの旅はある意味では新しい経験であったし、思い出になる旅であった。

(2006.12.7.)