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山に学ぶ

 私が初めて登った山は白馬岳であった。昭和13年〈1938年)の夏だからもう 60年以上も昔のことになる。
大雪渓を登り、唐松岳へ縦走し黒部に卜って、トロッコ電車の貨車に乗ったことを覚えている。何もトレーニングなどしないで登ったのだけど、やはり若かったのだろう、皆についていくことが出来た。
これが私の「山はじめ」であるし、それから今日までなんとか言われながらも山好きな男で通ってきた。青山学院の中学部を出て、その後専門部に進み、何の躊躇もなく山岳部の部室の戸を叩いた。時に昭和16年、その時のわが国は既に戦時体制であった。
 しかし登山は質実なスポーツとして奨励されていたから、堂々と出掛けることはできたが、食料の調達と列車の確保には苦労があった。つまり私の山岳部時代は戦争の真っ只中であったが、夏山の合宿もやったし、遠くに行かれないから丹沢、奥多摩、秩父、それに忘れてはならない三つ峠などを歩き廻ったものである。当時はそれでいっぱしの登山者と自負していた 山に行く機会が少ないと、どんな小さな山でもしっかり登ろうという気持ちになる。無駄な登山はしない、これは戦時中の影響であったかも知れない。だから日帰りの沢登りに行くのも、徹底的にルートを調べ、行動計画をたて、リーダーを決め、チームの一人一人に役割を決める、という具合、更に記録をつくり、反省会もする、ということになる。しかし当時は、こんな馬鹿馬鹿しいことをという者はいなかった。むしろこれを楽しんでいたようにも思う  戦争は終わったがそれで直ぐに山に行けることにはならず、依然として食料にも列車にも苦労は続き、そして社会人になると、今度は暇がない、で自然と山から離れてしまった。
 社会に出てしばらくすると仕事の一端の責任を持たされ、それに何人かの人が配属されて、チームを組んで一つの目的に向かって励むことになった。まず企画をつくる、事前の調査をしてその可否を判断する、このような作業を繰り返しているうちに、私は何か以前にやっていたことに気付いた。「仕事の段取りは山へ行くときと同じだ」こう思ったら、仕事が楽しくなってきた。
 チームワークの仕事、これは私達が山岳部でやってきていたことなのである。企画と事前調査、それで合否を決め、OKなら行動開始となる。行動によって得た情報は絶えず報告をさせ、軌道修正をする。一仕事が終わったら反省会もした。これは登山計画をたて、その登頂に成功させるのと同じであった。「そうだ、仕事も山も同じだ。その時覚えたことをいま活かしていけばよいのだ」 実社会では教室で学んだことより山で学んだことが、より役にたったのである。
(03.08.01)