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鯉を飼う 

 私が家で「鯉を飼っている」というと大抵の人は「へえ」という顔をする。その人の頭の中では、この都会のど真ん中でなんと物好きな、それも小さなものと思っているに違いない。そこで70センチくらいになっている20匹を含めて30匹くらいと言うと吃驚されるが、どうも半信半疑のようである。そのような大きな池があるとは考えられないのであろう。

 そもそも鯉を飼い始めたのは落合にいた頃で、小さな庭に小さな池をつくって金魚を入たのだが、何だかもの足りなくなって鯉を人れた。そんな時に会社の所用で宇部を訪れ、常盤池で黄金の鯉をみて驚嘆した。その場にいた方が「東京に送れる」と言わたのでお願いした。但し条件があり、新橋の貨物駅に朝早く着くから引取りにいくこと、であった。勿論承知した。

 帰京して何日かして、明日の朝に着くとの知らせがあり、早起きして勇んで取りに行った。大きなビニール袋に10匹ほどであつたが2匹は弱ってパクパタしていたので、大急ぎで家に帰り池に放した。これが本格的に鯉を飼うことになったはじめで、大山町に引越すときに池をつくった。そこにまず水を満たし、藁を入れてコンクリートの灰汁を取るなどして、鯉も引越した。

 今度の池は大きく深いので、新しい鯉を何匹か入れたが、その中に虫がついてるのがいたらしく、何匹かが犠牲になる失敗もあった。池が大きいと元気に泳げるためか、鯉の成長が今までより早い。餌もよく食べる。こんなことから益々楽しくなってしまった。

動物と違って毎日餌をやる必要もないし、水の管理は浄水装置がしているから、気楽といえば気楽である。慣れてくると鯉の健康状態も判り、必要な薬を撒くことも覚えた。

 勿論緋鯉が主であるが、真鯉も1匹ぐらいと入れてみたら、今ではそれが一番大きくなっている。この大きさでは最早人の手では抱けないのではないかと思う。宇部から送って貰ったのも全部ではないが健在で、鯉の寿命というのは何年なのだろうか。それを考えると、つい自分の歳を考えてしまうが、将来は霞ヶ関カンツリークラブの池にでも放して貰えればと思う。余りにも大きな池に鯉は吃驚するだろうけれど。
(2003.10.15)

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 茨城県の霞ケ浦と北浦で大量に鯉が、コイへルペスウイルスによって死んだというニュースが報じられたが、こんな記事も気になる。このようなウイルスの名前を聞いたこともないから、手の打ちようはないが、まさか我家の池にまでウイルスがやってくるとは思えない。そう思いながらも毎朝起きて直ぐに池を見ている咋今である。
(2003.11.06)