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北方領土

 イラク問題や拉致事件でこの北方領土のことを何時の間にか忘れていた。先日東京芝ロータリークラブの例会で、元ロシア大使枝村純郎氏の卓話を伺って、我々はこの間簡を忘れてはならないことを再認識させられた。2月7日が北方領土の日」と聞かされ、そんな日があったのかと思うくらい私の関心も薄くなっていたのである。

 日本が戦争に敗れて、台湾、朝鮮、樺太の南半分、そして千島列島を失った。その時に当時のソ連の手に渡ったのが樺太と千島列島で、これらは昔日露戦争に勝って日本が得た領土であった。ところが敗戦でその領土がソ連に戻された時、何故か択捉、国後、色丹、歯舞が含まれてしまったのである。この4島は日露戦争以前から日本の領土、つまりもともと固有の領土であったのだから、これを日本に返して欲しいというのが、北方領土問題なのである。

「ソ連連邦はロシア連邦こなったが、この4島は日本固有の領土であり、両国間の国境をどこに引くか、については過去の交換文書に明記されている。だからロシア側もこの問題は未解決との認識を持っている」と枝村氏ははっきり言われた。述べられたその根拠の幾つかを列記してみよう。

 1993年だから今から11年前、当時の細川総理大臣と、エリツィンロシア連邦大統領の名で東京宣言が行われている。

「日本国及びロシア連邦が、全体主義の遺産を克服し、新たな国際秩序の構築のために、及び2国間関係の完全な正常化のために、国際協力の精神に基づいて協力していくべきことを決意して、以下を宣言する。」これが前文で以下が本文なっているが、その中の一部を紹介しよう。「日本国総理大臣及びロシア連邦大統領は、両国関係における困難な過去の遺産は克服されなければならないとの認識を共有し、択捉島、国後島、色丹及び歯舞鮮島の帰属に関する問題について眞剣な交渉行った。双方はこの問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の聞で合意の上、作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決することにより、平和条約を早期に締結するよう交渉を継続し、もって両国間の関係を完全に正常化すべきことに合意する」。

 またこの東京宣言の中に「1992年9月に、日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集が日露共同で発表されたこを想起する」とある。これは簡単に言えば4島が日本固有の領土であっことが歴史的に両国が認識している内容である。この資料集の抜粋が手元に

あるが、その中になんと1853年、鎖国していた日本に外国の軍艦や船が押寄せはじめた頃、ロシアも北から通商を迫って来ていたようだが、それには寄稿許可の提案とともに国境固定の要求を皇帝名の文書で提示している。それには「ロシアの領地はウルップ島南端」と明記されている。150年も昔の文書であるが、こと領地の問題となるとこの文書もモノをいうようである。

 枝村氏の話は続く。細川氏が政界で健在でないことは惜しまれるが、ムネオハウスを作って2島返還で早期解決を唱えた国会議員は一体何を考えていたのだろうか。領土をタネにした自分の財布のためであったとしたら言語道断で、彼の行為は許せないとはっきり言われた。

 プーチンの時代になり、民主国家ロシアになり、G7はG8になり、平和条約の締結に向けての話し合いはこれからも続くが、一番大切なことは国民が諦めないこと、いまはイラク、北鮮に目がむいているが、北方領土を忘れないで欲しい、と結ばれた。
(2004.03.12)