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農業の株式会社

米づくりを始めとする農業を会社組織に出来ないか、ということを考えていたが、漸く農林水産省はその実現に踏み切りそうだ。

 大体日本には農地は少ないのに、これを個人経営に頼ってきたのは徳川時代の士農工商の名残りではなかったのか。農民の保護が日本の食糧の確保になるとの考えが基本にあったからだと思う。お米の価格を国が決めそれで買い上げる、そのために日本の米価は世界的に極めて高くなった。従って当然のことだが米の輸入が始まる、これに高い関税をつける、しかし米の消費が減るから買上米が余る、すると減反政策をはじめる、こう記してみると農業政策が戦後目茶苦茶であったことが判る。こうなったのは農林官僚の責任でもあるが、農民で組織されている団体、農業協同組合にも一端の責任はある。

 このような過ちを犯したのは、食糧が商品であることを忘れていたことにある。米を国の統制下に何時までも置いていたからで、これに大きな矛盾を感じなかったのは、お米は大切なものとの日本人独特の考えであったからだろう。不思議と小泉さんもこの農業の構造改革を口にしたことがない。農村が自民党の大きな地盤であったからかも知れないが、食糧問題を軽視されては困る。食糧の確保が国の治安に大切なことは、北鮮に食糧援助を申し入れているのだから判っている筈である。

 米の生産と販売から国は一切手を引くことを提案したいのである。それが農業の株式会社化で、まず農地の所有者から土地を借り、畔道を減らして広大な田とし、作業の機械化を徹底する。田の区画が大きくなれば、それに伴い用水の管理、肥料の管理などに無駄がなくなるし、国の買上がなくなれば価格競争になり、また品質の向上確保も行われる。日本のお米が美味しいことは世界の人が知っている、それが売れないのは価格が高過ぎるからである。日本米の需要は国内はもとより海外にもある筈で、それは米の味にあり一時安いからといってカリフォルニア米が市場に出たが何時の間にか消えてしまった。これは日本人の味覚の確かさに拠るのだろう。

 自主流通米がありこれが商品となっていろいろな銘柄、コシヒカリとかアキタコマチなどがあり一部は自由化されているが、米の生産と販売は基本的には国と農協が中心になっているのを、この自主流通米の考えに拡大することである。減反政策の結果荒地になった田圃があるし、農業には後継者が少ないから労働力は足りなくなるし、抜本的な対策が求められる。聞くところでは、建設会社などが農業分野に進出することを国は考える由である。が一方においては今までの農業従事者が集まって会社を設立することも出来るということである。

 それが現実になったとき、土地所有者は土地を会社に貸すか、それともその会社の株主になるか、などになろう。が一番問題になることは、今まで農業生産者はお米を市場で売ることを知らないこと、しかしこれは会社になれば解決の道はある。だからこれからは他社に負けない安くて美味しい米を作る工夫することになろ。

 こう書くと結構づくめだが、実は出来たお米の保管と管理がある。これには新しい販売網の整理もされなければならないのだが、もしこれを専売にすれば会社化は何の意味がなくなってしまう。だから株式会社に米の生産を認めるならば、お米の販売を完全な自由化にしなければならないのである。農林水産省の官僚はここまで判っているのだろうか。この省の役人には経済産業省の持つ感覚を持たなければ、農業の株式会社化は単なる夢に終わってしまう。

(2004.8.24.)