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新潟中越地震  

 地震が発生してやがて10日になる。今度は直下型の震度7という大きなものであったが、これは阪神淡路地震に劣らぬ強さであった。被害は広範に及んでいるが、被害額となると、都市ではないから小さいだろうが、被災者の人たちの犠牲は意外と大きかったのではないか。これまでに印象に残った幾つかを記してみる。 1.今度の地震の報道での圧巻は皆川優太ちゃんの救出、テレビ報道に釘付けになっ たが、こんなことは浅間山荘事件以来で、優太ちゃんが抱き抱えられて助けられた時には、思わず「よかった」と叫んでしまった。テレビの画面で見ても大変な急斜面と判る土砂の中での作業、東京消防庁から派遣されたハイパー・レスキュウ隊の活動には頭の下がる思いがした。   
 しかし何と言う不幸だろうか、もしこの車がもう5分早くここを過ぎ去っていれば土砂に巻き込まれなかったのではないか。そうならば貴子さんも真優ちゃんも命を落とすことはなかった。それを思うと何とも痛ましい。車の存在がヘリコプターによって発見され、そこに生存者がいるかを調べることになり、その結果絵が聞こえたことで必死の作業が始まり、事故から4日目に優太ちゃんは生きて助けられた、これは奇跡的な幸せであった。そしてその数日後真優ちゃんの遺体も県警機動隊の努力で収容された。
2.今度の地震で避難勧告が出された人数が、多いときには10万人を超えていた。危険 な地域と考えたから勧告したのだろうが、その避難した人たちの受け入れ体制がない侭に出されたような気がする。10万人を収容する安全な施設、10万人の食事の準備、それを考える前に先ず避難であったのだろう。自動車の中で一夜を明かす人たちが多くて、エコノミー症候群という病名で亡くなった方が何人かおられる。最初この病名を耳にしたとき何のことか判らなかったが、航空機のエコノミーの座席から名付けられたと教えられて驚いたが、同時に納得もした。  
 天皇皇后両陛下が現地に飛ばれて見舞われ、被災者の人たちはどれ程励まされたことだろうか。テレビを見ていると、これからこの人たちはどうなるのだろうか、そして働き盛りの人が見られない。年寄りと子供ばかりなのが気になる。この点が阪神淡路地震と違うので、復興、再建がこれからどのように進められるのか、と思う反面私個人が何も出来ないことが無念であった。豪雪地帯だけに今度は雪の被害が起きませんように。
3. 地震が起きてそろそろ10日になろうというのに、未だに震度4とか3の余震が続いている。これは被災された人たちにとっては全く耐えられないことだろう。この地震ばかりは天気のように予測がつかないから、「これで終わりです」ということは誰にも判らない、しかも農業や林業に従事している人は高齢者も多いし、この土地を離れることも出来ない。それだけに今後の生活の不安も大きい気がする。義捐金は何れ被災者に届けられるだろうが、いま彼らが欲しいのはこの土地での住居、と仕事ではないか、国や県は道路を含めてのライフラインを重点的に進めるべきである。そして一日も早い以前の生活に戻れることを考えるべきである。  
 山古志村では土砂によって川が堰き止められて新しい湖(?)ができ、そのため場所によっては2階まで水没しているようで、これには何ともお見舞いの申し上げようもない。といって一時に水を下流に流すこともできない。このような災害は今まで聞いたこともないから、稀有の例であろうが、自然というものは大変な悪戯をするものだと思う。これから裏日本は冬型の天候になり雨雪が多くなる。対策の一日も早からんことを祈るばかりである。
(2004.11.8.)