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教育を考える(2)  

 11月11日の新聞に「東京都庁は高校で奉仕活動を必須科目にする方針を固めた」とある。これは高校に2007年度から都立の全高校に取り入れるという。その理由は今の若者は進学も就職もしない、ましてや職業訓練もしない、だから社会に必要とされる社会体験を通じて若者に進路の選択を促すのが狙いだという。

 如何にも官僚が考えそうなこと、私は予てから教育は小中学校はともかく、高校・大学での教育はそれぞれの学校に任せるべき、という考えを持っている。高校には男子校、女子校、そして共学校があり、さらに私学には学校の建学の精神があり伝統もある。言い換えればそれぞれの学校に教育の特異性があって然るべきなのである。そこへ奉仕活動を加えよという、気持ちは判るけれどそれも必須にするというのは行き過ぎである。「奉仕活動の大切さを教育に取り入れなさい」という程度にして、その内容は各学校に任せれぱよいと思うのだが如何なものだろうか。  

 奉仕というのは、自分の意思でするもので他から言われたり、強制されたりして行うことではない。だから奉仕活動は自分がしたいと思うことが先ず肝心で、これが大切なのである。だから奉仕活動は多種多様になり、一人一人が違った奉仕活動でよく自分の出来ること、好きなこと、得意なことを生かすべきと思う。今なら新潟中越地震の後片付け、街頭で義援金を集めるでもよいし、老人ホームで話の相手をする、外国人の通訳をする、など学生自身に決めさせたらよい。そのような奉仕活動を必須にしたら学校はどうするのか、幾つかの奉仕活動を学校が決めてそれを学生に選ばせるというのか。  

 古い話で恐縮であるが、私たちは戦時中に「勤労奉仕」に駆り出された。その行き先は兵器補給廠であったり、食糧増産のための農地の開墾であったが、これらは私が希望したものではない。やらされた奉仕、従って熱意が持てる筈もない。戦時中だから出来た事なのに、今度の奉仕活動体験もそれに似通っているように思える。繰り返していうが、奉仕は自発的な意思で行うことである。だからそれを忘れても、それを教育と言えるのだろうか。
(2004.11.11.)