B 26

言葉は生きている(2)  

 今年は青山学院創立130年にあたり、これを記念して幾つかの講演会などが開催されたが、その一つに「活字文化公開講座」があった。講演者は、作家の水村美苗さんと元青山学院女子短大学長の栗坪良樹先生、私は活字に縁のあ仕事に長く携わってきたこともあって、この公開講座に出席した。  
 
 水村さんは作家、私はこの方を全くと言ってよい程存じ上げていないが、12歳の時に米国に行かれ20年間滞在、エール大学を卒業されたあと、ミシガン、スタンフォードなどの大学で、日本近代文学の教鞭を取られている。日本に帰られて執筆を始め、芸術選奨新人賞を取られてデビュー、その後も幾つもの賞を受けておられる。若いときに日本を離れて勉強されたのに、米国の大学で日本文学の講座を持っておられたのは。大変な偉才の持ち主と考えるけれど、そのようなご経験を通して、日本語を客観的に考えられることができたのであろう。  
 水村さんは日本に戻られたとき日本語が変わってしまった、敢えて言えば薄っぺらになって、これで自分の意思を伝えることが出来るのかと思った。何故そうなったのかを考えると、世界言語になった英語が氾濫していることに気付いた。とくに自然科学の世界ではそれが顕著にみられる。日本語を本来大切にすべき文学関係者でさえも、その努力をすることを忘れているのではないか。  
 日本の教育は小学校から大学まで日本語で行われている。大体日本語は日本だけでしか通用しない言葉、それで最高とも言える教育ができること、この現実にもっと気付いて欲しい。世界人口の60分の1にしか分らない言葉は、日本人によって守られ育てられてきた、 それが世界言語の英語に毒されることは、つまり日本文学の衰退に繋がるのではないか。もっと私たちは日本語を大切にしなければならない。                

 栗坪先生は早稲田の大学院を卒業され、中学、高校の教諭を経て青山学院女子短大に移られその学長も勤められた。ご専門は日本近代文学、れっきとした学者、研究者である。 先生は夏目漱石や森鴎外の小説が、小中学校の教科書から消えてしまったことを嘆かれている。これは何故かというと、「難しい」からだという。子供たちにとって難しいのか、教師にとって教えることが難しいのか、それは分らないが、先生は日本の代表的な文学が教科書から姿を消されたことを嘆かれた。いま日本の言葉の中には、あっと言う間に生まれ、あっという間に消えるものがある。だから今の大学生にはコミュニケーションの力が欠けている。言葉は相手にしっかり伝わらなければ全く意味がない。言葉は人間の知恵の積み重ねであるのだから、それをよく学び知ること、それが自分の内面を磨くことに繋がる。言葉の大切さをもっと真剣に考え、我々は日本語の衰退を防ぐことを考え、努めなければならない。  
 
 このお二人はともに「この侭では日本語の文化は滅びてしまう」とのお考えを持たれていることが判る。 私はプロの「もの書き」ではないけれど、多年活字の世界で仕事をしてきたし、また書くこと自体も好きである。そこで言葉、日本語に関心を持つことになったが、日本語の歴史について今まで深い関心を持ったことなく、古典に目を通したのは学生の時だけであった。活字による商品(?)を作ってきたから、読みやすい、理解され易い文章を心掛けてきた。それは文学の世界とはおよそ程遠いものであるが、今更それを改めて奥深い文章を書こうとは思わない、というより私にそれは出来ないのである。しかしよい日本語を後世に伝えることは出来るのではないか。 それは「乱れた日本語」を使わない、それで若い人たちに判って貰える「もの書き」になりたいと願う。
(2004.11.23.)