C 13

曽我さん一家のこと

 曽我さんがインドネシアのジャカルタに飛んで、北鮮からチャーター機に乗ってきた夫のジェンキンスさん、二人の娘と再会した。率直に言ってほっとした気持ちと、ここまで日本はしなければならないのか、と感じた。人道的と言えばそれまでだが、その結果がどうなるのか、はっきりしない。

 チャーター機についての噂だが、これは全日空が破格の料金で請け負ったという。聞いて見るとこの報道は世界に流れるから、尾翼のANAのマークが映されるだけでも宣伝効果があるというのがその理由だという。その真偽の程はわからないが、全日空も人道的な立場で協力したと思いたい。

 そのジェンキンスさんは北鮮での手術の後遺症で、設備のある日本での治療が必要との診断があったことで、また話が変わってきた。曽我さんは確か日本に帰ってきて手術を受けている記憶するし、その所為かどうか判らないが、彼女は帰国したときの姿とは今は全く変わっている。そんなことで曽我さんは夫の治療を日本でと願うであろうが、彼はれっきとした米軍の脱走兵、このことはご自身の頭からひと時も離れたことはないと思う、軍からの脱走ということが、今の日本人には理解できないことだろう。甘く考えてはならない。私は米国が彼を許すことは先ずないと思っている。しかも米国はいまイラクで戦いをしている最中で、彼を許せばその士気に影響すると考えるであろう。

 小泉さんは、日米は深い信頼関係があるから、と楽観的であるが、この人には軍隊の経験がない。ジェンキンスさんの命に関わることではあるけれど、万一米国にこちらの要望が拒否されても、それを恨みに思うのは筋違いである。その種をまいたのはジェンキンスご自身なのである。

(2004.7.15.)