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ロータリークラブとは

 昭和40年7月、私は日刊工業新聞の大阪支社長になった。その翌年の4月から大阪での新聞印刷は既に決まっており、それを承知で赴任したが、幸いこの仕事は支社幹部諸君をはじめとする社員の協力で、予定通り順調にスタートさせることができた。この成功は関西において改めて新聞の声価を高め、業界紙ながら、地元で注目を浴びるようになった。
 このような評判を得ていた昭和42年に、新しく「大阪天満橋ロータリークラブ」が大阪クラブをスポンサーとして創立されることになり、それに入会するようお勧めを頂いた。私の父は戦前であるが朝日の名古屋支社長のときロータリアンであったし、また義父も東京西クラブのメンバーであったこともあり、なんとなくロータリーのことは承知していたが、自分がそれに加わることは考えてもみなかった。幸い本社からも支社内からも賛同が得られて、私は大阪天満橋ロータリークラブのチャーターメンバーになった。
 44年に東京に戻ったが、天満橋クラブの推薦もあって東京芝クラブに移ることことが出来た。それが今日まで続くとは思いもしていなかったことであるが、、大阪の時から数えるとロータリアンとしてもう35年の歳月が流れた。7年前には会長も勤め、現在は地区の職業奉仕委員長を勤めている。
 長い間ロータリークラブにいれば、いろいろな事情も分かってくるし、ロータリーのよい面も困った面も見えてくる。そうした中でかくも長くロータリアンでいられたのは、職業上では中々知り合うことが出来ない多くの人達と、隔意なく話し合えることであったと思う。ロータリーもクラブ、それも国際的なクラブであるから、それなりの規程もあり慣習もある。そうした枠から外れることは許されないが、この仲間たちと手を携えて進める奉仕活動に、興味の持てる内容もあり、努力すればそれなりの成果も得られる。

 ロータリークラブが生まれたのは今から100年前で、アメリカのシカゴで弁護士のポールハリスらを中心としてであった。その創立時の目標は地域社会への奉仕であったが、それが現在ではロータリーの組織は世界中の国に拡大されて、全ロータリアンの数は正確には判らないが120万人を超えていると思う。日本では米山梅吉氏の手によって、戦前に東京で発足し、このクラブが現在でも東京ロータリークラブとして活動している。2003年4月現在、日本においては全国に2329クラブがあり、その会員数は.110,304名である。

 私がロータリーで行っている奉仕活動の一つとして「青少年交換プログラム」があるが、これはロータリーならではの奉仕とおもっている。高校生を対象とし、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどからの学生を受け入れ、それと同数の日本の高校生がそれらの国に1年間留学する。派遣も受け入れも世界の各ロータリークラブが協力し、学ぶ学校を決め、滞在は会員の家庭となる。
 私の家でも過去3人の女子学生を預かったが、よい経験になった。若いから忽ち言葉は覚えるし、ともに生活していても大きな不便を感ずることはなかった。預かったこの子たちは既に結婚し、子供もいる年頃になったのに、今でもクリスマスカードに写真まで添えて送ってくれる。最近ではそれがEメールになって、何か遠くにいることを忘れてしまいそうになる。
 この青少年交換プログラムは、担当する会員は大変ご苦労様であるけれど、是非続けて欲しい。クラブで推薦した学生が派遣に決まると会員の一人がカウンセラーとして面倒をみる。だから海外に行っていてもその凡その様子は判るけれど、1年たって帰ってきたときは本当に吃驚する。出掛けていくとき「この子は大丈夫だろうか」と心配したのに、帰ってみると身体も大きくなり、留学の報告を実に堂々とする。環境の違うところに行くとこうも変わるのだろうか、大変な成長をしてくる。それが特別の学生でなく、全てがそうなのだから「可愛い子には旅をさせよ」、この言葉そのものなのである。

 もう一つ、これは日本ロータリーだけでおこなっている事業であるが、米山奨学基金がある。前に日本のロータリーは米山梅吉氏によって創立されたと記したが、東京クラブで国際奉仕の一環として東南アジアからの留学生を対象とした奨学金制度を1953年2月につくり、その名称を初代会長の名を付して米山基金とした。それが今日では日本の全ロータリアン協力のもとに、財団法人の独立した組織になり、台湾、韓国、中国を中心に毎年数百の学生に奨学金を贈っている。これには学生の交換もなく、また高校生が対象でなく、大学、大学院の学生で、その期間も3年になっている。既にこの制度が東京クラブで始められてから45年が経過しているから、この恩恵で日本に学んだ学生の数は大変な数になっている。日本だけの制度であるから、我々としては誇るべき奉仕と考えその継続に努めている。

 芝クラブで、これは最近のことであるが誇れる奉仕として、ネパールプロジェクトがある。これはロータリーの同額補助金制度を利用して行ったものだが、(この制度の説明は省く)ネパールのポカラに日本の本の図書館をつくったことである。資金集めはとにかくとしても、この手続き、1500冊に及ぶ本の蒐集と保管、現地との連絡などまことに手間と根気、それに時間のかかる仕事になった。既に3年も掛っているが、漸く日の目をみることになった。この活動はネパールのロータリークラブとの共同事業だから、現地での関心を集めたことも間違いない。  
 ネパールといえばヒマラヤ、私も山好きであり、また私は学校の後輩戸張君が現地にいるので、もう2度この国を訪れているから、このプロジェクトには大いに関心を持った。この成果がどうなるのかは、この先しばらくしないと判らないだろうが、日本のロータリーにとっても特異の奉仕活動であることだけは確かである。

 このように世界のロータリーと手を結んで行われている奉仕活動もあるが、一つ一つのクラブが独自に行っている活動もある。3年程前から芝クラブが行っているのは、「課外授業」である。この言葉はNHKのヒントによるものだが、一人の会員が先生になって子供たちに教えるのである。最初に行ったのが、御成門小学校での習字教室、先生は習字の家元である会員が勤めた。これは放課後に希望する子供たちだけにするのではなく、授業時間のやりくりを学校にして頂いてそのクラス全員に行うのである。

 今の子供たちは行儀が悪い、と耳にしていたから心配もしたが、いざ始まってみれば、熱心に会員である先生の話は聞くし、騒ぐなどということは全くなかった。また墨を硯で磨っているから、もしそれがこぼれたら大変なことになるのだが、そのようなトラブルもなかった。そして子供たちは伸び伸びとした文字を書き、我々を驚かせた。大変な成功であった。

 しかしここに来るまでに問題がなかったわけではない。クラブでこの企画をつくって学校に持ち込んだが、容易には受け入れて貰えない、そこで区長、教育長の線から校長にお願いして貰ったら、今度は職員会議で否認されるという事態になった。つまり先生方は部外者の教育に対して、拒否の空気なのである。結局は校長の熱意と判断で執行されることになったが、日本の教育の一端をかいま見た気がした。このことは日本の教育の在り方にも繋がる問題であるが、先生方の協力と理解を頂いてもっと沢山の学校へ出かけたいと願っている。
(2003.07.01)