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私の職業奉仕観

 職業奉仕について私が関心を深めることになったのは、1975年〜76年度に芝クラブの職業奉仕委員長を勤めたときからです。その時私はロータリアンになって8年はたっていたのですが、職業奉仕について全く関心がありませんでしたし、知ろうともしませんでしたが、それでもロータリアンとして困ることはまずありませんでした。しかしこれを機会に職業奉仕をどう理解したらよいのか、具体的にはどういうことをすればよいのか、勉強してみようと思ったのです。 ロータリーでは四大奉仕、いま新世代を含めて五大奉仕とも言われますが、社会奉仕は「社会に奉仕する」、国際奉仕は「国際社会に奉仕する」と判り易いのですが、職業奉仕が「職業に奉仕する」では意味が判りません。つまり五大奉仕の中で異質なものであることが判ります。

 自分のクラブのことで恐縮ですが、芝クラブ創立30周年のとき、6年前になりますが、当時の会長が「ロータリーの原点を考えよう」を提唱され、それを受けて綱領研究委員会がつくられました。委員にはパスト会長、幹事の有志が参加し、私が委員長を勤めました。数回の委員会をおこなっての結論は「ロータリーから職業奉仕がなくなれば、それはロータリーではない」、また、「ロータリーの原点は I Servにある」というのが大勢でありました。 私はかねてから、何故ロータリーの職業奉仕が Vocational Serviceであるのか、そしてロータリーがこの言葉を使用したその根底は何であったのか、に関心を持ちました。職業という言葉に英語ではCallingという言葉もありますが、このCallingを辞書でひきますと、「神のお召し、使命、職業」とあります。
 さらにVocationを見ますと、職業、商売、続いて神のお召し、神命、天職という訳語があります。  そこでキリスト教ではVocationをどのように捉えているのか、つまりロータリーの職業奉仕とキリスト教の関係を調べることにしました。私はクリスチャンではありませんから、「職業奉仕の根底にはキリスト教の思想がある」と簡単に結論づけることが出来る立場ではありませんが、しかし私自身はロータリーがVocationという言葉を採用したのには宗教的な意味が含まれていることは、まず間違いないのではないか、と思ったのです。 調べてみますと、このVocationが一般的な職業になったのは、キリスト教の宗教改革以降のことであること、即ち中世のカトリック教会においては、神からの召命として特別の使命を与えられた者は、司祭とか修道士として、これらの人たちのみが神に奉仕出来る者とし、その人たちの仕事がVocationと言われ、一般信徒と聖職者とは画然と区別され、さらにそこには上下の関係もあったようです。

  しかし宗教改革以後は、職業は天職であり、神と人とに奉仕する場と考えられるようになったのです。この考えで一般の職業もVocation と言われるようになったと考えるのです。 ロータリークラブはアメリカで誕生したものであり、それが今から約100年前ですから、ロータリーの創始者は勿論、またこのVocational Serviceの思想に賛成されて入会した人たちは、全てクリスチャンであったと考えられます。
「職業は神から与えられたもの」即ち天職というのが職業観であったでしょうから、ロータリーで職業にこのVocationなる言葉が使われたのはごく自然なことであったと思います。

 ロータリークラブに入会早々、ロータリーの綱領を説かれてみても、容易に理解できないのが現実ではないでしょか。毎年10月は「職業奉仕月間」ですが、この時にロータリアンにロータリーの根源としての職業奉仕を認識して貰いたい、理解して欲しいとの願いからこの月間があると思っています。  国際ロータリーの定款第3条、綱領第2に「実業および専門職業の道徳的水準を高めること、あらゆる有用な職業は尊重されるべきであるという認識を 深めること、そしてロータリアン各自が職業を通じて社会に奉仕するために、その職業を品位あらしめること」とあります。最初これを読まれて何が我々に求められているのか、すぐに理解された方は少ないのではないでしょうか。しかし「職業は天職である」との考えに合わせて頂き、「職業は神から与えられたもの」であるとの基本にたって改めて考えて頂ければ、判っていただけるのではないでしょうか。神から与えられた職業を励むに当たって、そこに不道徳や不正が許される筈はありません。

 ロータリークラブは職業人の集いですから、ロータリーの綱領は、ロータリアンー人一人に、自分の職業をどのように考え、励むべきかを示したものと理解しています。五大奉仕の中で、職業奉仕が重要視されていることは、ロータリアンの質は高くなければならない、そうした優れたロータリアンの集まりがクラブであり、そのために各クラブでは優れた奉仕活動が出来ると期待したのではないでしょうか。

 では具体的にはロータリアンは何をすればよいのか。どのような行為が職業奉仕になるのか、とお考えの向きもありましょうが、私はロータリアンとして毎週例会に出席されているのは、世間に対して、社会に対して貫献され、不道徳も不正も行っておられないからと考えます。つまり、お一人お一人は意識するとしないとに拘わらず、立派に職業奉仕を日々行っておられると考えるのです。

 職業奉仕について書かれている書籍は幾つかあり、自分の職業を生かしての社会への貢献はいろいろありましょうが、それも大切なことかも知れませんが、その前にまず優れた職業人、ロータリアンであるべきというのが、私の考えている職業奉仕観なのです。

 芝クラブでは、「課外授業」を行っております。これは地域内の小学校、中学校で会員が先生になって授業を行うものです。第1回は神郡会員による習字の授業を御成門小学校で、第2回は渡辺会員の「言葉の力」と題して御成門中学で、この何れもがその学校の先生方から、また児童生徒からも大変喜ばれました。・これは授業時間の中で行われ、学校が決められたクラスの児童生徒は全員出席します。文字通りの授業を会員が行うのです。これらは会員が自分の職業を生かして社会に奉仕する、或いは指導することを、私たちは推進しております。しかしこうした活動は果たして職業奉仕か、これには疑念を持たれる方もあると存じますが、基本的には会員の持つ専門的知識を生かしてですから職業奉仕と言えますが、クラブとしてみれば、社会奉仕、或いは青少年奉仕だと思っております。まだ始めたばかりですが、予想以上の好評を頂いておりますことを申し上げておきます。

 Vocational Service が職業奉仕と訳されたのですが、今まで話は職業つまり Vocationについてでしたが、このServiceが奉仕と訳されたことにも我々は誤解を招く一つの要因になっているのではないかと思います。一つの例として会員の間で「これは職業奉仕で頼む」と言ったとしますと、その言葉の持つ意味には、「サービスの提供」が含まれていると考えないでしようか。英語でいうServiceという言葉のもつ意味は、我々が何気なく話すサービスとは違うのです。

 Serviceを辞書で引きますと「神への礼拝」という訳語を見ることができ、自分の意志で奉仕することであるのですが、日本ではサービスというとそこには他から受ける恩恵があるように思えるのです。

 これは最近知ったことですが、ロータリーが日本に入ってきた時は、このサービスという言葉はその侭使われたようです。それが戦時中にサービスは敵性語と指摘され使うことが出来なくなり、奉仕と改められたようです。

当時は勤労奉仕という言葉もあり、学生時代に私どもは駆り出されました。奉仕は適訳であったと思いますが、サービスという言葉は日本ではロータリー的に必ずしも理解されていないと感じております。

 職業奉仕というと目黒RCの会員漆崎義雄氏のお名前が出て参ります。地区の職業奉仕委員長を3回も勤められ、職業奉仕カウンセラーもなされ、今日でも地区の第一人者である方です。職業奉仕についての著作も幾つかあると承知しておりますが、いま私の手元にあるのは、「ロータリーの綱領と職業奉仕について」の小冊子です。

 私は何故ロータリーの職業の原語がVocationなのか、に関心を持ったと述べました。このことについて漆崎氏はこう述べられています。

 ロータリーでいう職業とは、私たちが日常、商売を意味して使っている言葉とは、いささか違います。そしてその語源にさかのぼって考えてみますと Vocationというのは、実はラテン語のボカチオという言葉から発生し、ボカチオは英語のCallingに通じると言われております。つまり神の呼び出しであり、天のお召しを意味します。職業を極めて格調の高い天職として表現しているのです。これがロータリーでいう職業の観念です。

 ここには宗教とか信仰とかの表現はありませんが「神の呼び出し」と述べられており、私はそれをキリスト教の考えによるものと考えているのです。

 復習いたしますと、皆様のお仕事は社会のニーズがあるから成り立っているのであり、そのニーズに応えて日々ご尽力されておられるのです。それが職業奉仕であり、自らの職業に誇りを持ち、また他の職業にも理解を持つことが出来れば、それでよいのではないでしょうか。綱領は職業人としての戒めを述べられたものと理解して頂ければと思います。
(2003.09.01)