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青 芝 会

 東京芝ロータリークラブには、入会3年未満の会員が集まって作られている会、青芝会がある。誕生して20年になるが、この会は当時のクラブの方針とか、先輩会員の指導や意見によって作られたのではなく、当時入会3年未満の会員筒井氏らの提唱によって誕生したのである。まずこの点に注目したい  その頃クラブではクラブ協議会などが開催されるとき、「入会3年未満の会員は出席するように」とアナウスされるのが慣例になっていた。この3年未満という言葉が差別と受け取られたのか、「それなら我々で会を作ろう」とのことで生まれたと承知している。それが何時の間にかクラブでは、3年未満の会員、の言葉に変わって「青芝会員」と呼ばれるようになった。以来この会員は毎月の集りを勉強会と称し、先輩会員の話を聞くをなどを行ってきた。  
 しかしこの20年間を振り返ってみると、会は順調に成長してきたわけではなく矢張り山あり、谷ありがあったことを、当時の会員の方はそれを率直に認めている。が一方会員の中から会を盛り上げていこうとの努力が生まれて、1988年、(当時会長は武井氏)に松原ガバナーから青芝会の活動が評価され「ガバナー賞」を受けた。今から18年前のことであるが、このことによって青芝会が芝クラブに定着したことを思うと、この賞は大変幸いなことであった。  
 私がクラブの会長を務めたのは丁度10年前、その頃から自分のクラブが好きになり、また誇りとさえ思うようになった。そのため青芝会を通してこの素晴らしいクラブの後継者を育てたい、との気持ちを持つようになり、会長退任後も努めて青芝会の会合には顔を出すことにしてきた。この会の会員は3年たてば卒業であるから、毎年メンバーは何人か変わり、また世話人代表も交代する。従ってその年のりーダーによって、考えも変わるし活動計画も変わるが、それはそれが良いのである。そして私の知っている限り、青芝会員から「この会を続けていることは意味がない、」との声を聞いたことがない。それだけ皆が親しみ、結ばれているということであろう。  
 この青芝会の卒業者が今やクラブの会長や幹事になる時代になった。当然のことながら、会長・幹事と同期の人は協力を惜しまないだろうから、これはクラブ活動の活性化に繋がっていく。そして大切なことは青芝会が先輩会員との懇親に配慮し努めてきたこと、これは私の立場から言えば大変嬉しいことであるが、それで青芝会は先輩会員から、暖かい目で見られている。

 青芝会の会員に私は「よいロータリアンになって貰う前に、よき芝クラブの会員になって欲しい」と願っている。それはよい芝クラブ会員になれば、自ずと何処に行っても立派なロータリアンで通る、というのが考えなのである。 私は青芝会例会の席で、「わがクラブには幾つかの誇りがある。第一は出席率、第二はクラブの結束力、そして第三が青芝会の存在、第四が炉辺会合の開催、である」と話したことがある。これらは昨日、今日に始まったのではなく、クラブ40年という長年の伝統のお蔭で現在のクラブに育だったのである。青芝会は、芝クラブだけにしかない誇りなのである。

 青芝会はクラブが創ろうと意図して生まれたものではないことは前にも述べたし、私が先頭にたったこともない。今までも「うちのクラブにもこのような会を作りたい」とのお話があるが、出来ましたという話は耳にしたことがない。伺ってみると、この会を作るのは難しいと言われる。  

 私の独断であるが、この会を作ろうとされるときの留意点を幾つか挙げてみよう。
 1.ロータリーの勉強グループとしてではなく、同じ年度に入会した仲間の集い  として考え、その目的は相互の親睦におく。そのため毎月1回は会合を開く。
 2.この会に所属するのは3年間だけ、この期間を厳格に守る。(卒業式を毎年6月に行うが、これには先輩会員に出席をお願いしている。)
 3.この会の運営は青芝会員に任せる。例会で先輩会員の話を聞くとか、懇親会を行うとかなどの企画も世話人に一任する。このことは先輩会員が、このグループの運営管理に一切関与しないことである。
 4.毎月定例の会合への先輩会員の参加は自由とする。 ?  

 言葉を変えて言うならば、新しい会員が中心になって自分たちでやる、の気持ちが一番大切で、先輩が指導して纏めることではこのような「青芝会」は生まれなかったし、続かなかったと考える。  
 私が毎月の青芝会の例会に出席して何をしているのかと思われるかも知れないが、実は何もしていない、話もしない、皆の話を聞くだけ、もし誰方から質問があればそれに答えるだけ。このようなことが出来るのも、青芝会20年の伝統のお蔭であって、もし芝クラブでも、これから始めようとすれば、矢張り上意下達の会になってしまうに違いない。 だからこのような青芝会を作れ、と言われても、私は二の足を踏むことであろう。  何故芝クラブに青芝会が生まれ育ったのか。私は最初の提唱者筒井氏、それを継承して育てて下さった会員の諸氏に感謝を申し上げるが、と同時にクラブ全会員の理解と努力の賜物である。青芝会は芝クラブとともに永遠に続くであろう。

 わがクラブには女性会員がいない。これが何時まで続くか判らないけれど、これから入って来られれば、この青芝会に参加して頂くことになる。ということは青芝会に女性を受け入れる体制がなれればならないことになる。どのような女性が入られるのか、また何人なのか、などによって青芝会は変わってしまう心配がある。しかし一方にはそんな心配は杞憂にすぎない。何故ならば女性会員が入られることで、芝クラブは変わらざるを得ないのだから、その流れに従って変わればいいではないか、との考えである。青芝会のことを考えて女性の入会を拒むのというのは、本末転倒ということだと私は思う。
(2006.7.22.)