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私とロータリー  

 2006〜7年度、ロータリークラブ第2750地区千代田分区の、研修リーダーに指名された。振り返ってみると私が日刊工業新聞の大阪支社長のとき、偶々天満橋ロータリークラブが誕生することになり、お誘いを受けて入会した。昭和42年(1964年)のことであったが、昭和44年に東京本社に転勤し、ロータリーも芝クラブに移った。ロータリーの一員になって既に40年近く、そろそろ長老と呼ばれる立場だが出来ることなら何んでもOKの精神で、お引き受けした。しかし果たしてその責任を全うできるかどうかだが,それは40年の経験を生かすより他はない。ところが或るクラブからこの研修について卓話をと打診された。「ロータリーの思い出」でよいからと言われ、それも青山の後輩からの話であったので、結局押し切られてしまった。
 ロータリークラブの卓話で、ロータリーのことを話すのは、実は容易ではない。前記の研修も同じことが言えるのだが、卓話に行くクラブの歴史が新しいと、当然のことだが会員の人たちの経験も浅い、そこで一番大切なことは、そのクラブが創立以来どのような足取りを辿ってきたかを知って、話を組立てることである。
 ロータリーそのものの歴史とか、職業奉仕を中心とした考え方を説いても、それは一般論になるから、今更聞くまでもないと関心を持って貰えない。卓話を頼んできたクラブの会員は何を求めているのか、それをよく知った上で私個人の経験や芝クラブでの考えを、裸になって話をすることが、親しめる内容になると考えている。
 まずそこで「私のロータリー観」を述べることにしたい。ロータリークラブと称しているが、私はまずクラブであることが第一と考えている。芝クラブは南クラブの子クラブで、創立の時の特別代表はガバナーを勤められた清瀬二郎氏である。私の芝クラブ入会は44年で既に創立後2年たっていたのに、毎週の例会に清瀬氏は必ず来ておられ、新人の私もお話する機会があった。食事をしながら伺ったお言葉で今でも忘れられないのは「ロータリーは先ず親睦、これが出来れば奉仕は自然とついてくる」である。そのときその言葉に大きな感銘を受けた覚えがないのだが、今では私のロータリー観の中心になっている。まず奉仕ではなくまず親睦、この心を芝クラブはずっと守り、育ってきた。
 この心が「炉辺会合」をかたくなに続け、明るい例会が行われ、その出席率も分区ではトップを維持し、また奉仕活動も「みなと区民まつり」のように、会員それに会員夫人まで動員して行われている。
 またクラブには同好の者によって多くのグループが作られている。ゴルフ会、囲碁の会、旅の会、歌う会などがあり、また会員夫人の集り「華芝会」があり、そして入会後3年未満の会員の集い「青芝会」がある。今日ではこの青芝会は一つの委員会のような形になっているけれど、それはクラブの方針として作り上げたのではなく、20年前に当時の新入会員有志によって発足したものなのである。従って今日まで自主的な運営が行われ、役員の選任、諸活動の企画、経費など一切が青芝会員の手によって行われている。その青芝会はクラブの諸奉仕活動に積極的に協力している、この姿勢が20年もの間に育まれてきた。私はそのように青芝会を育てて下さった人たちに、心からの感謝と敬意を表したい。
 今から10年前、私は会長を勤めたがその時にこの青芝会をみて、この会を通して新しい会員に芝クラブ、つまり自分のクラブを認識し理解して貰いたいと願った。そこで毎月の会合に顔を出すことにした。それは芝クラブが今日あるのは、昭和42年に創立して以来の一つの流れによってきたものであり、青芝会もこの流れに沿って活動すべきと思ったのである。その流れに沿っているかどうかの判断を、新しい人たちに求めるのは酷であり、彼らの話し合いの中でもし流れから外れそうになったらアドバイスする、それが先輩の勤めと思ったのである。しかし私は毎回その会合の隅に座ってきたが、殆んど彼らに注文をつけることはなかった。この青芝会はガバナー賞を頂いているし、また「芝クラブの結束」についても受賞しているが、これも青芝会のお蔭と思っている。
 ある時私は青芝会に注文したことが一つある。それは「まず貴方たちはよき芝クラブのメンバーになって欲しい。そうなれれば貴方たちは立派なロータリアンになっている。」この言葉は前述した清瀬特別代表のお言葉の裏返しとお気付きになるだろう。新しい人たちの中には、ロータリーは奉仕の団体なので、何が奉仕かを考え、実行しなければならないと思われているかも知れない。そう思ったらこんな窮屈な場は無い、しかしこのクラブに集った人たちと仲良くしなさい、なら誰もが自然な姿でクラブに馴染むことができる。ロータリークラブのロータリーをまず棚に上げて、クラブの会員に徹して下さいということである。  
 最後に一つ付け加えたいことは、ロータリーの金看板、職業奉仕である。この奉仕はクラブの会員と親しくなっても、理解出来るものではない。何故なら職業奉仕は会員一人一人のものであり、ある会員のしていることを真似しても、それはご本人の職業奉仕にはならない。というと難しいと考えられるかもしれないが、会員が胸を張って例会に出席できるならば、その会員はちゃんと職業奉仕を果たしているからなのである。それでよいのか、とお尋ねがある方は「四っのテスト」を読むこと、そして「自分は大丈夫」と合格点が付けられたら、もう立派に日々職業奉仕に励まれているのである。  

 読んで頂いて私に研修リーダーが勤まると思って下さったでしょうか。尤もダメと言われましてもこれ以上は何もありません。ロータリアンの皆さん。どうか自分のクラブを大事にし、愛してください。そして、お一人お一人がロータリアンとして、クラブライフを大いに楽しんでください。
(2006.11.20)