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Fairway

 これは霞ヶ関カンツリー倶楽部の機関誌の名前である。この倶楽部が開場したのが昭和4年(1929年)10月、今年75周年を迎える。日本に現存するゴルフ場として、また戦前から36ホールスを持つゴルフ倶楽部として、名門と呼ばれてきた。名門とは何かとなれぱ、百人百説であろうが、景観、風格を言って下さる方もあるが、私は少し大げさな言い方かも知れないが、会員が創立以来ゴルフへの取り組みを、いろいろな面からされてきたからだと思っている。

 まず会員がプレーする環境を整備する。英国人で名高いゴルフ場設計者のアリソン氏のアドバイスを得ての改造、それに「会員同士は一家族のごとく親しみ合い信じ合っていきたい」のモットーのもとに、ゴルフを通して会員が楽しむムードを作りあげたこと、しかしゴルフのマナーには厳しく、との方針によって育ってきた。そこで会員にその方針を伝え、会員同士がより理解を深めるためにFairwayが、創立の翌年の昭和5年の秋に創刊された。これに執筆し編集をしたのが私の父であった。日本でゴルフ倶楽部会員のために会報がつくられたのはこれが初めてで、さぞご苦労があったと思う。

 私は他の項にも記したが、戦前、戦後を通してこの全冊を手元に持っている。そのことは倶楽部の歴史を何時でも紐解けることで、倶楽部での大きな行事は間違いなくFairwayに特集で掲載されている。その圧巻はカナダカップ、初めて日本で開催されるこの競技のコースとして、倶楽部の東コースが選ばれ、しかも日本チームが米国を破って優勝したのだから。わが倶楽部の名は世界に伝わった。しかし乍らこの開催に当たって、会員のご苦労は並大抵ではなく、そのつぶさがFairwayに掲載されている。

(2004.8.7.)