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例の会 会長になる

 例の会とは何か、から説明しなければならない。私は昭和52年にKCCの正会員になったとき、既に正会員であった弟の紹介で「例の会」に加えていただいた。会の名前としては、極めて奇妙なのだが、気のあった仲間たちが集って毎月1回ラウンドしスコアを競うだけだが、当時倶楽部ではこのような会をつくることは、好ましくないと言われていたので、会員同士の間で「今度の例の会は何時だったか」と話合えば仲間以外のメンバーには何の会か判らないだろうということで、一つの隠語であったのが、それがその侭定着してしまったである 。

 この例の会の一員になって、私は初めてゴルフ倶楽部の「クラブライフ」を知った。それまで幾つものゴルフ倶楽部の会員になっていたが、一つとしてクラブライフの片鱗にもお目に掛ることはなかった。後になって私がKCCの歴史について勉強する機会に恵まれて、KCCのこの素晴らしいクラブライフは、決して偶然に生まれたのではなく、先輩会員のご努力、その上に築かれた長い伝統の結果であることが判った。

 私がこの会に入ったとき、当時は会長と呼ばれる方はおられなかったが、グループの中心は倉田さんであった。その後廣海さん、大倉さんと続いたように覚えているが、その誰方も自然のうちに会員が担ぎ上げたような形で、話し合いで決めたということはなかった。大倉さんが亡くなったあとは言わば会長不在であって、幹事の橋本さん、猪飼さんの二人に面倒を見て頂いてきたが、この会には規約もなく、従って幹事の任期も決まっていないことから、会長を置いてその会長の意向で幹事の交代を行うという、会としての昔からの慣習を残そうとの話が浮かんできた。そう言われてみると私が幹事になったのは、唯一言倉田さんから「君頼むよ」と言われたからであった。

 昨年の暮れの忘年会の前に、幹事の橋本さん、猪飼さん、降旗さんそれに弟らから、私に会長就任の要請があり、まだ先輩もおられることであり固辞したが、私は「会長をおこう」という話が表面化したとき、その意見に賛同していた一人であった。それが私に回ってくるとは、まさかの気持ちであったが、ここでお断りすれば、亦空席が続くと考え、お引き受けすることにした。今までのように何となくではなく、忘年会の席上で幹事から話があり、全員のご賛同を頂いて生まれた会長であった。そして取り合えず任期は2年、幹事は会長指名なので、古島君と佐々木君にお願いした。

 大袈裟かもしれないが、この例の会のグループは知らないうちに倶楽部の中で注目されていた。考えてみるとこの会から倶楽部の理事、監事に選ばれた方を列記してみると、河北氏、倉田氏、鳥居氏、三輪氏、大倉氏、矢澤氏、宮内氏、安福氏、山田氏、吉田氏、川田氏、高井氏、橋本氏、降旗氏、木村氏、それに私、そして支配人には佐藤氏、現在でも木村氏、誰方かが漏れているかもしれないが、多くの会員の中から選ばれているのは、これは倶楽部を思う気持ちがこのグループにはあることの何よりの証明であり、この会の会員の発言は何時も正論であったからである。

 ここに列記した方で既に亡くなった方も居られるから、新しく入って来られる人もあるが、それは会員の推薦によっている。幸い良い方たちが入られて、この会はそのムードを損なうこともなく、毎月1回の例会は続いている。私がこの会に加わったのは26年前、その時から数えても300回になっている筈だから、創立からみれば400回は優に超えていると思う。

 会長は一体何をするのか、例会で賞をお渡しするのが第一の仕事だが、何かがあったとき、その最終決定をすることかも知れない。そして大切なことはこのグループを纏めていくこと。高齢化して欠席も目立ってきたが、古い会員と新しい会員が自由に語り合えることだと考えている。それらを私らしく、私なりに進めていきたいと思っている。

 最後に一言申し上げておくが、前述した通り「会長を引き受けて欲しい」との話だったので、ここでは会長の言葉で通したが、私はそのような立場ではなく世話人代表の気持ちで臨み、会員各位への奉仕を心掛けたいと願っている。
(2006.2.5.)