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スコアカード  

 私はゴルフを始めて間もなく、自分が記入したスコアカードを保存することを思いついたが、今思えば余り賢い発想ではなかった。将来何枚ぐらい貯まるのかを考えなかったからであるが、事実今持っているカードの枚数は、数えたことはないが膨大なものであることは間違いない。それで多少の未練はあったが、全部処分することにした。私には1枚1枚に思い出がある筈だが、この膨大の中ではとても思い出せるものでない。ましてと私以外の人には一片の価値がなく、単なる紙くずに等しいのである。そう思って処分を始めたところ、これは価値があるのではないか、というのを見つけた。これも私個人がそう思っているに過ぎないのかも知れないが、ご紹介しておこう。


 時は1984年10月25日、同伴者は倉重清久氏、角実氏、もうお一人は今井氏とある。倉重氏はKCCのメンバー、角氏は小金井の有名なメンバー、この日は霞ヶ関と小金井の役員懇親ゴルフであったと思われるので、この今井氏は小金井CCの役員であったと思う。  
 ここで倉重氏について記しておこう。年齢は私の二周り上だからこの日84歳であったと思う。この日から6年前の1978年6月6日に東コースを40 37、トータル77で回られ、エイジシュートを初めて達成されたのである。(エイジシュートとは自分の年齢以下のスコアでワンラウンドを回ることをいう)それを契機に倉重氏はエイジシュートに挑戦されるようになり、このご一緒したときもそうであった。  
 私にとっては神様のような存在の方、また角氏は小金井CCでチャンピオンを幾つも獲得された方、このような滅多にご一緒できない方とラウンドできた貴重なカードで、プレー後にこの3人の方からカードにサインを頂いた。それと私事になるが、この日に大変なスコアを出した記念のカードでもあるのである。  
 まず自分のことから書くと、私のスコアは38 41 トータル79 とにかく当時でも85を切れれば満足というのが私の実力なのだから、ご本人が吃驚した。倉重さんから「鈴木君は案外上手いのだね」と言われたのだが、正直のところご一緒の時にこのスコアが出せてよかったと思った。  
 しかし後になって考えてみると、この18ホールは緊張の連続であった。それは目の前には大先輩が、エイジシュート目指して頑張っておられる姿があるからである。アウトを44と不本意なスコアであったこともあって、インに入ってからの姿は今でも忘れなれない。14番のロングで7、15番で6を叩かれて天を仰がれた。結局は87でホールアウトされた。因みに角氏は42、39 トータル81、流石のスコアであった。私が夢のようなスコアを出せたのは、この緊張感を持ち続けることが出来たお蔭ではなかったか。遅まきながら、倉重さん、角さんに御礼を申し上げる。  
 たった1枚のスコアカードではあるが、改めて眺めるとめいろいろなことを思い出させてくれる。私の40年余にわたるゴルフの1ページである。
(2006.8.31)