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山岳部OB会

 現在の正しい呼称は青山学院大学山岳部OB会であるが、わたしの現役の時は大学ではなかったから、専門部山岳部であった。ということは、山岳部は大正の末期に創立されて今日まで、連綿と80年近い歴史を持っている。それに伴ってOB会もその歴史をしっかりと今でも守っている。
 私は数年前に大学体育会OB連合会の会長をしたことがある。そこで感じたことは、大部分の運動部は競技に勝つことを目指していることであった、これは当然のことであるのだが、連合会での話題が自然とそこに流れるから、私のような山岳部育ちの者には、何となく馴染めない、例えば野球部はリーグ戦に優勝することであるから、よい選手を集めることがOBの関心事になる。これは青山に限ったことではなく、学生スポーツはマスコミの注目を集めその大学の知名度を高めるから、大学自体が努力しているところもある。幸か不幸か青山の大学当局はどちらかと言えば消極的であった。各部のOB会幹部は自分の部に高校の優秀な選手を入れるため、入学枠を広げるよう希望するが、その言わんとする気持ちは理解できても、大学側を説得するとなると、会長として力不足になる。それは私が「勝つことを考えたことのない山岳部のOB」であったからで、どうしても「何が何でも」の気持ちにはなれなかった。
 大体今の新入生は体育に無関心であるが、また体育会に属して先輩からしごかれることを嫌う。やるなら自分の好きなことを好きな時間にやりたいと考える。だから同好会のような、教育には全く関係のない団体に入って楽しんでしまう。これは大学にも責任がある。私は教育とは、知育、徳育、体育の三位一体であるべきと思っている。これは文部科学省の指導も誤っているのだが、その方針をみても徳育、体育には関心が薄く、知育偏重である。
 私が日刊工業新聞社である時期毎年の入社試験で面接をしてきた。面接に来る学生は筆記試験を上位で通ってきているから、まず学力に大きな差はない。そこで社会常識を尋ねることになるが、これは答える言葉でその人柄の凡その見当がつく。親の教育も判ることもあったが、私が運動部の経験者には特に注目し、そこでキャプテンなり、マネージャーを経験していた者は、多少筆記試験の成績が悪くても「採用」の点をつけた。それは運動部の経験をしていればまず根性があるし、それに加えてチームを纏める努力をしてきた、との理由による。しかしそれで採用した中には例外もあった。リーダーとしての素質を買って採用したのであるが、後日労働組合に入ってその素質を発揮されて悩まされた。しかし私はその彼から結婚に際しての媒酌を頼まれた。勿論社員であるから私は引き受けて勤めたが、今でも何故媒酌人に私を選んだのか判らない。
 大学の教室で根性とかヤル気とか、人間関係の大切さなどを講義することは出来ても、それを本当に理解させることは難しい。これらは自分が経験して体得するものであるからだ。体育会の運動部の一員になれば、苦しいこともあろうが、自然のうちに身につけることが出来ると確信している。これは人間形成の上でも大切なことである。
 では山岳部はどうかであるが、ここには相手に勝った、負けたの世界はない。しかし部の活動では絶えず「人の生死」を背負っている。だから部員の活動は一人一人の責任において行われているということになる。言葉を変えれば自分と戦って勝つことが求められる。ここが団体競技と基本的に違うところで、自分の命は自分で守るとの気持ちを持つことから始まる。しかし合宿など団体で行動する時は、絶対にリーダーの命令指示には従わなければならない。それはその団体全員の命は全員で守らなければならないからである。これは「同じ釜の飯を食う」という間柄より、はるかに重いものである。
 体育会OB連合会長をしていた時にもう一つ感じたことは、OB会の在り方で、OBが一つに纏まっていない部があった。連合会の役員として会議に出席している人がいても、それがOB全体を代表しての意見であるのか、と思われることもあった。まして専門部時代の卒業生が現役の学生と交流することなど考えられないとの話も耳にした。それが全てだとは思わないが、今年の3月大学を卒業した人は、考えてみれば私の60年も後輩なのである。それが一堂に会して話をする、そんなこと考えられないというOB会がある。
 いま私は自分のホームページに精出だしているけれど、これは山岳部の後輩、木村君、畠山君のご協力のお蔭である。私は書くだけ、書いたらそれを木村君に送る。そうすればご覧のように形の整ったホームページになっている。何かの時に「自分のホームページをつくりたい」と言ったら、早速「お手伝いします」といって貰えたので、お願いした。それも申し訳ないがそんなに気兼ねしないでお願いしてしまった。そして今気がついたことは、このような例は他のOB会にもあるのたろうか、もしこれが山岳部OB会だけであったら、こんな嬉しいことはないし、誇りとさえ思う。お二人には改めてここに感謝を申し上げるが、これがわが山岳部OB会の一面であることを敢えて記しご紹介しておく。
(2004 12.04)