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青 盾 会  

 この表題は「せいじゅんかい」と読む。この名は初代会長岡田晃男氏の命名で、青は青山学院の青、盾は校章に由来している。この会の会員は旧制青山学院中学部および戦後の男子高等部の卒業生である。中学部は勿論男子高等部も、男女共学の新制高等部になって無くなった。従ってここの会員は男子だけ、しかも新制になった以後の卒業生は高等部同窓会に入るから、青盾会は何時の日か自然消滅する宿命なのだが、我々の寿命が長くなったお蔭でまだ立派に続いている。しかし最も若い会員も昭和9年[1934年]3月までに生まれた人だから、既に古希を迎えている。にも拘わらず常任委員の献身的な努力によって活動をし、会報も発行されている。そしてこの会が誕生して今年は10年を迎える。今は青山学院校友会高等部会の一つの組織として校友会代議員も選出しており、しっかりと根を張ってそれなりの存在を示している。  

 その10年を振り返ってみよう。学院創立120周年を機会に旧制中学部と男子高等部の卒業生名簿を作ろうということで集った人たちが、その完成後若い高等部同窓会と手を携えていくためにグループを結成しようとの気運が生まれ、それが青盾会となった。名簿は平成6年11月に完成、その際名簿作成費の剰余金が会の基金となった。創立総会は平成7年10月26日に青学会館で行われ、この日から数えて今年は10年目になる。発起人になった名簿をみると、残念なことに亡くなられた方の名を見ることが出来る。岡田会長を始めとして、野田精一先輩、小池鉄也君、水野正光君、三輪洋二郎君、佐古田威君、などの顔が目に浮かぶ。  

 初代の岡田会長が亡くなり、阿部四郎君、更に氣賀健生君がその跡を継いで今日に至っている。しかしこの会を実質的に支えてきたのは俣野善彦君である。会の運営、会報の編集制作、それに会計まで一切を一手にやってくれているのだから、頭が下がる。心から敬意と感謝を申し上げる。  しかしこの10年の間会の運営は試行錯誤の連続であたった。会員の年齢は毎年一つずつ上がっていく、しかも後輩が入っていくることはない、だから会員の数は減るだけであり、何か手を打たねばこの会を続けていくことは出来なくなるし、また遠からず会の財政にも影響してくる。毎年の講演会も何となく老人向きのテーマになるし、若さがなくなること会そのものが活性を失うことに繋がる。それをどうしたらよいのか、それが試行錯誤になっていたと思う。  

 今日の日本はまさに高齢化社会。われわれの周囲には「老人ホーム」が続々と建設されていることはよくご承知と思う。ここでは老人同士が一つ屋根の下で生活していくという一見楽しそうな生活を想像されるだろうが、私はホームに入られた方が必ずしも満足されているとは思えない。何故かというと、これの方たちの兄弟姉妹を除いて、何でも話し合える仲間は幼な馴染みであり、学校時代の友であり、同じ趣味を持つ人たちなのではないか、と考えるからである。  

 そこで私は校友会に「青山福寿会」(仮称)を設立してはどうかと思っている。夢の話としては校友だけのホームが我々の手で作れないかと思うがこれはともかく、この福寿会は70歳以上の校友ならば、男女誰方でも受け入れる。そしてこの会は年1回会員総会と懇親会を開催、あとは会員で自由に会なりグループを作って頂く。芝居を見る会、短歌・俳句の会、囲碁・将棋の会、絵に親しむ会、歌う会、料理の会、手芸の会、など数限りなく考えられるだろう。食べてお喋りする会でも結構。そして他の校友のグループと話がつけば若い人との交流もできるようにしたい。留意すべきことは、会を作ったら運営も財政もそれに参加した会員の責任で行うこと、これが基本である。私としてはここで老人パワーを大いに発揮して欲しいと願いたいのである。これは私の単なる夢なのだろうか。

(2005.7.1)