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青山学院監事として  

 81歳になったので、遠からず青山学院から身を引く時が来ることを考えなければならない。今も半ば習慣的な気持ちで青山学院理事会に出席しているが、その席を見渡すと、私より以前からこの理事会に出ておられる先生は羽坂理事長だけになっているし、年齢をみても私より年長の方は理事長と綿引先生のお二人、言葉を代えて言えば知らぬ間にここでも大先輩の存在になっていた。そこで私なりに青山学院を振り返ってみたいと思う。  

 私と青山学院との関わりは、1937年9月に父が転勤で名古屋から東京に戻った為に当時中学2年だった私は転校となり、青山学院中学部に拾って貰ったときに始まる。今だから言えるのであるが、とにかく学年の途中であるから編入させてくれる中学がない。それで父が存じ上げていた米山梅吉氏に口をきいて頂いて入学できたのである。後年になって、その米山氏が青山学院に小学校と幼稚園を寄付されたこと、日本にロータリークラブをつくられ、さらに米山奨学金を作られたことなどを知って、大変な方のお蔭を蒙ったことに驚ろいた。

 1941年に中学部を卒業し高等商業学部に進んだが、その年の12月に太平洋戦争がはじまり、このため高商部在学の時代はまさに戦争中であった。この当時の思い出と言えば山岳部に尽きるが、それについては稿を譲る。卒業後海軍予備学生になったが翌年終戦、1946年に東京商科大学へ進んだ。 普通ならこれで私と青山との関係は終わるのであるが、1976年に校友会の理事に選ばれた。これは恐らく誰方からのご推薦によってと思っているが、これが社会人になった私と青山との絆の出発点であった。その後青山学院監事に選任されたのは1979年、このときのことは少し覚えている。突然大木院長から会社に電話があり、「頼みたいことがあるから学院に来て欲しい」とのこと、それでお伺いすると「野田監事が今度理事になるのでその後任を」とのお話、大木先生には高商部で教えて頂いたし、戦後は何かとお世話になっていたし、とてもお断りできるはずもなく、また当時理事会は夜であったので、お引き受けした。商大で会計学のゼミを学んだのだから、少しはお役に立つだろうとお受けしたのである。そして理事会に出席してみると、私の中学部時代の部長都田先生がおられるし、ずらり先輩の方たちばかりであった。羽坂先生が一番私と歳が近かったと記憶する。

 一番困ったのは学校会計と企業会計とが基本的に違うことであった。考えてみれば学校は利益を追求する法人ではない。しかし私立であるから赤字経営では続けることが出来ないから、安定した資産を確保しておくことが大切なのだが、学校会計がどのようなシステムかの説明は省くけれど、これを理解するのに大変な苦労をした。私は今でもこのシステムがベストだとは思えない。それは今日のよう情報公開が求められる時に、一般の人に理解し難いこの学校会計システム、学校経営のためにはこのシステムは有用なのであろうが、最早相応しくないと思っている。 では監事とは一体何をするのか、どのような責任を持つのか、これは私立学校法、青山学院寄付行為、同細則に定められていて、理事の業務の執行状況と財産の管理、会計の監査と書かれているだけで、これらに不整のあったときの手続きは明記されているが、何か不都合がなければ、進んで何かをすることはない立場と理解していた。

 青山には監事は2人いるが何れもが非常勤で、理事会に提案される議題は予め常務理事会などで審議された結果であるから、内容に不整があるとは考えられない。また会計について非常勤監事は予算編成に関わるわけではないし、会計処理については公認会計士が仔細に監査するので、これもノータッチになる。しかもこの会計士の監査は監事監査のためでなく、学校が助成金を国から受けているために、それに伴う国への報告義務があるために行われているのである。しかしそのような実情であるけれど、学校法人としての決算報告を毎年国に提出するので、この公認会計士の監査に基づいて報告書を作成しそれに監事は記名捺印をすることになる。

 当初はこんなことでよいのかと思ったこともあったが、先任の大滝監事がそのようにされていたし、学院の先輩でもある保坂、大槻お二人の公認会計士からもとくにご指示もなかったので、前例に従った監査を続けてきた。またそれで学内からも文部省からもクレームがつくこともなかった。ということは、どこの学校、大学も同じようなことであったということであったのである。唯一つ、これは学内非公開で先輩公認会計士に懇談をお願いしていたが、これは大変勉強になった。その場であったと記憶するが、預り金の問題が指摘され、大木理事長の指示で羽坂先生とともに調査したことがあり、その結果改善されたというのが監事らしい仕事であった。

 私はこのことが頭にあったためか、その後学院に将来計画委員会がつくられ、私も委員の一人になったとき、「内部監査」の必要性を述べたことがある。私立学校というのは概ね大学が主であり、青山のように幼稚園から大学院までという総合学園は少ない、あっても各学校が法人として独立しているケースもあり、青山のように会計も人事も一本化しているところは少ない。簡単にいえば青山学院という学校法人は他校と比べて複雑になっていると言えよう。各学校が独立しているような、してないような印象をもったのであるが、私はこれが青山の歴史であり特色であり、それが利点になっていることもあると思っている。

 内部監査はしかし直ぐには実現しなかった。折角将来計画委員会で了承したのにと思ったが、職員の中にその希望者がなく立ち消えになりかかったが、その後に専任者を公募することによって、実現した。理事長直属のポストとし、理事長の指示で内部監査が学院で始まることになった。

 今から5年前、平成13年からになるが、私立大学連盟が主催して「監事会議」が発足した。これは連盟に加入している学校法人の監事の勉強会とも言うべき会議で、毎年8月に2泊3日で行われてきた。第1回の下田東急ホテルでの会議に青山学院監事として出席してきたが、その初日に監査法人ト−マツ代表社員、森谷公認会計士の「学校法人監事に対する期待像」の講演があった。学校法人の財務は健全なのかから始まったが、監事としての在り方を述べられた。その中で「青山学院は人材を公募して、内部監査を始めようとしている」と話され、思いがけず周囲の注目を浴びたが、それは青山学院の監査に取り組む姿勢の評価でもあった。しかし会議が進められると、監事のしなければならないことや責任とかの話が多くて吃驚したが、出席している各大学の監事も、感じられていることは私と大同小異と思え、ほっとしたことであった。

 この会議のリーダーは芝浦工大の監事藤田先生、先生は企業にあっては会社法の改正などで監査役の権限、責任が強化されている中で、学校経営も監事のあり方を見直すべき、との考えを持って臨まれていた。偶々某大学での入試に絡み理事長の収賄が取り沙汰され、これについて監事の責任の有無が問題になっていた。理事長の責任は理事会の責任であり、さらに監事にも責任の一端があるといわれた。監事はそれらに直接関わることができるポストではないが、監事との立場だけで責任を取らされることになる。法律的には「理事の業務執行」は監事の監査対象に明記されているから、責任は生ずるのであるが、しかし現実として監事は納得できないであろう。法律で決まっているのに監事はその本来の業務を行っていなかったのである。恐らく出席した監事は、責任はとらなければならない、との説明に驚いたのではないか。

 この会議にはグループ討議があり、10人程度の方たちと忌憚のない話し合いが出来るのだが、これは他大学の実情を聞くことが出来るし、どのように進めていくかなどを相談することもあって、勉強になった。私の担当したグループで話合われたテーマを記しておこう。1.予算編成への監事の関わり  2.理事会における監事の発言  3.業務監査の在り方  4.経営と教学との関係  5.学校における経営センス  6.資金運用  7.内部監査機能の強化  であった。かなり基本的というか、初歩的なテーマであったと今にして思う。

 第2回は平成14年8月で場所は京都宝ケ池プリンスホテル、この年度の討議テーマは「ユニバーシティ・ガバナンスの確立と監事の役割」、これは前年と変りなかったが、その中身はより具体性を帯びていたことは否めない。ガバナンスとは私の理解は誤っているかもしれないが、統治であり指導的立場のことと理解している。だからこの討議テーマは、学校法人を統治する人が正しく統治し指導をするように見守るのが監事の役割、と考えたのだが如何なものだろうか。
 この年度もグループ討議のリーダーを勤めたが、この時のテーマを掲げてみよう。
 1.監事、公認会計士、内部監査の三者連携  2.監事の在り方  3.監事監査マニュアル  4.監事の常勤、非常勤のこと  5.業務監査と教学  などで、前回に比べると大分内容が濃くなってきた。ところが前回参加された大学でも出席者が変っているところもあって、何かこの年の会議が空回りしたように思った。これは2回程度では何もかもが順調にはいかない、この会議も回を重ねていくとが大切と思った。

 第3回は平成15年で場所は前年と同じ京都のホテル、私の印象としてはこの時からこの会議は充実したというか、プランナーと参加者の息がぐっと近付いた印象を持った。シンポジウムも「理事会は監事に何を期待し、求めているか」で、講師は立命館の川本理事長。拓殖大学藤渡理事長、前回までの内容を総論というならば、今回からは各論になったように思う。とくに加盟法人108のうち104校から回答を得た監事の実態をしめしたアンケート調査は恐らく各校に参考になることが多いことであろう。
 前例に従って私がリーダーを勤めたグループのテーマは  1.教学の問題  2.学問の自由  3.非常勤監事の問題  4.監査基準  5.監査マニュアルの公表  6.監査費用の問題  などについて話し合われている。ここに掲げてある項目名は前年と同じでも、内容は格段に違っていたし、一人一人が自分の問題として話されるようになっていた。
 実はこの年我々のグループに慶応義塾大学監事の村山徳五郎先生が入っておられたので、とくに時間を割いてこのグループだけお話を伺うとにした。これを知った藤田委員長も我々のグループにお見えになった。企業会計と学校会計の違いなどについて判り易くお話をいただけた。一方で先生は監事監査基準は公認会計士協会のトレース、従って実態が伴っていない。自立規範として作成されるべきである、との苦言も述べられた。

 第4回は平成16年で同じく京都のホテル、この時は私立学校法の改正が決まっており、これで学校法人の監事の責務は企業の監査役にぐっと近くなっていく。シンポジウムでは、日本監査役 協会の大川常務理事、青山学院大学の八田経営学部教授が講演されたが、企業の監査役は何を基準にして監査しているか、私学法の改正で監事監査はどのような位置付けになるのか、などがその内容であり、4年前に「青山学院は内部監査の専任者を公募した」との話を聞いたことと思い合わせると、この僅かの間に監事を取り巻く環境が格段に変ったことを感じた。  
 さらに文部科学省の浅田私学参事官の「私立学校法の改正と監事に求められるもの」と の講演があった。私学に対する社会の目が厳しくなっていること、学校経営の健全性、監事への期待、を絡めての私学法改正の論点を話された。大変なことになるのだな、との思いはしたけれど、それは監事一人では解決できない問題、学校とくに理事会の理解がなければならず、さてどうするか、で考えてしまった。つまり監事のおかれている環境と、求められている内容との差が大きいのである。
 さて、この会議では初日の夜に参加者の懇親会が行われるのが通例であるのだが、その懇親会の直前事務局の方から、「乾杯の音頭は参加者の最年長の方にお願いしておりますので何卒よろしく」と言われた。これに実は大変なショックを受けた。極めて当然のお話なのだが、これだけの参加者の中で最年長とは予想もしていなかったからである。自分の愚かさに改めて気付いた。  
 前に倣ってグループで話し合われたテーマを掲げておこう。この年度ではグループリーダーを辞退し、互選して頂いて甲南学園の渡部先生にお願いした。討議内容は次の通り。 1.監事監査基準について  2.外部監査人と学校法人との関係  3.監査報告書モデルについて  4.政策監査について、であった。4年前にはとても考えられなかったテーマであり、このテーマで参加者が話し合えるようになったこと、それだけこの監事会議が成果を上げてきたといえるだろう。  

 ここに監事会議について書いたが、私が学院監事を勤めて、それらしいことをしたのは、この会議に出席したことに尽きるかも知れない。内部監査の組織もつくられ室長に中川氏、また監事の常勤化も実現し竹石氏が就任した。これで私は何時でも辞任できることになったのだが、我ながら長い間勤めたものである。これは偏に大木先生、羽坂先生のお蔭であり、ここに心から感謝を申し上げる。
(2005.6.30)