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        羽坂理事長 有難うございました  

 去る9月29日の学校法人の理事会で、羽坂先生は正式に10月末で理事、理事長、ならびに評議員を辞任されることを表明されました。予ねてから自分が理事の任期が満了のときには、全ての役員から離れたいとのご意向を伺っておりましたので、この日驚くことはありませんでしたが、しかしとうとう其の日が来たのか、との思いを深くいたしました。  

 先生は既に84歳になられており、私としてはこれ以上のご苦労をお願いすることはできないと考えておりましたし、許されることなら、私の任期は来年5月まででありますが、実は先生とともにこの日に辞任したいと考えておりました。しかし後任者が決まらぬままに辞めることは出来ないと考え、結局来年5月まで任期一杯は勤め、新理事長、常務理事、常任監事とご相談して後任者を決めて、辞任させて頂きたいと存じております。 

 大木先生が院長、理事長の現職の侭お亡くなりになり、羽坂先生は理事長代理に就任されて早々、院長の後任に深町先生を選任されるに当たって、思わぬごたごたがありましたが、それを先生は見事に乗り切られました。いま理事会の中にはそれをご存知の方は少なくなったと思います。今から16年前のことですから、それも当然なのかも知れません。   

 先生は「就任当時は歯科医であった」とお話になられました。先生がそれまでに他の学校法人の役員のご経験はあったと承知しておりましたが、俄かに青山学院という大きな組織の長になられたのです、教職を勤められたのでもなく、また企業経営のご経験もない先生が、その日から16年3ヶ月の長きにわたってお勤めになられたのは、偏に先生のご円満なお人柄、弛まぬご努力によることは申すまでもありませんが、もう一つ、先生の強いご信仰の力がそれを支えていたと思います。 130年の歴史を誇る青山学院ではありますけれど、専門部が大学になったのは戦後で、その時から旧制大学に追いつき追い越せが始まり、大木先生がその先頭に立たれたことはまだ記憶に残っているところでありますけれど、先生はその路線を推進され大学厚木キャンパスを渕野邊に移転、専門職大学院を開校され、更にセカンダリーの諸施設の充実を図られ、総合学園として我が国屈指の存在になりました。  

 しかし時代が変わり少子高齢化が進むと判断された先生は、学院の財政基盤の確立にいち早く取り組まれ、青山学院維持協力会を提唱されました。他の募金活動もあって先生が期待された額にはまだ程遠いと思いますが、先生の残されたこの基金に、これからも校友は挙って協力しその充実に努めなければならないと思います。  

 もう一つは女子短大の問題、これは頭の痛い問題ですが、一つは女子学生が短大より大学を選ぶようになったこと、それに青山が女子教育の先駆者であった、こう申し上げると130年前に遡ると思われるかも知れませんが、私が中学部に学んでいた当時、昭和10年代ですが、青山女学院は高等女学校の中では超一流でした。その伝統を「あおたん」と呼ばれる短大に引き継がれてきましたが、その短大を存続させるのか、大学に吸収すべきなのか、先生を悩ませた問題であったと推察いたします。この結論は或いは時が解決してくれるのかも知れませんが、少子化が生んだ一つの問題でありました。学校の経営は、青山の場合この問題を含めて、これから大きな山にぶつかることを、先生は恐らく早くからお考えであったと思います。

  私は監事を長く勤めさせて頂きましたが、私大連盟が主催する「監事会議」との名の監事研修に参加し、各大学の監事の実態を知ることが出来ましたが、他大学と比べますと、青山の監事は理事の方たちと同じように大事にされていることが判りました。また監事会議で得た知識をもとに「内部監査」の実施、また監事の常任化をお願いしましたが、これを取り上げて頂きましたことは喜びであり感謝でありました。今年の8月の監事会議には竹石常任監事と中川監査室長が参加されましたが、帰ってからの報告は、多くの参加者の方々から「青山は羨ましい」と言われたと聞きました。これも先生の時宜を得たご判断があったからで、この面でも他校を一歩リードすることになりました。  

 先生が退任されるに当たって我々に残された言葉を、私なりに整理してみたのですが、それは次の4項目でした。第1は「建学の精神」を守り育てる」。第2は「教育と研究の充実」、第3は「財政基盤の確立」、そして第4は「社会からの評価を高める」でした。

 改めて先生からこれらの言葉をお聞きすると、これは先生が理事長として一貫して持っておられたお考えというより、信念であったと思いました。 青山学院130年の歴史をみれば、基督教の精神を守ってきており、これが学院教育の精神的な基本であり、これを失えば学院そのものの存在が否定されることになるとのお考えであったのです。また教育と研究の充実は当然であり、他大学と比較されるとき、また大学としての価値が言われるとき、これが大切なのですが、このための施設拡充は惜しみなく行っていく方針を示されたのです。財政基盤の確立は私学である以上これも当然のことですが、と同時にこれは無駄な支出、経費を抑えることを戒められたものです。社会からの評価に高い関心を、については、私の目からは異常な気もしたことがありましたが、これは教職員への牽制であったのかも知れません。一人一人学院の評価を落とすような行動をするな、ということであったのではないでしょうか。

 まだまだ先生とのことで書き残したいことはありますが、とりあえず先生に長い間お世話を頂きましたことに、心からの感謝を申し上げる次第です(2005.10.26)