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島田 智恵子さん

 島田さんのお名前を知ったのは、カトマンズにいる戸張至聖君からのメールであった。その内容は、彼女は世界七大陸の最高峰全てを登頂した日本人女性として、田部井さんについで2人目であることと、青山学院大学の卒業生であることであった。 戸張君はカトマンズで「ロイヤル華」という露天風呂を持つ店を経営しており、ヒマラヤを目指す日本の人達にはよく知られており、島田さんもその例に倣ってこの店を訪れ、戸張君と知り合ったのである。私はメールを見て島田さんに是非お目に掛かりたいと思い、7月に入ると山は雨季になるので島田さんは帰国されるし、戸張君もまた戻ってくるので、この機会にと願い、木村君を煩わせて7月25日に青学会館で、山岳部のOB,OGに集まって貰って小さなミーティングを開催することになった。 この日出席したのは、岩井OB会長をはじめ、木村君、戸張君、河本さん、永井夫人、高橋努・理恵夫妻、菅田さん、三原君、藤田君に私の11名であった。 島田さんにお会いしてまず驚いたことは、思っていたよりも小柄な方であったこと、体重は? とお聞きすることはできなかっが、その身体でエベレストを始めとする山々をよく登られたとまず感心、大学は昭和49年に文学部英文学科を卒業、ご子息は高校まで青山で学ばれ、既に医科大学を卒業されていると聞いて、また感心してしまった。 ここで7大陸の最高峰をご紹介しておく。

8848メートル エベレスト アジア
6959メートル アコンカグア 南アメリカ・アルゼンチン
6194メートル マッキンリー 北アメリカ・アラスカ
5895メートル キリマンジャロ アフリカ・タンザニア
5642メートル エルブルス ヨーロッパ・ロシアカフカス
4897メートル ヴィンソンマシフ 南極
4884メートル カルステンツ、・ヒラミッド オーストララシア・ニューギニア

                                                                                                      これらの山の名を全部知っている方は、相当の山岳ファンであるが、登るためにこの現地に行くだけでも大変な気がする。だからこの7峰を踏破された方は世界でも数少ないと承知しているが、その中に日本人女性が2人おられるのである。 島田さんのように望むが侭に山に登ることが出来るのは、私のような古い考えの者には「何故」と不思議な気がするのだが、どうも現在はこの考え方が主流のようで、どこの山岳会にも所属されていない個人の登山家が、昔ならチームを組んで極地法で頂上を目指したのが、今では一人でガイド、ポーターを雇って登るようになっているのである。

 そのお蔭でエベレストはシーズンになると銀座なみ?になるとの声もある。システムができたと言うべきか、商業化したというべきか、それは判らないけれど、登山がチームプレイから個人技になってしまったのだ。そのことをよく納得しておかないと、お話を聞いているうちに島田さんは超人的な方と錯覚してしまいそうになるが、決してそうでなく、登山そのものが時代とともに変わってきているのである。だから黙ってお目に掛かっていたら、こんな素晴らしい記録を持っている女性とはとても思えない方である。

話の途中で島田さんは1本のハーケンを取り出された。お聞きするとマナスルに登られて下山した時、別のパーティであったが、登山家ウルボコさんから贈られたものだという。それはそのハーケンが日本製であったからで、島田さんは一体これは誰方がお使いになったのか、50年前の槙有恒隊が初登頂の時なのか、或いはその後登った日本パーティだったのか、夢が膨らんだそうだが、長い間風雪に耐えた日本のハーケンが日本人の手に戻ったこの話は、何かほのぼのとしたものを感じるが、その日本人が島田さんであったことに運命的なものを感じた。

 島田さんの山行はこれからも続く。この28日に日本を発って、チベットにある8027メートルのシシャパンマの登頂を目指すという。それを淡々と述べられるのだが、そこにはどこまでも意欲的な闘志があり、頭の下がる思いがした。

 この日のささやかなミーティングは、改めて申すまでもなく青山の校友ばかりであったが、時間とともに島田さんは校友が持つ独特のムードを感じられたようだ。これが青山なので、私はこれが判る人を「青山人」と呼んでいるが、彼女も立派なその一人であった。 結婚式はキリスト教によって行われた由で、司式を当時学院の深町宗教部長にお願いしたと伺 った。これは確かではないが、島田さんは現在でもどこかの教会員だと思う。 (2006.7.27.)