Y05

冬季オリンピック終る  

 17日間にわたったトリノ・オリンピックは終った。次はカナダのバンクーバーで4年後に開かれるが、その時まで私は果たして生きていられるかどうか、情けない話だが考えてしまう。  

 5個のメダルを目標としたのに、獲得したのは1個、230人余りの役員・選手が送りこまれたにしては、惨敗とも言えるのオリンピックであった。それだけに荒川選手の金は輝くけれど、何を根拠に5個を目指すと言うことが出来たのか、選手の持つ記録から推定したのだろうが、4位が11人もいたというのだから、あながち誤りであったとは言えないが、このあと一歩が足りなかったことは確かだ。  

 「オリンピックは参加することに意義がある」と言われた時代があったが、今は国の威信を賭けて、とまでは言わないが、各国のメダル獲得競技になっている。そんな中にあって日本の選手諸君は自己の持つベストを更新しただろうか。寡聞にしてそのような話を聞いていない、つまりオリンピックに選ばれたけれど、この大舞台で自らの力を出し切れた選手は少なかったということか。何故出しきれないのか。私は精神面の弱さがそこにあったと思う。 真夜中のNHKの中継をご覧の方は大勢おられたと思うが、そこでのアナウサーは過去の記録を報じ、メダルは期待できると言う。そうした期待感が自然と選手の耳に入って、それが選手に微妙な影響を与えることはなかったか。  

 しかしこんなことは何処の国でもやっていること、日本の選手だけが受ける圧力ではない。だから選手がトリノに来てどのくらい自己管理ができたか、である。若い男の選手は勇ましく「メダルを狙います」という。自分を励ます積もりの言葉なのだろうが、結果は空回り、女子の金メダリストは「メダルは結果です、この舞台で楽しみます」と言っていた。これも自分をリラックスさせるための言葉だったのだろうが、聞く人はどっちの言葉に頼もしさを覚えただろうか。もう一つ敢えて申せば、各競技の監督、コーチの選手管理に誤りはなかったか、を伺いたい。日本にはメダル1個が相応しいのだ、では困る。日本のあらゆるスポーツが国際的レベルに伍していて欲しいと願う。今度のトリノ大会は日本人として不満であった。JOCに猛省を促したい。
(2006.2.27)

 28日にオリンピックに参加した選手が帰国してきた。テレビでは荒川選手を中心に報道したのは当然のことだが、彼女一人というのは淋しいことであった。スケート500メートルの清水選手は、精一杯やったと胸を張ったが、それは井の中の蛙、世界を知らない、自信過剰というか、であったことを示している。
5個のメダル獲得のの一人に数えられていた選手としては、自覚がないとしか言いようがない。
(2006.3.1.)