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裁判のこと(2)  

 この表題については一昨年2月にこのHP(B06)に書いたから、もう2年も前のことだ。再び取り上げたのは、「管制官に無罪判決」と新聞報道を見たらである。これは一体何のことかと読んでみたら、2001年に航空機起きたニアミス事件であることが判った。5年も前のことだから全く記憶になかったが、むしろ驚いたのは、このような事件の裁判に5年も掛かっていたことだ。またサリン事件があって11年目の日に霞ヶ関駅に献花台が準備され、ご遺族の方たちが故人を偲んで献花に訪れられたと報じた。この裁判がまだ続いていることはご承知の通りである。  

 事件から11年、何故こんな時間が必要なのか、犯人は自由は狭い独房に拘束されているだろうが、兎に角生きていることは間違いない。サリンで命を奪われた多くの人たちがあったのに、何故生かしておくのか、と言いたくなるのだが、憲法で保障された裁判を受けるためか。こんなことは言いたくないが、「裁判官の怠慢」といわれても仕方がないではないか。三権分立で政治からも国会からも離れて独立しているけれど、だから裁判にどのような時間が掛かろういいのだ、では困る。流石の小泉さんも「裁判のスピードアップ」を口に出来ないようだ。  

 ここにきてライブドア、防衛施設の談合、建築基準の偽装、子供の殺害、オレオレ詐欺、はっきりしたけじめを裁判所がつけて呉れなければ困るのに、これらの裁判も10年も掛かるのかと思えばうんざりする。裁判について判決が軽すぎるのではないか、と言う人がいる。犯罪を犯せばそれに相当する罰を受けるのだから、その罰が怖くて罪を犯さないと努めるのが一般的常識だから、裁判の結果は防犯にも役立っている一面がある。裁判員制度が何れ実施されるが、調査によると裁判員の考える判決は、裁判官よりも厳しいそうである。  

 もう一つある。それは控訴の制度、私が知りたいことの第一は、地裁の判決が何件あってその内の何%が高裁に控訴されるのか、また高裁の判決の何権が最高裁に控訴されるのか、である。余程の事件でない限り控訴されたかどうかをマスコミは扱わないから、その確立をしることが出来ない。しかし10年も掛かっている裁判は既に最高裁まで控訴されているのだろう。更に挙げれば一審での判決が二審で逆転するケース、裁判官の考え方によってこれもあり得ると思うと裁判の信頼性を考えてしまうが、裁判官も人、これだから控訴があると思って納得する以外はない。
(2006.3.22.)