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昭和天皇と靖国参拝  

 昭和天皇が靖国神社に最後の参拝をされたのは1975年11月、参拝は止められたその理由は、A級戦犯が合祀されたことに不快感を持たれたからだと言う。このことは当時何んとなく耳にしていたが、一つの噂ぐらいに思っていた。それが富田宮内庁長官が自分の手帳に「天皇のお言葉」としてメモされた中に、個人名まで挙げて記されていた。  

 昭和天皇は一貫して戦争には反対のお気持ち、というか世界平和を願っておられた方だったと思う。にも拘わらず満州で陸軍の独走に端を発して日支事変が起こり、それがやがてABCD包囲になり、その結果日本は南に石油を求め、ついに日米開戦になってしまった。これをどこかの段階で阻止することは如何に天皇でも無理であっただろう。しかし終戦は御前会議で天皇が決断されたから出来たことは、もう誰もが承知している。  
 終戦は1945年でそれから30年の間に8回靖国神社に参拝されている由、問題のA級戦犯が合祀されたのは何時かは判らないけれど、案外天皇が靖国参拝を止められた時に近いかもしれない。  

 戦時中まで靖国神社の大祭の日は学校は休み、我々学生には大変な恩恵であつた記憶があるが、この日には天皇は神社に参拝されるのが慣例であった。それが戦後になって30年に8回だから、申し訳けない言い方かもしれないが、天皇は足を遠ざけられのかも知れない。また富田メモに「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」との一節があるが、天皇はご自分の心として靖国参拝はしない、とのお気持ち、これは小泉さんと全く対照的であることに注目する。  

 昭和天皇が靖国参拝をご自分のご意志で取り止められたことが明らかになって、小泉さんの参拝とか、靖国神社の在り方がまた論議されることになろう。中国や韓国から首相の参拝の是非が言われるのは不愉快だが、私は「東条」にお参りするのは気が向かないが、一緒に祀られている中に、人間魚雷で亡くなった塚本太郎君、彼は小学校のクラスメイトであったが、をはじめとして戦争で亡くなった何人かが祀られている。その方達には時にはお参りしたいと思う。それは小泉的と言われるかもしれないが、私の年齢では戦争犠牲者は周囲に何人もおられるのである。昭和天皇は参拝取り止め、小泉さんは止めない、こんな論議は戦争を知らないマスコミの記者が騒いでいるに過ぎず、正直私もそっとしておいて欲しい一人なのである。
(2006.7.21)

 このニュースが流れたあと、福田さんが秋の自民党総裁戦から降りる、とのことになったが、これと靖国参拝を昭和天皇が止められ理由が明確になったこととが、どのような関係があるのだろうか。私はそれはない、と見ているが、余りにもタイミングがよすぎて、福田さんには気の毒な気がする。
(2006.7.22)  

 靖国参拝と自民党総裁選挙が絡んでいることは肯けない。小泉さんは総裁を辞めるのだから、首相も辞めるからもうそっとしてあげればいいのに、記者たちは「8月15日に靖国参拝をするのか」と問いつめると、「適切に判断します」と腹の内を明かさない。総裁戦に当確と言われる安倍さんもこれには触れようとしない。麻生さんはA級戦犯分岐論を述べたりして参拝そのものを否定しない、首相になったらしません、と言ったのは谷垣さんだけ。靖国参拝を肯定したらこの闘いに負けると思っている人はこの3人は勿論、選挙するする側にもj先ずいないと思う、だから大勢には影響はない。なのにそれを追っかけているのはマスコミだけのような気がする。

(2006.8.10.)