Y33

小学生の自殺  

 昨年9月に北海道滝川で小学校6年生の女児が、教室で首を吊って自殺した。その原因が「いじめ」によるものか、どうかでマスコミに取り上げられたが、その彼女の遺書があって10月5日に市の教育委員会は「いじめによる自殺」と漸く認め遺族に謝罪した。小学生が遺書を書いて自殺する、一体私知たちはこれを何と説明すればよいのだろうか。  

 彼女はどんな気持ちでこの遺書を書いたのか、どんな気持ちで自殺したのか、それを思うと私は耐えられない気持ちになる。たった12歳の子供である。死ぬということがどういうことか、判っていたのだろうか。遺書の全文を読んでいないから、軽々しいことは言えないけれど、まず私は本当に日々いじめに彼女はあっていたのだろうか、突然自殺したのではなく、自殺を考えてから実行までの間に、遺書を7通も書いている。それを書いていた間彼女の生活に何らかの変化があったと思うのだが、学校の担任教師は全く気付かなかったのか、また母親はどうであったのか、私には親にも、先生にも、友達にも何も気付かれなかったのが不思議なのである。  

 何故、教育委員会は今になって「いじめ」が原因と認めたのか。委員会は遺書を昨年9月の時点で見ていたのにも拘わらず、いじめが原因による自殺と判断しなかった。それは小学生の自殺という未曾有の事件に動転したのか、或いは学校側に監督不行き届きが問われるのではないか、いじめとなれば、クラスの子供たちに影響が及ぶ、などなどが頭に浮かんだのだろう。

 ところがこの事件が新聞に報道されたことで、遺書が明るみに出て結局1年たってやっと「いじめが原因の自殺」という結論を出し、市長、教育長らがご遺族を訪れて謝罪した。言葉を変えて言えば、教育委員会はこの遺書を握り潰していたのである。謝罪に来られた両親はどんな気持ちであったろう。「何を今更」であったかも知れないし、「もうそっとしておいて欲しい」であったかも知れない。  

 私は母親が一番可哀想に思う。自分の配慮の足りなさが、子供をここまで追い詰めたのではないか、何故私に相談してくれなかったのか、何故私は子供の悩みに気付かなかったのか、などと幾つも幾つもこの1年の間自分を責め続けていたに違いない。  

 子供が親を殺し、親が子供を殺すのが毎日のように繰り返されているのに、そうした中でのこの事件には、また考えさせられてしまった。
(2006.10.6)