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11月13日付け夕刊

 この日は新聞休刊日で朝刊がなかったが、夕刊を見て大袈裟に言えば「日本のこれからは大丈夫か」の感想であった。その内容を並べてみる。
1.31歳の母親が自分の子供を虐待死した、
2.埼玉県本庄で中学3年の男児が自殺、 
3.大阪の富田林で中学1年の女児が自殺、 
4.岐阜県庁の総務部長が裏金問題を苦にして自殺、 
5.北九州の小学校長が自殺、
 どれも人の命に関わる記事。何れもこの日の夕刊に記事として載っているが、皆さんお気付きであったろうか。 

 母親が子供を虐待死、これは秋田県の事件、自分が生んだ子供、それも4歳という一番可愛いさかり、何故死に追いやったのか、可愛いくない筈はないと思うのだが、その瞬間に母親は「おんな」になってしまったのだろうか。子供は本当に可哀想の一言。この母子には児童相談所が関わっていたようだが、全く役たたず、ここに働く人たちは子供の命を守るために、その子供がどのような環境にいるのか、をしっかり把握していなければならないところ。母親が子供を殺すなどということは考えもしないだろうが、現実に起きているのである。相談所なのだから、相談がなければ「知らぬ存ぜず」でよい、と言うのなら、相談所の名前を変えたらよい。未然に防ぐことが使命なのではないか。

 二人の中学生の自殺。私が中学の頃にはこんな事件はなかった気がする。いじめはどうだったか、言われると困るが、仲間はずれもいじめの内ならばあったかも知れない。もっとも仲間といっても数人のものだから、外された者は誰かの仲間に入っていく。だから孤独にはならなかったと思う。そのような中で自殺などはとても考えられない。しかし考えてみると、私は小学校も中学も先生に恵まれていた、お世話になった先生方は既に亡くなられたが、もしお話を聞ければ「とにかく世話の掛かる子供だった」仰言るかもしれない。つまり担任の先生次第で、我々は先生の掌の上で飛び回っていたに過ぎないのだろう。だから先生は絶対であり、言われたことに背くことなど考えられなかった。しかしこの自殺をした子供たちは、先生を絶対と思っていただろうか。尊敬していただろうか。何かこの辺に問題があるような気がする。 自殺の問題が起こると学校は早速保護者会を開らいて、校長以下の先生が揃って頭を下げる。私は学校に責任はないとは言わないが、それは校長ではなく担任の先生だと思う。子供に言われて初めて気付くのでは遅いのだが、話を聞いても無視する先生もいたというではないか。これでは子供から尊敬どころか信頼すらされない。まさに先生の資格も値打ちもない。ある学校では校長が自殺したと聞いたが、担任の教師が自殺しとは聞いていない。教師にとって教え子の自殺は他人事なのだ。責任を感ずることもないのだ。

 次は子供たちとは違って、岐阜県の総務部長の自殺、裏金問題が表面化している時だけに注目されるが、これは死んでお詫びするのか、誰かを庇って闇に葬るためなのか、判らない。ご本人の立場からみて、全く裏金について承知してなかった、とは思われないから、全ての責任を取った積もりかも知れないが、これで真相の一端が判らなくなったことは確かだと思う。この裏金問題は県の役人の仕業、とにかく日本では官僚や公務員の無駄使いは目にあまる。ここにきて県知事が関わったのが2件も続いたのだから困ったこと。こればかりは政府もお手上げ、地方分権も結構だが、公務員は国民への奉仕を第一に考えて貰わねばならないのだが、その教育は一体誰がするのか。公務員がその立場を利用して税金を自分のために使う、全く悲しいし許せない。

 小学校校長の自殺は教師として、教育の責任を果たしていなかった、とのお考えによると思うが、このような教師が一人でもおられたことは、悲しいが一つの光明をみた思いがする。それを司る教育委員会の人たち、前にも述べたが、全く無用の存在であることがはっきりした。教育長と呼ばれている人で、責任をとって辞任した人がいるのだろうか。この際伺いたいのはこの教育委員の報酬は幾らなのか。都道府県によって違うだろうが、公表して欲しい。この人たちも税金を無駄遣いしている。

 この日の夕刊を読んで「日本のこれからは大丈夫か」と思って書いたのだが、将来を考えると日本人そのものに悲観してしまったのだ。優れた民族なのだからもっと誇りを持たなければならないのに、情けなくなった。しかし嬉しい記事満載の紙面を見ることがあるかもを期待したい。 (2006.11.14)