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 教育再生会議  

 安倍首相直属の会議として新しく作られたもので、「いじめ」とか、教師の質とか、それに日本、郷土とそこに伝わる伝統、家族の大切さ、など、具体的に論じられているようだが、その内容は学校教育が知育に偏重しているのを、徳育にもっと目を向けよ、と述べているように思え、これには大賛成である。しかし長い間忘れていた徳育を果たして教室で今の学校で復活することが出来るのだろうか。  私は大体、再生会議という名前が気に入らない。再生とは失ったものを元に戻すことと理解するが、失わせたのは文部省ではなかったか。が今それを責めてもどうにもならない。私なら「新教育創生会議」つまり時代に合った、新しい教育の在りかたを一から考えて貰う。この会議がどのようなメンバーか判らないけれど、しかし容易に結論を得ることは大変だと思う。 

 新聞によると「学校教育を通じて、奉仕の精神、友情、親孝行、といった徳目を身に付けたり、奉仕活動などを通じて、忍耐や働く大切さなども身に付ける必要がある」と書かれている。この社会に生きていく、この社会の為になる、人間としての基本を掲げているが、これが今の教育の中で忘れられていたことを述べているに過ぎず、その意味では新しいとは言えないとも言える。

  ここに奉仕の言葉が出てきたのに驚いた。それは私が奉仕について学校で教えて貰った記憶がないからである。今の私はロータリーに馴染んだお蔭で、この奉仕について考える機会があったけれど、ロータリーでの奉仕の原語はService で日本では奉仕と訳されたのである。日本では「サービス」というと、例えば値段を安くして欲しいなどということに使われるが、本来の意味はこのように相手に求めるものでなく、自らが進んで相手に労力を提供するとか、尽くすことをいう。例えば神に礼拝するのも人としてのService なのである。奉仕とは相手に求めるものでなく、自分が相手にすることなのである。ボランティアというのは無償で働くことのようだが、この言葉の方がService に近いような気がする。

 希望としては、ここでは見当違いかも知れないが、体育も教育の一環として考えて欲しい。根性を身に付けさせるには知育でも徳育でもなく、自分の身体を動かすことで得られると思う。負けたくない、絶対に勝つ、そのためにはまず練習、トレーニングだろうが、それに耐えることが出来るには、根性が無くてはならない。それで体育、スポーツも教育の一つとしてこの会議で取り上げて欲しい。

( 2006.12.15)