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 教育基本法  

 この基本法は教育の憲法と言われるもので、それが何と59年ぶりに改正された。見かたによれば政治家は教育に関心が薄かったことになる。私は青山に関係するようになって、教育の在り方を考えさせられることになったが、時がたって判ったことは日本の学校教育は国、具体的に言えば文部科学省、によって規正されていることであった。別項の「教育再生会議」でも述べたが、教育は知識のみを学ばせるだけでなく、人間形成を目的にすべきである。先ず読み、書き、算盤をしっかり身に付けさせること、その上で本人が将来望む道を選んでそれに必要な知識を学ぶ。しかし学校はその知識の教育に偏ることなく、人間形成に大切な徳育と体育に十分な時間を取る。  

 最近子供の自殺とか、いじめ、もっと残念なのは少年犯罪、それも大人顔負けの事件を起こす。知識偏重教育の結果子供の間では優劣が点数ではっきりし、そこで劣等意識が芽生えても自分をコントロールする術をもっていないから、それで自暴自棄になるのではないか。学問である子供に負けても、駆け足で一番になれば、その子供は大きな落ち込みをしないと思う。  

 こんどの基本法には徳育への配慮があるように思えた。そのポイントが、愛国心、公共の精神、それに家庭教育、生涯学習とある。ご参考までにこれらの言葉についての私見を述べてみよう。  

 愛国心は「伝統と文化を尊重し、それらを育くんできた郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を学ぶ」。これが愛国心の定義とは私には全く考えられない。私なら愛国心を「日本人として」に改める。即ち、「日本人として伝統と文化を尊重し・・」この方が判り易くないだろうか。  

 公共の精神、これは前文の教育の理念にある言葉だが、この「公共の精神」とは何であるのか、この言葉だけでは全く意味が判らない。公共に奉仕する精神ならまだ判るが、公共という精神はどういうことを指しているのか、これは明確にして欲しい。  

 家庭教育、「父母その他の保護者は子の教育について、第一義的な責任を有する」との条文を新しく加えた、とある。責任があることを明示しているけれど、親にどのような教育を望んでいるのか。お箸の持ち方とか、家庭での行儀などなのか。こんなことは親なら言われなくても判っている筈、それを敢えて条文としたのは、親が子供をいじめる事件の影響であったのか。  

 生涯教育、59年前にはこんな言葉はなかった。「生涯にわたって学習できる社会の実現を目指す必要性についての条文」。この生涯教育は文部科学省の管轄、責任であっては困る。学習できる社会も大事であるが、国民一人一人が生涯学習をするという意欲、気持ちを持って貰えればこのような社会は自ずから生まれてくる。  

 この教育基本法の成立に安倍首相が熱心であることは結構だが、この基本法のポイントを見る限り、戦後60年続いた教育がこの基本法に馴染むようになるには、何年も掛かることを承知していなくてはならない。教育とはそういうものなのである。  

 この基本法の改正でこれに付随している諸法も逐次改正されると思うが、私はもっと学校に自由な教育が出来るようになって欲しいと願う。この改正を機に9年の義務教育制を廃止するという。これは日本では義務などと言わなくとも中学には全員が進むだろうし、高校にも既に100%近くが進学しているのが現実、その実情に沿っての措置と思われる。 が私が望むのは義務教育でなくなるのだから、文部科学省は全国統一的なことを考えることを止めて貰えればと思う。  

 教育委員会についても検討されているようだ。現在のように権限があるような、そしてどのような手続きで委員が選ばれているのか、決められた職務は何であるのか、余り忙しい職とは思えないが俸給はどの程度なのか、これら全てが判らないし、この委員会がクローズアップされて何の力がないことが判ってしまった。それが検討の対象になったことはよいことと言わねばならない。  

 しかしこれらはどれも時間のかかるものばかり。日本の教育がどう変わっていくのか、ゆっくりと注目しよう。
(2006.12.23)