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2005年1月が終わる

 新年を今年はホテルで迎えたことは別稿に書いたが、それから早くも1ヶ月がたってしまった。ホテルはそれなりに楽しめたが、家に帰ってから何故か風邪気味になり、それがお腹にきて下痢が続いてしまった。寒さを年甲斐もなく甘く見たからのようだ。何となく身体が不調になり、外に出ることも億劫になって不義理するところもあって、申し訳ないことをした。家内も膝が可笑しくなって家の中でも杖をついている始末で、二人で今年はいい1年になりそうにない、と話合う始末。二人で暖かい春の到来を鶴首していると言うのが今の心境なのだ。それにしてもこの晦日は新潟の被災地は大雪、だから東京も寒い日が続いている。  
 しかし何か書いておかなければの気持ちが出てきたが、どうも感心するような話題がない。しかし思いついたことを書き並べてみることにした。
 1.女性が殺される事件が多い。死体がトランクに詰められて捨てられたり、真夜中に強盗に襲われて殺されたのは年輩の女性、女性しかいないことを承知で事務所を襲ったのか、それは判らないけれど、僅か数万円のお金のために殺されてはたまったものではない。しかしそれらの犯人が捕まったというニュースは極めて少ないのにだから、本当にがっかりする。 この事件は言わばテロである。男女間の痴情の結果なら犯人は一人であろうが、強盗は集団のように思えてならない。私は殺人をしたら個人でも集団でもその理由の如何に拘わらず、計画的な殺人は極刑にすべきだと思う。犯人の人権というが、殺された人の人権はどうしてくれるのだろう。このような暗いニュースがこの新年になって何件あったか、近頃日本の治安の悪さにはがっかりするが、日本の裁判にもその責任の一端があるのではないか。これは今度の国会でも取り上げられているが、質問者は具体的な提議をしないし、答弁もおざなり、これでは国民は救われない。
 2,通常国会が始まった。与党と野党、というより自民党と民主党の対決国会にこれから終始するであろうが、民主党は予想通り小泉叩きだけに絞って論戦を展開しているが、しかしNHKなどの世論調査で、小泉内閣の支持率が大幅に下がったという結果は出てこない。政権交代は単なる謳い文句、何れ郵政民営化が論戦の焦点になるが、果たして民主党は民営化反対で現状支持なのだろうか。それとも民営化は賛成だが、分割方法などの具体案に反対なのか、これはこれからの問題だろう。   郵便業務の民営化はまだ理解できるが、保険業務は全国の郵便局で扱えることになったら、これは既存の保険会社を圧迫ることにならないのか。郵便貯金も現在は上限を1000万円にしているから銀行との差があるが、民営になればこの制限は撤廃になるから、全国に窓口を持つ郵便貯金業務の資金集めの力は大きい。それと集められた資金の運用管理はどこが責任を持つのか、現在はこの資金は国債に充てられているようだが、民営になったら資金は日本の国債よりも利率のよい海外の国債に流れることはないか。このような単純な問題だから、当然担当大臣は承知し対策を建てていることであろうが、こんなことが我々に知らされずに論議されることに、不安を持つのである。民主党は何処まで判っているのだろうか。
  3.ゆとりの教育という言葉が出てきた。本質的にはどういうことを言っているのか理解に苦しむのだが、最近学童の学力とくに国語力の低下が言われ、そこで文部科学省は教育委員会にそのレベルを高めるよう指示した由。あたかもこのレベルの低下は文科省の責任ではなく、教育委員会、さらには現場の教員の責任と言いたいようである。しかし現在の制度では学童の学力の低下、体力の低下の責任は全て文科省にある。教科書の選定、授業時間の決定、指導要領の決定など可なり細かいところまで文科省が指導している。国民の教育に国が方針を示し監督することは判るけれど、何となくこれは明治維新時代を今日まで引き摺っているの感がする。 これからは個性のある人材が求められる。今日の社会に於いては「浅く広く」よりも「狭くとも深く」の人材が求められていると考えている。決して社会的非常識の人でも差し支えないという意味ではない。人には得意不得意があり、得意のことを学ばせればきっと大きく成長するであろう。一番判るのは医術かもしれない。内科を選ぶか、外科か、産婦人科かは自分が決めることなのだろう。だから自分に適した道に進むことになるが、そのために医師がある科に偏ることが起こるかもしれないが、そこは何とかバランスが保たれているようだ。しかし現在は外科だけでも脳外科、心臓外科などと細分化されている。これは医学の進歩であり時代の要請で、それぞれの専門医のお蔭で多くの命が救われている。 最近一般の大学に専門職大学院がつくられているのも、その一端かも知れない。これらの大学院は文科省の指示や要請でつくられたのでなく、各大学の考えで、始められたのである。今までの教育だけではこの細分化された社会の要請に応じられなくなった、逆の見方をすれば専門的な知識の教育が求められているのである。 教育の最低限は、読み、書き、算盤でよいのだ。これを学生にしっかり教えれば、後は自分は何の勉強をすればよいのか、自分で決めればよい。この前提をしっかり理解して、教育はどうあるべきか、それが「ゆとりの教育」から一歩前進させることになると思う。
  4.NHKの海老沢会長が辞任した。これは番組担当者がその制作を下請けに依頼し、その業者から多額のリベートを受け取っていたことがわかり、それが視聴者の受信料の不払いを招いたことに因る。NHKは公共放送だからテレビを1台持ったら、受信料を払うことが法律で決められている。つまりNHKは国民の負担で経営されているのであるが、どうも職員は官僚化してしまい、予算が決められればその使い方に、神経が麻痺してしまったのであろう。考えてみればNHKは増収をはかる努力をしなくてもよい組織なのだ。官僚化になっても不思議はない。しかし視聴者の受信料不払いが会長を引き摺り降ろしたことは前代未聞の事件と言える。 最近のNHKの放映には我慢がならない。公共放送だから、前述の国語力低下についても各界の識者を集めて放映されるが、そのお膝元のアナウサーの言葉には時々吃驚させられる。北海道の白老がハクロウと言われたのには唖然としたが、いま毎朝放送されている「わかば」のテーマ音楽で歌われる歌は、あれは日本語なのか、と言いたい、これは歌詞はきちんとしているのだろうが、歌手が自分のことばで歌っている。これは歌手が日本の言葉で正しく歌うのことを考えていないのではないか。一方では正しい日本語が失われているのを嘆き、片方ではそれが何処吹く風では、まことに片手落ちではないか。公共放送であることの認識がNHKには徹底していないのではないかと考えてしまう。海老沢さんはこのことを認識していたのか、伺いたい気持ちである。
(2005.1.31)