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戦後60年

  今年は戦後60年に当たるとのこで何かいろいろな企画が行われる気配であるが、私などの感覚ではあの8月15日がもう60年も昔のことになったのか、との思いである。太平洋戦争も過去の歴史になっているのである。 日本がこの戦争に敗れてよかったのかどうか、それには多くの意見があるだろうけれど、私の父などは戦えば米国に勝てる筈がないとの考えであったから、敗戦は当然との目でみていた。そんな父であったから戦時中に憲兵隊から呼び出されたりしたが、当時若かった私はその父の考えに快く思わないこともあったし、非国民だとさえ思ったものだ。  

 しかし戦後になって、これで軍部が日本を支配することはなくなったと言い、また共産主義が日本に蔓延することにならないか、を怖れていた。つまり勝っていれば軍人が政治の中心になるし、負けたから共産主義が威張りだすとの予見であった。父は共産党が大嫌いで、読売新聞がこの勢力に乗っ取られたときには、正力氏に頼まれて団体交渉に出て、徳田球一と徹夜で口論したことを話してくれた。しかし幸いなことに日本は共産国家にはならなかった。  

 戦後60年というけれど、調べてみたら日露戦争の勝利を決定づけた日本海海戦は今から100年前であったことを知った。東郷大将が対馬沖でバルチック艦隊を迎えた時、艦隊の将兵に「皇国の興廃この一戦にあり、各員奮励努力せよ」の信号が発せられたことを、私たちは小学生のとき教えられた。何年生の時かは判らないけれど、それが1935年、昭和10年とすれば、6年生の時であったことになる。とすれば当時から僅か30年前の話を聞いたことになるのだが、その時は歴史の話として聞いていた記憶がある。しかし今30年前に何があったかを思い起こすと、東京オリンピックが31年前なのである。それが歴史の昔話になっているのだろうか。私たちの感覚から言えば、つい先日のことなのだが、いま10歳の子供たちには矢張り昔の話なのだろうか。これは確かめて見ないと判らない。それが60年前のことになると、一体何歳までの人が実感として終戦を受け止めることができるのだろうか。「10年一昔」という言葉を思えば一昔どころではない。  

 何故この60年がマスコミの話題になるのであろうか。広島では原爆の日の慰霊が続いている。首相が出席してまでになったのだから、これからも続くであろうが、もし100年続くなら、今年は日露戦争戦勝100年が行われてもいいのではないかと言いたくなる。どこのマスコミもこれを取り上げていないのは何故だろうか。敗戦を記念して、戦勝を忘れる、これは許されないと思うのは、間違っているのだろうか。今年の5月27日には東郷神社に参拝に行こうかとさえ思う。これは私が軍国主義だからではない。日本の長い歴史の中には勝ったこともあるし、負けたこともある。だから勝ったときの功労者を称え、負けたときの犠牲者を偲ぶのは当然なこと、考えてしまう。小泉さんの靖国神社参拝があれこれ言われるけれど、日本の国民とすれば当たり前のこと、小泉さんが5月27日に東郷神社にお参りしたらロシアは文句を言うだろうか。 こんな愚痴をいっても無駄であることは承知しているが、戦後の60年で日本はG7に席が持てる国になった。昔の日本も世界の強国と言われたのは、軍事力を持ってのことであったが、現在の国力は国民の努力の結果である。これは国民挙って誇りにしたい。 これからは世界を二分するような戦争は起こらない。経済の争いは続くであろうが、これは結果としては世界の人々に恩恵を齎す。戦後60年に当たって、世界的な視野にたって日本の新たな出発を考えて欲しいものだ。
(2005.2.11.)