Z35                            

この男は許せない  

 京都の進学塾で同志社大学学生のアルバイト教師が、その塾の教室で小学校6年生の女児をナイフで殺害した事件。私は如何なる理由があろうとこの男は許せない。
 
 まず、何故22歳の男が12歳の女の子に対抗意識を持ち、「自分はこの子に潰されてしまう」とまで思い詰めたのか。塾では先生と何人かの生徒、その中には一人ぐらい言うことを聞かない生徒がいても、不思議ではない。それを抹殺しようと考え、それも全く計画的にである。包丁を買い、ハンマーも買い、この日この子以外の生徒を他の教室に移して二人きりになり、教室に鍵を掛け、室内の監視カメラの電源を切る、まことに用意周到の振る舞いには舌をまく。殺人というのは不注意とか咄嗟のことが多いとか、或いはかっとなって行われることが多いと思っていたのに、決心して10日もの間冷静に計画を練り、それを確実に実行した、そういうことが平常の者に出来るのだろうか。
 
 ある人は、この学生がその女の子に惚れてしまったのではないか。大学生が小学生にだからまさかと思うけれど、もしそれが正しければ、その気持ちから開放されたいになり、それが殺人に繋がったことなる。本当ならこの女の子は哀れの一言に尽きる。
 
 もう一つ信じられないのは、殺した後自分で警察に連絡し、その場で逮捕されていること。逃げることは計画の中になかったのだろうか。抹殺することだけが目的であったということだ。
 
 同志社大学と言えば名門、塾の経営者は恐らく大して考えもせずにアルバイトに採用したことだろうし、被害者の親から「娘がこの先生を嫌がっている」と聞かされても、それを子供の我侭くらいに考えてしまったのではないか。塾の経営者は先生を信頼して生徒をある時間を任せるのであり、生徒も先生を信頼して授業を受けるのが普通の考えである。しかし、この男は双方からの信頼を裏切った。私はこの塾の経営者も、不可坑力であったと思うが、監督不行届きの責は免れないと思う。

 何れ裁判になるのだが、判決は死刑以外にはない。それでなければ日本の裁判は加害者に甘すぎると私は考える。
(2005.12.19)