第6章 結婚、それは別の人格を認めること



愛を忘れ性の快楽を追求した現代人への性の反撃


 愛さえあればという肉体の”自由恋愛”を主張する人たちには、根本的な盲点が隠され
ています。それは、そのような主張が、男であり女であるといった立場に立っている時だ
けのものであり、夫となり妻となり親となった時には、全く違ってくるということです。
 つまり、一人の男性としては、自分の欲望をそのまま肯定してほしいが、自分の妻や子
供が浮気したり遊び回ったりしてもらっては困るというのが実情であり、進んでいるので
もロマンチックでもなく、エゴイズムそのものなのです。
 現在、未成年の性体験が増加し、中学生や高校生の何割かが体験者であると新聞や雑誌
に発表されています。しかし、一体そのうちの何人が性体験を豊かなものとして感じてい
るでしょうか。おそらくそのうちのほとんどが、「なんだこんなものだったのか」と失望
したのではないでしょうか。そして、大人になり本当の意味で人を愛することができる
ようになって結婚した時、若い時に興味本意で安易に肉体関係を結んだことを悔いている
のではないでしょうか。
 しかし、ごくまれに例外的な男女がいます。それは、最初から愛より性を求める人たち
で、まさに血筋そのものが異性をむさぼり求めるというものです。
 彼らは本能的に、同族人種になる可能性のある人を捜し出し、その輪を広げていこうと
しています。
「愛があるならかまわないじゃないか」
「今どき処女なんて古い」
「みんなそう思っているよ」
 「彼らの言葉には繁殖力があり、免疫のない青少年の心を惑わせています。
 しばらく前、離婚率の増加が騒がれたことがありましたが、次に問題になると言われて
いるのが、若い主婦の浮気です。
 これは、結婚前に多くの男性と性体験のある今どきの女性が、結婚後、夫との性生活に
満足できず浮気するというもので、四千人の主婦にアンケートを採ったところ、その五割
が夫以外の男性と関係があるというショッキングな報告がされています。これこそ、愛を
忘れ、性の快楽のみを追求した現代人への、性の反撃とも言える深刻な現象ではないでし
ょうか。

結婚の条件は精神的に大人になること



 結婚に至る動機はいろいろありますが、注意しておかなければならないことがあります。
それはよくありがちなことですが、「一人だと淋しくて、結婚したら何かいいことがある
のではないか」という受け身の姿勢では、何も得られないということです。
 淋しさや孤独を感じるのは、あなただけではなく相手も同じです。あなたが淋しく慰め
てもらいたいと思っている時、相手もそうだったとしたらどうなるのでしょうか。
 お互いに愛されたいと思っているのに、自分の心の中に溢れ出る愛の思いがない。これ
こそ多くの青年たちが感じている現代の悲劇ではないでしょうか。
 結婚相手の条件として、学歴や収入や身長などが言われますが、実は最も重要な条件が、
愛という角度から見て、精神的に大人になっているかどうかという点なのです。淋しい、
愛されたいという思いは子供の願望であり、これを克服して他の人を愛せるようになった
人、他の人のことを優先して考えることができるようになった人が大人なのです。
 しかし現実は、肉体的には大人でも精神的には子供のままの人がなんと多いことでしょ
うか。子供同士が結婚して子供を生んでいく。そのため、自分の子供をどう教育したらい
いか分からないという親が増えています。
 その結果、親から愛され大切にされたという実感を持たない子供たちがどんどん増えて
いく。当然のこととして、人を信じられない、愛せないという情緒不安定で攻撃的な子供
たちが増えているのです。
結婚とは、精神的に大人になった男女が、自分の全存在を懸けて相手の幸福のために尽
くし、生涯を共にして共通の理想を実現していこうとする時、最も確固としたものになる
のであり、愛されたいと思っているうちは、まだ結婚する資格がないということなのです。
愛されたいから結婚するのではなく、自分の存在で相手を支えてあげたい、幸福にしてあ
げたいという動機なくして、結婚は幸福なものとはならないのです。

衝突や和解を繰り返し、夫婦らしくなっていく


 結婚してみて誰もが最初に痛感することは、相手の性格が違うのは当然のことですが、
物事の認識の仕方、判断の仕方、行動様式があまりにも違うということです。
 それまで学校や会社で異性の友達もいたわけですし、それなりに分かっていたつもりだ
ったのですが、実際に生活が始まってみると驚くことばかりです。
 私の新婚1年目は、毎日が驚きと感動の日々でした。
 例を挙げてみましょう。仕事から帰って居間でくつろいでいる時、家内は「お茶、飲み
ますか?」と尋ねてきます。私はこの言葉を聞くといつもムッとして、「亭主がお茶を飲
みたくなるタイミングくらい、女房の方で研究して、黙っていてもサッと出してくれたら
いいじゃないか」と思っていました。
 ある日、たまりかねてそう言ってみると、「黙っていたら分からないでしょう。あなた
がひとこと言ってくれればそれでいいだけじゃないの」という返事が返ってきました。要
するに人間のタイプが、不言実行型と有言実行型の違いだったわけです。
 一番大変だったのが、料理の好みの違いでした。私は農村出身の人間ですので、漬物や
煮物といった田舎風の料理を好みます。ところが家内は都市部出身で、そのためかスパゲ
ッティやフライ、サラダといった洋食風の料理ばかり作るのです。
 まさかそんなもの嫌いだとも言えず、おいしそうに食べました。家内は亭主の料理の好
みが分からずに自信を喪失。
 やがて一計を案じた家内は、私の郷里の母親に電話して私の好みを調べあげ、田舎風の
料理を作るようになりました。今ではふきのとうミソを作ったり、ぬかみそ漬けを作った
りして、料理の好みもほとんど同じになったのです。
 このように、それまでの生活環境がまるで違っていた二人が共同生活を始めるのですか
ら、摩擦が生じるのが当然です。その対立を解決していく過程の中で、夫婦の信頼と愛が
培われていくのではないでしょうか。
 よく夫婦の倦怠期だとか、性格の違いによる離婚だとかいう話がありますが、私は倦怠
期というのは嘘で、恋愛感情というそれこそ”幻”から覚め、相手を本当の意味で愛して
いくための重要な期間であると理解しています。
 「性格が違いすぎる」などと言って、その場から逃避しようとする人は、何度離婚して
も幸運をつかむのは難しいと言えるのではないでしょうか。

結婚生活は、人を愛せるようになるための最高の訓練


 結婚というものを人間理解という観点から見るならば、自分とまったく別の人格の存在
を認めることができるようになるということだと思います。
 自分だったらこうするのに、とても理解できないという衝突が何度も繰り返されます。
お互いに口もききたくないという状態が続き、やがてどちらからともなく和解する。これ
を半年、1年と繰り返すうちに、お互いの性格や癖がだんだん分かるようになり、夫婦ら
しくなっていくのです。
 独身時代には、いやな友人や上司とは付き合わなくても済みますが、結婚した相手とは
そうはいきません。
 お互いの平和と幸福のために、じっと耐えることも必要です。人を愛することは、こん
なに大変だったかと思い知らされ、結婚前の恋愛感情は、こうあって欲しいという自分の
願望、つまり理想の女性像を夢見ていたのであり、現実の相手を愛していたのではなかっ
たというのがよく分かります。
 結婚生活の中で家内を通じて、私は女性というものが少しずつ理解できるようになり、
自分自身の人間理解の幅が広くなったのではないかと思っています。
 結婚当初、家内は私の欠点を実によく見抜いていて、そのことを時々鋭く指摘してきま
した。自分でもそうではないかと思っていただけにショックであり、自分の欠点を改めて
再認識せざるを得ませんでした。
 これはお互いに言えることであり、その言い方とタイミングが問題ですが、夫婦という
関係は人間として成長するための重要な関係なのです。
 心理学者のE、フロムも「もし私が、真にひとりの人を愛するならば、私はすべての人
を愛し、世界の人を愛し、生命を愛するのである」と語っていますが、結婚生活は、まさ
に人を愛せるようになるための、最高の訓練の場と言えるでしょう。
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