第7章 幸福な夫婦となるために



相手を好きになる努力なくして、愛情は芽生えない


 夫婦としての共同生活の中で、互いを思いやるという本当の意味での愛情が芽生えるよ
うになり、少しずつ夫婦らしくなっていくわけですが、ほっておいてもそうなるというわ
けではありません。
 相手を好きになる努力が必要であり、自分の意志力で自分の情の世界を作り変えること
ができるかどうかが、いい夫婦になれるかどうかの分かれ目なのです。
 実際の夫婦生活の中では、恋愛時代には気にならなかったことがどうしても許せなかっ
たり、自分が先に謝らなければならないと分かっていても、なかなかそうできなかったり
というように、自分の感情をもてあますことがしばしばあります。そんな時にやさしい異
性が目の前に現れたら、自分たちの結婚は間違っていたのではないかとさえ考えてしまい
ます。「結婚は人生の墓場である」という表現はこの辺のことを指していると思われます。

最愛の人であると思って努力する


 数多くの夫婦を見てきたあるマリッジカウンセラーが、「いい夫婦になるためには相手
が自分にとって最愛の人であると思い込むことである」と語っていましたが、思い込む、
つまり自己演出できるかどうかが重要なポイントです。
 ほとんどの人は、感性や感情はそのままのものであって、コントロールできないと思っ
ているようですが、実は自己演出によってかなり変えることができるものです。
 有名なミュージカル映画「雨に唄えば」の中に「悲しいから泣くんじゃないよ。泣くか
ら悲しくなるんだよ」という言葉が出てきますが、皆さんもきっと同じような経験がある
のではないでしょうか。
 「あんな人とは口もききたくない」と思えばますます嫌いになってしまいますし、「少
し頼りないけど、根はやさしくて私にぴったりの人なの」と思うようにすると、だんだん
慕わしくなってきますから不思議です。「この人は私の最愛の人」と自分自身に言い聞か
せ、その言葉を絶えず口に出し、そのように行動することによって、愛情が沸きあがって
くるようになるのです。
 そんなのは自分の心を偽っているのであって、私は自分の心に正直でいたいという人も
いらっしゃると思いますが、恋いこがれてようやく結婚した相手に、「今はあなたを愛し
ていると思っていますが、世の中にはあなたよりももっと私にふさわしい人がいるかもし
れません。だからあなたが私の最愛の人かどうかは分からないのです」と言ったらどうな
るでしょうか。

夫婦そろって始めて完成した一個の人格となる


 プラトンの「饗宴」の中に、男女は昔一つの体だったため、引き裂かれた相手を捜し求
め続けていると書かれています。また聖書には、男性のあばら骨から女性を造ったとも書
かれているように、大人になった男女が結ばれるということは、それによって初めて完成
した一人の人格ができあがるということを意味しています。
 男性は自分にはないやさしさを女性に求めますし、女性は自分にはないたくましさや実
行力を男性に求めます。お互いの足らないところを補い合うべく、本質的に求めあうよう
になっているのではないでしょうか。
 自分は優れているのに相手は欠点だらけではないかと思っていると悲劇が始まります。
自分の欠点をありのままに認めることができる心があれば、相手をも素直に受けとめら
れるようになります。
 そして、愛し合う夫婦はやがて相手の人格の影響を知らず知らずのうちに受け、性格ま
まで変わっていくようになります。
 似た者夫婦というように、それはまるで兄弟のようでもあり、最も自分に近い友人とも
なってくれます。
 社会生活の荒波の中で、否定され孤立した時でも、この世でたった一人自分を信じ理解
解してくれる人がいたとしたら、どんなに心強いことでしょうか。それは何物にも勝る援
助であり、お互いが生涯にわたっての良き理解者となれるよう努力したいものです。

時には甘えさせ時には甘える、自由な愛の関係が必要


 考えてみれば、結婚後の人生の方がはるかに長いわけですが、そこには喜びと共にそれ
以上の悲しみや苦しみが待ち受けています。その時、お互いにどのように対処したらいい
のでしょうか。
 夫が会社の仕事の中で苦しくなったりつらくなったりすると、会社が終わった後にその
心を癒やしてくれるやさしい母親のような存在を求めるようになります。立派な肩書きを
持ち、多くの人から尊敬されているような人であっても、時にはすべてを忘れて子供のよ
うになり、母親の懐で甘えたいという欲求を持っているものです。
 反対に妻の立場から考えても、しっかりと自分を守り支えてくれる父親のようなたくま
しい男性像を夫に求めます。これは常に父親だけ母親だけというのではなく、お互いの心
の必要に応じて自由に変化するのが理想的です。ある時は親となって相手を甘えさせ守り、
ある時は反対に子供となって相手に甘える。この愛の回路ができあがると、そこから愛情
が無限に溢れでてくるのが分かります。愛は自分たちの心の中にはないのに、どこからか
大きな熱い思いが心に感じられ、その思いに反応して相手への愛情が湧き上がってくるの
です。
 こうなると二人が二人ではなくなり、四人五人それ以上の力となってきます。そして、
二人の間に湧き上がってきた愛情を周りの人々と分かち合いたいと思うようになってきま
す。情的なゆとりが生まれ、潤いが溢れでるようになります。仲の良い夫婦が持つ、安定
感や力強さ、輝くばかりの喜びの表情は、そこから生まれてくるのです。
 不幸な夫婦というのは、この親ー子、子ー親という愛情の歯車が合わない夫婦であり、
どちらか一方が、常に権力的な親であったり溺愛的な親であったり、あるいは逆に二人と
も愛情に飢えている子供だったりする場合に生じます。
 こうなると、二人でいることがむしろ苦痛となり、仕事に取り組む気力や生きる力さえ
そがれてきます。
 世の亭主族の浮気が、必ずしも美貌のOL嬢の色香に惑わされてのものではなく、むし
ろあんな美人でしっかり者の奥さんがいるのに、何故わざわざ風采の上がらない女性の所
に通うのだろうというような例の方が多いという事実が、愛情という問題の難しさを物語
っています。
 幸福な夫婦になるか不幸な夫婦になるかは、結婚以前に人の気持ちが分かる人間となっ
ているか、他のために尽くすことのできる人間になっているかという人間としての努力を
しているかどうかにかかっているということを、独身者はよくよく覚えていて下さい。
 結婚したら幸福になれるかもしれない、何かいいことがあるかもしれないというような
安易なものではありません。


すてきな男女となるための努力が必要


 男性の性質を表す言葉に、「釣った魚に餌はやらない」というものがあり、女性は結婚
すると安心してふてぶてしくなるとよく言われます。いずれにしろ、どちらも独身時代に
は良き配偶者を得るための努力を真剣に行い、相手から良く思われようと様々な努力をし
たはずです。
 しかし、結婚後は安心感もあってか会話も少なくなり、相手に良く思われるための努力
がなおざりになってしまいがちです。
 夫婦生活といっても現実の生活的なことが多くなり、ロマンチックなムードとは程遠く
なってしまいます。
 そこで、たまには二人で映画に行ったり食事をしたりして、すてきな男女となるための
努力を積極的にする必要があります。
 夫婦が仲良くなることで、マイナスとなるものは何もないからです。
 結婚当初、私は妻からよく叱られました。仕事が終わって家に帰ってくると、テレビを
見ながらボケッとしているというのです。食事をしながらも、仕事のことばかり考えて深
刻な顔をして黙っていますから、妻はいたたまれなくなって、「仕事しているのは男性ば
かりじゃありません。男性は仕事だけしていればそれで済むんだからいいわね」と、ぴし
ゃりとやられてしまいました。
 私にも言い分はあったのですが、どう考えても私が悪いのははっきりしており、それか
らは注意するようになりました。
 夫も妻もそれぞれ日常の事情圏が違うため、物事の認識や人間としての成長に違いが生
じやすく、そのずれを埋めるための努力が必要となります。
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