第10章 愛は自分の内に育てて、人との関りの中で注がれてくるミラクルパワー



文学や哲学は愛についての解答を与えていない


 愛は人間社会を結びつけ、潤いを与える最も大切な要素ですが、愛とは何か、どうした
ら愛情豊かな人間になれるかという根本的な課題について、文学や哲学ではこれぞという
解答を与えることができませんでした。
 それどころかむしろ混乱を与え、人生を生きるにあたっての真理はないのかという絶望
感と虚無感を与えてさえいるのではないでしょうか。
 高校時代に始まった私の愛情探求の旅は、中年になって今ようやくそれなりの結論を得、
次の目標に向かおうとしているところです。
 今までの九章の内容は、不十分ながら私が見聞きし自分で体験するなかでこれだと感じ
させられたものですが、ここで、愛の成長していくプロセスをもう一度整理してみたいと
思います。

両親から愛されて、心に愛の感性が育つ


 この世に生をうけて、最初に感じるのは両親からの溢れんばかりの愛情です。その誕生
を望まれ、多くの人々に祝福されて温かい歓迎の雰囲気の中で、赤ん坊は愛情というもの
の温かさと素晴らしさを体で学んでいくわけです。
 「三つ子の魂百まで」とよく言われるように、この時期に心に感じた親からの愛情が、
その子の人格の基礎となり人間関係の根本となります。
 頭の中を走る様々な脳細胞が結ばれるのがこの幼児期であり、愛情に溢れた家庭の中で
育った子供の脳細胞はたくさん結ばれて優秀な頭脳となり、愛情に飢えた子供の脳細胞は
発達が遅れるという最近の大脳生理学者の研究報告は、この時期の重要性を立証していま
す。
 これ以上は、大脳生理学の分野になってしまいますのでそちらに譲るとして、両親の愛
情を受けて初めて心に愛の感性が育ち、愛情の素晴らしいことや温かさを知り、他人をも
同じように愛していくことができるようになるということを、幼児期のまとめにしておき
ます。

愛するとは相手の幸福のために無私になって尽くすこと


それでは「愛する」とは一体どうすることなのでしょうか。子を持って親となってみる
と、子供に対して無条件にいとおしいという気持ちがこみ上げてきます。そして子供の幸
福のためなら、どんなことでもしてあげたいという気持ちになります。
 しかし、それは子供のやりたいということをそのまま受け入れることではありません。
子供のわがままを直すために、心を鬼にして厳しく叱らなければならない時もあります。
言って分からなければ、押し入れに閉じ込めたり、家の外に出したりする体罰も必要です。
 このように、親の子供への愛情を見る中に愛の定義を見つけ出すことができます。つま
り、「愛する」とは、相手の幸福のために無私となって尽くすことであり、「好き」だか
ら「いとおしい」からというような感情の問題ではなく、意志力と責任の問題だというこ
とです。
 思春期になって、特定の異性に心が引かれるようになると、不安定な気持ちになります。
 さらに男性は、性的欲求を強く持つようになり、異性への憧れと性欲との葛藤の中でど
うしていいか分からずに悩みます。
 これらの複雑な感情は、やがて彼らが結婚して家庭を持つようになるための前兆であり、
大人となるために、人間としての訓練を積みなさいという天の合図とも言えるのではない
でしょうか。
 思春期になると、異性に引かれるようになりますが、これは磁石のS極とN極が引き合
うように、夫婦となるべき相手を探し求めるための自然の摂理とも言えるでしょう。
 この時の感情は、こちらの女性からあちらの女性へというようにうつろいやすいもので、
なぜその女性がいいのか、理屈で説明できるようなものではありませんが、第三者から見
るならば、家庭環境の中で形づくられた父親像、母親像によるところが大きいよう思われ
ます。
 この不安定な思春期を乗り越える鍵となりものは、両親から受け継いできた愛情と両親
に見る夫婦愛の世界です。両親のような夫婦になりたいと思っているなら、愛の力によっ
て感情と性欲をコントロールし、相手を大切にしようとします。
 性欲の問題については、父親がもっと性のありのままの姿を、子供に正確に伝えなけれ
ばならないと思います。
 男性は性関係を結ぶだけで快感が得られるものと思っていますが、実際には肉体関係を
結んだだけでは、それほどの快感は得られず、深い愛情とお互いの努力なしには到達する
ことのできない、精神的な世界です。
 最も自己本位な性欲を愛情という、相手のために生きるという思いやりと意志によって
コントロールし、お互いの努力を積み重ねることにより、初めてお互いに喜びを感じるこ
とができるものです。
 若い青年男女の一部に見られる、同棲や性体験は、まだ人間としての愛情が未完成の時
であるため、相手への責任や肉体への配慮ができず性体験も未熟なものに終わってしまい
ます。
 性は心と体のバランスが取れ、熟するならもっと素晴らしく豊かなものとなるのに、未
熟のうちにもぎ取ってしまうと、むしろ愛情や人間が信じられなくなるという、恐ろしい
結果をもたらしてしまうのです。

家庭は愛情を完成させるための人間練磨道場


 結婚によって、人間は初めて異性という存在を具体的に知るようになります。独身時代
には分からなかった微妙な感情の動きや、基礎知識の違い、男性と女性では根本的に違う
愛と性欲。
 新婚ほやほやの夫婦というと、甘い雰囲気を連想しますが、当の本人たちにとっては、
毎日相手のデータを集めながら、次はどんなボールを投げたらいいだろうという具合に、
研究と学習の日々であり、性生活についても結婚前に男性が考える「結婚したら毎日楽し
める」というようなものではありません。
 いずれにせよ、結婚によって人は愛することの重みと、その意味を知るようになり、人
に対する接し方が少しずつ変わっていくようになります。
 子育てとなると、さらに忍耐を強いられるようになります。善悪も分からないまがまま
な子供を、立派な社会人になるまで育てるためには、親の相当な努力と愛情が必要であり、
自分の分身のような子供の姿を見ていると、反省させられることのほうが多く、結局子育
てとは、自分自身を育てることであると気付かされるのです。

人間は人との関りの中で幸福となる


 社会生活は、個人と家庭生活の延長にあるものですが、自分の個性を生かしながら他の
ために何ができるかという愛の実践の場であり、それ以前の個人と家庭生活の中で、自分
の心の中に愛情を育てていない人は、他人との人間関係がうまくいきません。
 社会人として仕事ができるかどうかは、結局のところ人間関係をどれだけ円滑にできる
かにかかっており、自己主張が強かったり人間への不信が強い人は、仕事もうまくいきま
せん。
 人間にとっては、お金や権力や能力は人との関りの中で初めて生きてくるものであり、
人間は人の間でしか幸福になれない存在なのです。
 孤独が好きな人などは本来存在せず、人と仲良くしたいと思いながらも、なかなか思う
ようにいかず、自分の殻の中に閉じこもるようになっているのが現状ではないでしょうか。
 一度や二度、恥をかいたり失敗することを恐れずに、人間誰もが持っている愛情と善意
を信じて、相手の懐に飛び込んでみましょう。まず自分の殻を捨てて、相手の前に立って
みると以外とスムーズに話が通じるものです。苦手なタイプでも、幼かった頃の故郷の思
い出を聞いてみたりすると、それをきっかけにして仲が良くなることもあります。
 誰もが良き話し相手を求めており、自分にとって大切な人が何人いるかが、人生のかけ
がえのない宝となるのです。
 いったんこのような人間関係の回路ができあがると、心の中に喜びや思いやりの気持ち
が溢れんばかりに沸き上がってきます。
 愛は私たち人間がこの地球の上で仲良く暮らそうとする時、癖の多い私たちへの潤滑油
として宇宙のどこからか注がれてくるミラクルパワーです。幸福な人生を過ごすことので
きた人は、例外なくこのパワーを自分自身の内に取り入れています。仏教で大生命と呼び、
キリスト教で神と呼んだこの力は、人のために尽くそうという思いを持った人の心に注が
れ、枯れることがありません。
 今まで、おこがましくも青春説法と銘打って書いてきたのも、皆さんにこの素晴らしい
宇宙の力の存在を知っていただきたいためであり、その愛の力によって自分の心を作りか
え、幸福に満ち溢れた人生を送っていただきたいためなのです。
このページの一番上に戻る