罪との命がけの戦い


                           永遠なる存在、神の前に罪とは、何かを盗んだとか人を傷つけたとか殺したと

いう法律上の問題ではなく、親である神の願いに背き、不倫な男女関係により不

幸になり、神も分からなくなり、自分自身の本当の姿も分からなくなってしまっ

たことを言います。

 人間が罪人であることに一番痛みを感じているのは、人間ではなく、親である

神であることを、今までの宗教は分かっていませんでした。

 旧約聖書の中で、神は自らのことを「ねたむ神である」と語り、激しい怒りを

人間に向けたことがありましたが、それほどまでに、神は人類を愛し、幸福を願

っていたのです。

      神の心の傷となっている恨みをどう解放することができるかというのが、実は

人類歴史の根底にある重要な課題だったのです。

 人間を悪にさそった精神的な存在を悪魔、サタンと言い、人間の心の死角から

忍びより、怒りや妬み嫉妬、プライドを煽りながら、人間を悪に引きずりこんで

不幸にさせてしまいます。

 時には、良心のような、神のような顔をして、真理を語り、真理通りに生きら

れない人間を苦しめ、絶望へと追い込みます。

 こうして、すべての人間がサタンの奴隷となり、サタンが現実世界の支配者と

なってしまいました。

 何をやってもうまく行かず、自分の良心からは「それでいいのか!」と追求さ

れ、人の幸福を妬み、どんよりとした心の状態となっています。
 悪の根源は、独裁者や政治体制ではなく、人間関係を不信させ、足を引っぱっ

ている、目に見えないサタンであるということに人類は気がつかなければなりま

せん。

 霊的に敏感な宗教家や修道者は、生きて働くサタンをはっきりと認識し、罪と

の命がけの戦いをしてきました。

       悪とは、人や社会、国ではなく、自分の弱い心や肉体に忍びよってくる甘いさ

さやきであり、肉体の誘惑であり、その背後に潜むサタンであることを、経験か

ら学んだ宗教家は、滝に打たれたり、断食をしたり、睡眠時間を縮めたりしなが

ら、食欲、性欲、睡眠欲から入ってくるサタンとの命がけの戦いを行いました。

       神を意識せず、ボーッとした生活をしている時には、心に何の葛藤も起きませ

ん。

 しかし、神を意識し、正しく生きようとすると、とたんに妨害する勢力が攻撃

をしかけてきます。ここで私たちもサタンの存在についておぼろげながら意識す

るようになります。

 しかし、その目に見えない存在が、ものすごく力のある存在であることが分か

ると、戦う気力を無くしてしまいます。

 「誰だってこの力には勝てなかったのだ。自分のような弱い人間がサタンの相

手をできるわけがない。ここで妥協して普通の人間の生き方をしよう。皆そうし

て生きているじゃないか」 

 サタンはいつもこのようにささやきかけ、サタンとの戦線から人間を脱落させ

るのです。

 サタンとの戦いが、自分ひとりの戦いだと思うと、おじけづいてしまいます。

 しかし、この戦いが自分ひとりの戦いではなく、歴史をかけた戦いであり、自

分がサタンに勝利することが、人類の歴史を清算し、先祖の霊界での苦しみを解

放し、神の恨みを解放することであると分かれば、勇気がわいてきます。自分ひ

とりの戦いではない、先祖の霊も見守っているし、善霊たちも、天使も神も自分

の戦いぶりを見ていると分かれば力が出てきます。 

 さらに神は、サタンに讒訴されないようにこっそりとサタンとの戦い方を教え

てくださるのです。

 そして今の時代に、神は文鮮明先生を通じて、悪とは何か、サタンの正体とは

何か、どうしたらサタンを見抜き、戦いに勝利することが出来るかを教えてくだ

さいました。 

        その文先生と文先生に従う教会員とともにある時、サタンの攻撃から逃れるこ

とができます。もう、自分一人の戦いではないのです。

            かつて、サタンとの命がけの戦いで、多くの宗教家や修道者たちが先陣を切っ

ていきました。彼らは、今の私たちのように豊富なみ言葉もありませんでした。

 またサタンの正体やその手口についても分かっていませんでした。文先生のよう

な指導者も持っていませんでした。

       しかし、「悪は絶対に許せない」「自分は殺されても、サタンの自由にはさせな

い」「サタンにもダメージを与えてやる」という決意で、冷たい滝に打たれ、断

食をし、命がけの戦いを行ったのです。

 彼らは霊界で今の私たちの戦いぶりを見ています。豊富なみ言葉と文鮮明先生

という指導者に従う私たちが、どんな戦い方をするだろうかと。彼らの戦いは、

今の私たちよりもはるかに難しく、困難なものだったわけですから。

 私たちの戦いは、孤独なようですが、一人の戦いではありません。先祖が見守

り、善霊が見守り、文先生が見守り、神が見守っています。サタンと戦う武器と

しての剣である真理というみ言葉があります。歴史をかけた戦いをみごとに戦い

抜こうではありませんか。