「パパ!」
いつか、そんな日が来るだろうとは予感していました。父も脳溢血でしたし、
父方の親戚の多くが早死にでした。パパにも子供たちにも、「ママは早く死ぬと
思う」と時々話していましたね。高血圧のため、納豆を食べたり、リンゴ酢を飲
んだりして動脈硬化には注意していましたが、その日は突然やってきました。
8月16日土曜日。お盆の帰省から戻ってきてた翌日は、洗濯と後片付けです。
パパは会社に行くつもりでしたが、なぜか行くのを止めてパソコンでメールチェ
ックなどをしています。私もなんだか疲れて、洗濯を終えるとめずらしくお昼寝
をしてしまいました。
3時すぎに起きると、パパは居間でパソコンに向かって何か仕事をしていまし
た。パパとお茶を飲みながら、「パパ、うちの子供たちは、みんないい子に育っ
たよ」という言葉がなぜか、口から出て来ました。子供たちへの最後の言葉を語
らせられたんですね。
午後6時頃、夕食はみんなの好きなビビンバにしようと、材料をメモに書き出
して立ち上がった時、後頭部がかっと熱くなり、フラフラとして居間のソファー
の前にドーンと倒れてしまいました。
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「パパ!」
それが愛するパパへのこの世での最後の言葉になってしまったのです。何がど
うなったのか、しばらく分かりませんでした。気がつくと、私は居間に立ってい
てその場の様子を静かに見ていました。
「ママ!ママ!」
パパは私に必死に呼びかけています。そして脳の中で出血したのだろうと気が
ついたようです。隣の部屋にいた息子を呼ぶと、119番に電話しています。
「どうなるのかな、この様子だとおそらく生き返るのは無理じゃないかな。パパ
に、家のことや家計のことをもっと早く教えておくんだった」
私も後悔しました。しかし、人生の終わりは思いもかけない時に突然やって
来るものですね。
数分後、救急車がマンションに到着し、救急隊員がストレッチャーを持って
我が家にやって来ました。てきぱきと質問をし、気道を確保し、酸素マスクをつ
けてストレッチャーに私を乗せ、近くの大学病院に向かいました。娘がアルバイ
トしているコンビ二の前を通ります。
「ママが今倒れちゃったの。後で病院に来てね」
パパは、救急車の中で呆然としています。
「そうだよね、なんでこんなことになるの?これが夢であって欲しいと誰でも
思うよね。だけど、パパ、私はここにいるのよ、いつも一緒にいるんだから心配
しないで」
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この大学病院は、いつも駅からは見ていましたが来るのは初めてです。緊急外
来の手術室に運びこまれ、くも膜下出血で危険な状態と告げられ、パパは、外で
深刻な顔をして待っていました。
パパが最初に電話したのは、新潟の私の母。
「おかあさん、敏江さんがくも膜下出血で倒れ、5段階で4段階目の危険度だ
そうです。敏江さんを守ってやれなくてすみませんでした」
パパも泣いていました。母は、「ああ、神も仏もあるものか、こんなことにな
るなんて」とがっくりとしていました。
夜の12時前、子供たち3人が病院にやってきました。長女はコンビ二のアル
バイトを終え、次女は、友達と埼玉県長瀞の川下りの遊びに行っていて連絡を受
けたそうです。息子は家で連絡係。病院では携帯電話が使えないため、パパは病
院の公衆電話から関係者に連絡していました。情報社会の中で、携帯電話も使え
ないのはとても不便ですね。
パパは子供たちに、病名はくも膜下出血で、5段階のうちの4段階の危険度に
あるという先生から聞いた説明を伝えていました。パパも子供たちも深刻で暗い
顔をしています。
「みんな、どうしたの。人間の命は肉体だけじゃないのよ。私はここにいるの
に誰も気がつかない。失礼しちゃうわね。今まで教会に通って神様のことや霊界
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のことを勉強してきたのに、いざとなったらあわてふためいて。まあ、私も不信
仰のほうだから人のことは言えないけど。でも、こんなことじゃ困っちゃうわ」
パパは子供を家に帰して、一人で集中治療室の前のソファーにうずくまってい
ます。私は、どう見てもこの世界に戻れそうもなく、パパが私の分も頑張っても
らわなければならないのに、パパは、
「神様を信じて30年以上もやってきたのに、何でこんなことになるの?神様、
あなたはいらっしゃらないのですか?なんとかして家内を助けてください」と、
涙を浮かべての混乱状態。肝心のパパがこんな状態じゃ、私も安心して向こうへ
は行けません。
「困ったな、誰か来てくれないかな。パパの御先祖様、こういう時こそ応援
お願いします」
8月17日午後、パパのお兄さんが新潟から来てくださいました。そして夕方、
青葉台教会の下垣先生と会社の上司である小柳社長がお見舞いに来てくださいま
した。
「みなさん、お忙しいところ、本当にありがとうございます」
誰もベッドとは離れた所にいる私には気づいてはくれませんが、心からの挨拶
をしました。
パパから私の病状を聞いた下垣先生は、「神様は奥様の命を奪うのが目的では
ありません。奥様は亡くなりません」と語り出しました。パパも子供たちも怪訝
な顔をしています。
「そうですよね。肉体は集中治療室に横たわっているけど、現に私はここにこ
うしているのだし」。
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下垣先生は、死を宣告された教会員が奇跡的に命を取り留めた例をあげながら、
8月26日に青葉台教会に韓国からすばらしい霊能力を持った方が来られること
になっているから、奇跡が起きるかも知れないと語ってくださいました。でも、
うちのパパは工学部出身で、そういう奇跡はあまり信じないから、このお話が効
果があるかしら。
しかし、このお話の途中で、子供たちの暗かった顔が、霧が晴れるように見る
見るうちに変わっていったのです。希望に溢れ、明るい顔になりました。これに
はその場にいた小柳社長も驚きましたし、なによりもパパがそういう子供の変化
を見て「ああ、そうだ。霊界があるんだ。仮に奇跡が起こらなくても、ママはど
こか遠くに行ってしまうんじゃない。神様のもとに行くんだから」と気づいてく
れました。
「ああ、神様ありがとうございました。パパがようやく立ち直ってくれました。
これでなんとかなります」
お話が終わった後、下垣先生がお祈りしてくださいました。パパのお兄さんも、
このお祈りに加わってくださいました。お兄さんの娘さんは、少し霊的になりキ
リスト教会に通っていますから、こういうお話は分かってくださるはずです。そ
して、毎晩この集中治療室の前で祈祷会をすることになりました。パパは、子供
たちと家に帰って休むことにしました。
「私もみんなと一緒におうちに帰るわ。病院は悲しくて辛い霊界の人が多くて、
私もいや」
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息子がパパと歩きながら話をしています。
「不思議だね。ママがこんな状態だけど、いつもの我が家とまったく変わらない
ね。全然不安はないし、ママがここにいないだけだね」
「まあ、実はママはみんなと一緒にいるのよ。だから、みんなの心に不安がな
いの。分かってないのね。でも家族そろって家に帰るから、私も嬉しいわ。みん
なも魂が永遠に生きることが分かったようだから、これで一安心。今日はゆっく
り休みましょう」
この夜は、パパも子供たちも安心してゆっくり休むことができました。
翌日、パパは病院で脳外科の先生から私の病状についての説明を受けました。
くも膜下出血で倒れて大学病院に緊急入院し、脳の中のどこが出血しているかを
調べるためにカテーテル検査をしようとしたが、脳の中の血圧が高すぎて、検査
ができない状態であること。そのため、手術をすることも出来ず、生命をつかさ
どる重要な脳幹も損傷していると思われること、脳の圧力を下げるために頭蓋骨
に穴を開けて水を抜く手術をすることなどでした。
パパは、私の地上での生命は時間の問題だと悟ったようです。私も、昨年に高
血圧から目の眼底で出血し、レーザーによる手術をしましたが、あの時、脳全体
の検査をしておくのだったなと後悔しました。今年の7月にパパは目まいでMR
I検査を受け、その時に「ママもMRI検査を受けたらいい」とパパから言われ
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ていたのに、「そんな検査必要ないわ」と真剣に考えなかった私も軽率でしたね。
これも神様からの警告だったのかも知れません。
「でもパパやみんな。神様は助けてくださる力がないのかなんて思わないでね。
ママの家系は、みんな高血圧で早死していて、ママももっと早く死ぬ運命だった
のかもしれないの。でも、小さい子供を3人も残したらパパが大変だろうからと、
神様が運命の時をずっと引き伸ばしてくださっていたのだと思うの。そして家族
そろって旅行したり、田舎に帰ったりして、家族の思い出をほかの家庭よりたく
さん与えてくださったのだと思うわ。
パパとだってこの5年くらいは、仕事場も一緒だったし、お料理を教えたりし
てとても楽しかったわ。仲もよかったし、50代でラブラブ夫婦なんて、そうめ
ったにいるもんじゃない。幸せすぎて怖いくらいだったの。すべては、この時が
来ることをご存知だった神様が、我が家のみんなに幸せをいっぱい、いっぱい与
えてくださったのよ。このことを早く気づいてね」
それまで、家族そろってみ言葉を訓読し、お祈りすることは我が家ではなかな
かできませんでした。パパと二人で休む前にするのが精いっぱいでした。でもこ
の日から、夜の10時になると家族が居間に集まり、ローソクに火をつけ、み言
葉を訓読し、真剣に祈祷するようになりました。それはとても充実した時間であ
り、私もとてもうれしく、その場に一緒にいました。
私の地上での生命は、難しいだろうと覚悟していたパパは、子供たちに、仮に
ママが生きかえらなかったとしても、神様を恨んではいけないと語っていました。
さすがはパパ。私の思いが通じたのね。
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翌日から、私が倒れたことを聞いて、かつて一緒に仕事をしていた同僚やなつ
かしい友人、会社の人や教会の人が次々とお見舞いに来てくださいました。集中
治療室なので、家族以外は面会禁止なのですが、パパは、「親戚の面会」という
ことにして、私のベッドに案内しました。病院側も親戚にしては人数が多すぎる
と分かってはいたのでしょうが、病状を考えて大目に見てくれていたようです。
パパは、普段では会えない、懐かしい人が見舞いに来てくださり、その気持ち
が嬉しいとポロポロ涙を流してばかりです。子供たちは、やはり教会の人たちは
違うと喜んでおりました。
新潟の私の母が駆けつけ、応援体制に入ってくださいました。みんなの食事を
作ってくれたり、掃除をしてくれたりで、大助かりです。もともと、この公団の
マンションは、高齢で一人暮らしをしている母をひき取って一緒に生活したいと
いう私の願いで借りた4LDKですから、ようやく本来の役に立てるようになっ
てとても嬉しいのです。母がこのまま、ずっと一緒に生活してくれたら、どれだ
け嬉しいことでしょう。
パパのお兄さん夫婦と、パパを子供の頃から可愛がってくださった川口の叔父
さんも見舞いに駆けつけてくださいました。それも、かなりの金額のお見舞い金
まで持ってです。本当にありがたいことです。皆さん、この状態がいつまで続く
のか?手術できないのか?こんなに立派な大学病院だと、お金も相当かかるので
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はないかなどと、いろいろ心配してくれています。
パパと子供たちは、午前10時と午後7時に病院に行くようにしました。そし
て夜には青葉台教会の下垣先生が必ず来てくださり、子供たちにもいろいろお話
しをしてくださり、集中治療室の前のソファーで、いつも祈祷会となりました。
二人の娘は、下垣先生の大ファンとなり、喜んでお話を聞いていました。下垣
先生が、「この期間中に、やり残したこと、心にひっかかっている問題を清算し
ましょう」と語られると、次女が急に立ち上がって、何かを病院のゴミ箱に捨て
ました。
パパが「何?」と聞くと、次女は「ママに黙って、アメリカで耳に穴を開けて
ピアスをしてたの。ママがそうするのを嫌だと知ってたから、捨てる。ママごめ
んなさい」と涙ぐんでいます。今年の夏に帰ってきた時、実は私は気づいていま
したが、知らないふりして黙っていたのです。
「ママが愛する子供たちの変化に気がつかないとでも思ってたの?でもあなた
が自分からごめんなさいと言ってくれたから、それでいいのよ」
長女は、高校時代の友人とこじれており、それが心にひっかかっていました。
それで、その友人に電話してそれまでの事を謝り、私の病状を伝えて祈って欲し
いとお願いしました。
息子は、家での祈祷会の中で、二人の姉との間に葛藤があったことを語り、二
人の姉は弟を傷つけていたことを詫びました。こうして、我が家の問題がひとつ
ひとつ清算されていくのでした。
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