いつも一緒、ずっと一緒



 私がこちらの世界に来てからもう3年になります。パパも子供たちもなんとか、

自分のペースを取り戻せるようになりました。それは、目には見えませんが、私

がいつも一緒にいて守られていることを実感的に感じられるようになったからで

す。

 パパは子供たちにいつもこう言っています。

 「我が家は、知らない人が見るとママが先に逝ってしまって不幸に見えるかも

知れないけど、実際はそれとは逆で、ものすごく幸福なんだよ。ママの昇華で、

パパもみんなも神様と霊界のことをはっきりと知ることができた。そしてママは

どこかに行ってしまったのではなく、目に見えないだけでみんなといつも一緒に

いて守ってくれている。まるで天使や神様みたいな立場にいるんだ。困った時や

どうしたらいいか分からない時は、ママどうしたらいい?と聞きなさい。ママは

必ず教えてくれるよ。だから、他の人よりも有利で恵まれているんだよ。

 それにみんなが大きくなって、ママからの愛も沢山受けてからママは逝ってい

る。みんなが小さい子供の時にママが逝ったらパパもみんなも大変だろうと、神

様がママの逝く時期を延ばしてくださったんだよ。だから神様を恨むどころでは

なく感謝しないといけないんだ」


                            p119


 パパは、ほとんど一日中、私に語りかけています。パパが私をイメージすると、

20代後半の頃の一番きれいだった頃の私の姿が笑顔で現れるそうです。パパか

らすると、「ママはこんなにきれいだったかな?」だって。失礼しちゃいますね。

私の本質の美しさを見抜けず、表面の顔しか見ていなかったパパは、反省しない

といけないですね。

 パパは実は松田聖子のファンで、かわいい女の子にころっといってしまう男性

なのです。カメラマニアのため、以前はカメラ技術の向上のためと称して、私に

こっそりモデルの撮影会に行っていましたが、今は私が一緒のため完璧に私にば

れるし、思っただけでもばれるということで自縮しています。かわいい。

 パパは、昔から賛美歌が好きでした。その中でも312番の「いつくしみ深き

友なるイエスは」という曲は、きれいなメロディでパパの好きな曲でした。ある

時パパは、この歌詞が結婚式当日に愛する花嫁を事故で失ったジョセフ・スクラ

イブンという人が書いたものであると知りました。

 彼は、最愛の女性を失った「こころの嘆き」や「なやみ悲しみ」をイエス様に

すべてゆだねた時、神様からの慰めと平安を受け取って立ち直ることができたの

です。そして病気と闘っている自分の母親に、この詩を送ったのでした。



いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いをとり去りたもう


                             p120


こころの嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ負える重荷を



いつくしみ深き 友なるイエスは われらの弱きを 知りて憐れむ

悩みかなしみに 沈めるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん



いつくしみ深き 友なるイエスは かわらぬ愛もて 導きたもう

世の友われらを 捨て去るときも 祈りにこたえて 労わりたまわん



 パパは、私の昇華から、人の悲しみや苦しみを、より深く理解できるようにな

りました。テレビのニュースやドラマを見てはすぐ泣き出すようになりました。

そして、それまでの仕事人間から価値観が大きく変わったようです。仕事やお金や

名誉は、地上で生きている間の過ぎ去っていく物にすぎず、夫婦が地上であれ霊界

であれ、永遠に愛し合っていく世界が天国であり、その愛以外には何も価値が無い

というのがパパの信念となりました。

 パパは、霊界というのは地上と隔離した別の世界ではなく、地上と表裏一体の

世界であり、地上で意識すればいつも一緒にいることのできる愛の世界であると

理解するようになりました。テレビ番組でよくある、怨念や祟りなどの気味の悪

い、恐ろしい世界とは絶対違うと確信するようになりました。


                           p121




 パパは、イエス様の弟子たちにとって、イエス様の十字架の死と復活はこうい

うことだったのではないかと思うようになりました。だから、弟子たちにとって

死はもう怖いものではなく、神様とイエス様のもとに行く喜びと希望と栄光にな

ったのではないかと。

 「ママ、あと30年も地上で生きなければならないなんて長いよ。パパも早く

ママのもとに行きたいよ。でも今行ったら、やるべきことをやってなかったと叱

られるだろうから、これから何をすべきかを真剣に探すよ。でも、おかげで死は

全然怖くなくなったよ。むしろ、ママに歓迎して迎えてもらえると思うと希望と

喜びだね。

 これからもいつもパパと一緒にいて助けてね。昔のテレビ番組に奥様は魔女と

いうのがあったけど、ママもそういうイメージでパパや子供たちを助けて欲しい

な」

 パパにとって、私が霊界に来て良かったこととして、海外出張などで寂しくな

くなったことをあげます。以前はとても寂しくて時々国際電話をしてきましたが、

今はいつでもどこでも一緒にいると分かるので、寂しくはないし、とても嬉しい

というのです。

 それから、私はアメリカでも韓国でも、どこでも瞬間に行くことができるので、

パパが気になっている人の所に行って、その人を背後から応援してもらえること

が良かったと言います。

 実は、パパが7年前にホームページで出会い、ほとんどメールでずっとやりと

りをしている冬美さんという女性がいます。30代後半のキャリアウーマンで、


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頭もよく美人なのですが、良き伴侶に恵まれず、子供も嫌いということで、パパ

は心を痛めていました。私も数回パパと一緒にお会いしたことはあるのですが、

適切なアドバイスをしてあげることができませんでした。

 ここ数年は彼女からのメールも途絶え、パパは何かあったのだろうと心配して

いました。そして私に頼んできました。

 「ママ、冬美さんを探し出して、なんとかネットで連絡とれるようにして。き

っと何か問題をかかえているんだよ。ママも会って知ってる人なんだから、お願

い」

 パパは自分の子供にも彼女に注ぐだけの時間とエネルギーを注いでもいいのに

ねと思いながらも、他ならぬパパの願いですからすぐに冬美さんの所に行き、パ

パとインターネットのチャットで会話するように働きかけました。

 冬美さんにとっては、パパがストレートに自分の心の問題点に切り込んでくる

のが怖く、ここ数年、自分でも不本意な生活をしていたため、叱られるような気

がして、パパと話せなかったのです。でも、私から背中を押されて、冬美さんの

気が変わり、パパ向けにチャットを立ち上げました。

 パパは冬美さんがチャットに現れたことに気がつき、すぐに会話を始めました。

そして冬美さんは、以前のように毎日チャットでパパと会話するようになりまし

た。


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 パパは、そのチャットの中で冬美さんの微妙な心の変化に気がつきました。ど

うやら好きな男性が現れたようなのです。しかし、冬美さんはその人を実は愛して

いるのだとは自覚していませんし、自分の生涯の伴侶となるべき人としてはまだ思

っていません。パパは人生経験が長いだけあり、その男性こそ冬美さんにとって必

要な人であり、キャリアウーマンとしての経歴をすべて捨ててもその男性と結婚す

べきだと話しました。

 冬美さんもパパとチャットする中で、その男性が自分にとって大切な人であると

分かったようです。パパの勧めに従い、その男性に愛の告白をし、二人は結婚を決

意しました。実はその男性は既に愛の告白をしていたのですが、冬美さんがためら

っていたのです。

 昨年のクリスマス、二人は神様に出会いを感謝し、生涯を共にすることを誓いあ

いました。そして今年の3月、パパと私は二人の結婚を祝福して、神様への誓いの

聖酒式と結婚のお祈りをしました。冬美さんはこのお祈りの時、私の存在を感じた

そうです。

 「雪のように白くて清い心を保つように、いつも努力してくださいね。あなたに

とって一番大切なのは、神様を中心とした家族です。旦那様を大切にし、愛の家庭

を築き、子供を産んで幸せになってください。いつも見守っていますよ」

 3月末に冬美さんは会社を辞め、幸せな新婚生活に入りました。30代後半の専

業主婦ですが、毎日とても充実し、幸せそのものです。旦那様との愛の中にも、神

様の愛を感じると言って、日々感謝しています。


                            p124



 この冬美さんの劇的な人生の飛躍は、私の背後からの助けなしに語れないと、

冬美さんもパパも語ります。そう思ってもらえると私も働きがいがあるという

ものです。

 炊事は、我が家ではパパにかなう者はいません。2年間でパパは私を追い越し

てしまいました。メニューの数はまだまだ私のほうに分があるのですが、料理の

センスと短時間で作れるというのはなかなかのものです。テレビの料理番組を見

てひらめいたり、インターネットでレシピを調べたりして料理を楽しんでいます。

長女も作るのですが、長女は残業が多く、帰る時間が遅いためパパが作ることの

ほうが多いのです。パパは、完全に我が家のシェフとしての自信を持っています

が、実際パパの料理の半分は私が手伝っていることをパパはまだ分かっていませ

ん。

 その点長女は、それまで料理をほとんど作っていないだけあって、「お料理作

るのが楽しくなったの、何かママが半分乗り移っているような気がするの」とよ

く分かっています。パパも長女が台所で料理している姿を見て、私の若い時にそ

っくりだと言います。

 長女は、新しいメニューに挑戦し、我が家で使っていない食材に取り組んでい

ます。パパは同じメニューの味を高める事を目標とし、長女と腕を競いあってい

ます。二人がテキストにしているのは、私が作ったレシピノートと私が買って使

った小林かつよさんの料理本。嬉しいですね。

 炊事ではパパに一歩譲っていますが、洗濯と家の掃除、ポトスへの水あげは長

女が頑張っています。私がいた頃もいろいろ手伝ってくれましたが、掃除をした

りきれいにするのが好きという


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私の遺伝子はしっかりと長女に受け継がれていて、今では私の分まで頑張って

くれていますし、パパや息子を部屋から追い出して掃除するところは、昔の私

そっくりです。パパや息子が、「ママみたいだ」と言うくらいです。

 長女は大学を卒業し会社に入り、そこでだいぶ訓練されて、すぐ感情的になる

悪い癖が取れてきたようです。「自分が変わったのが分かる。ママが乗り移った

みたいだ」と言っています。アメリカの次女も、それまでの自分だったらできな

かったことや、他の人の面倒を見れるようになり、「ママがちょっと入っている

みたいな感じが時々ある」と感じています。

 長男も高校を卒業して専門学校に入る事により、自立した大人になるための自

覚が少しずつ芽生えはじめています。

 パパは私がこちらの世界に来たためか、この頃見る映画や本は霊界や死につい

てのものが多いのです。

 映画「シティ オブ エンジェル」は、死ぬ時にお迎え役をする天使が、女医

に恋するという内容ですが、普通の人には見えないはずのこの天使を、ごくまれ

に見ることのできる人がいました。パパは、私の存在を気配で感じ、体に入って

行く時に心で分かるのですが、この映画を見てから、もっとその力をつけようと

思い、子供にもそう呼びかけました。

 映画「奇跡の輝き」は、清平修練所で紹介されますが、私の昇華後に全編を通

して見て、霊界に入った側は悲しんではおらず、むしろ新しい世界に驚き、その


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素晴らしさに感動している。地上の遺族が悲しんでいると、霊界で生きているこ

とを遺族に知らせようとしても、かえってできなくなってしまうということをパ

パは発見しました。

 本屋さんで「千の風になって」という詩集がパパの目にとまりました。これは

もともと作者不明の英語の詩で、愛する人を失った遺族の心を世界中で癒してき

た詩で、新井満さんの日本語で紹介されています。



私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に 千の風になって  あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ  冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる  夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください 

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に 千の風になって  あの大きな空を 吹きわたっています


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パパはこの詩を読んで、その通りだと心強く思いました。

 冬美さんは、パパのために徳間書店発行 飯田史彦責任編集の「生きがいのメ

ッセージ」という本を送ってくださいました。これは、アメリカで愛する人がこ

の世を去った後に、自分にコミュニケーション(交信)を行ってきたという証言

を二千件以上調査し、その証言を分析して故人からのメッセージの共通原理は、

愛すること、がんばって今この瞬間を生きることの大切さであり、いつでもそば

にいて、また必ず会えるようになることを約束していると書かれた本です。

 パパは、私が伝えていったことと同じなので驚き、まず私のメッセージや夢を

書き残そうと意識するようになりました。そして、この本の日本版を作らなけれ

ばならないと思うようになりました。

 突然の事故死や、ガンでの病死が増え、社会的にも死について取り扱った本や

映画が増えてきていて、パパは何かしなければと強く思うようになってきました。

そこで、私の死を体験した者として、「死をどう見つめるか」「死に向かった生

き方」「死は終わりではない」という観点で本を書こうとしています。このこと

に生きがいを感じて頑張りはじめていて、とても嬉しく思います。

 宗教は死後の世界を説いてはいますが、実際には死に向かったアプローチが乏

しく、むしろ現実社会のほうが、ガンの末期医療やホスピスの充実などで進んで

います。

 パパは、私が倒れた時に最初に葬儀に使う写真が無くて困った経験から、我が

家では毎年、ひとり一人のきちんとした写真を撮り始めました。これからの一年

間の間に、万が一亡くなることとがあれば、自分がにっこりと微笑んだこの写真


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を使って欲しいということです。そのためにデジカメの一眼レフを購入し、身近

な人に、「最後に使う写真」を撮ってあげると呼びかけています。

 今年のゴールデンウィークには、九州の叔母さんの所に行き、写真を撮ってプ

リントして送り、とても喜ばれました。高齢になると、顔のしわやシミが気にな

るというので、デジタル画像処理でしわやシミを取り、とてもきれいな顔になる

のです。パパは、最後の写真屋さんを老後の仕事にしようかなとも言っています。

 昨年末に、子供のことでとても重要なことがありました。霊界では、子供の祝

福による結婚について、その時がはっきりと分かるのです。

 2004年12月20日朝、私はパパの夢の中に入ってその時が来たことを伝

えました。我が家の子供のマッチングの時が来て、祝福を受けたのです。どの子

かということについては、顔がはっきり見えないのですが、我が家の子供だとい

うのははっきりと分かるのです。パパは喜んで二人の写真を撮っていました。幸

せな二人を見ながら、パパは自分だけ一人でつまらないなとつぶやいています。

「ばかなパパ。私という人がおりながら」


                           p129



そこで私はパパの前に姿を現しました。

「お待たせ!ごめんごめん忙しかったの。パパは自分は一人でつまらないと馬鹿

なことを言って。あなたの相手は私に決まっているでしょう」

 私はしっかりとパパに腕組みしました。パパはとても嬉しそうでした。

2004年12月21日、17歳から24歳の祝福二世にアメリカのイースト

ガーデンに集まるよう召集がかけられ、文鮮明先生による直接のマッチングが行

われました。

 さらに2005年2月8日、韓国清平でマッチングが行われ、我が家の息子が

その場に参加し、韓国の女性と祝福を受けさせていただきました。息子もパパも、

その女性を見た時、「ママの若い時に面影が似ている」と感じたそうです。息子が

マッチングを受けた2月8日は、奇しくも私とパパがソウルで合同結婚式に参加し

た結婚記念日でした。

 初めは喜んでいた息子も、言葉と文化の壁の大きさに困惑するようになり、国際

結婚の難しさを痛感しています。まだまだ私の応援が必要なようですね。子供たち

もパパと私のように、いつまでも一緒、ずっと一緒の幸せな夫婦になって欲しいも

のです。

 二〇〇五年三月、パパは私が倒れてからの記録をまとめ始めました。私がくも膜

下出血で倒れて緊急入院した時からの記録やメールが、かなりの量パパのパソコン

に記録されています。まず、それらをまとめる作業から始めました。会社の仕事を


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終えて家に帰ると午後八時です。それから夕食を作り、息子に食べさせて後片付け

をし、明日の朝食のためのお米を研いで、台所から解放されるのが午後十時過ぎ。

会社の仕事もあったりしますので、原稿書きを始めるのは午後十一時くらいからで、

毎晩二時くらいまで頑張っていました。この作業を約一ヶ月続けて、ようやく全体

像が見えるようになってきました。でも、パパが書く原稿は、あまりにも深刻で、

書いているパパでさえ辛くて、読むのが苦しくなってしまいます。パパも筆が進ま

ず、挫折しそうです。

 悩んでいるパパを見かねて、ついに私は渋谷駅の交差点を歩いていたパパに助け

船を出してしまいました。

 「パパ、私のことを書こうとしているんだから、パパが書くんじゃなくて、私が

書いたほうがいいんじゃないの?」

 「あ、そうだよね。ママのほうが全部分かっているんだし、ママが書くのが一番

だよ。それにママは、パパより本を読むのが好きで、通勤電車の中でもいつも本を

読んでいたし、三国志や徳川家康も全巻読んでるんだもん。ママのほうが適役だよ。

ママの作家デビューだ。パパはママの手になって書くから、どんどんイメージを送

って!」

 家に帰ったパパは、さっそく私の写真をパソコンの前に置き、私の思いを受けて

どんどん原稿を書き始めました。パパも私も、この共同作業はとても楽しく、書き

ながら神様から直接教えていただくことが多く、恵みの多い時間でした。そして、

二〇〇五年五月末になんとか書き終えることができました。


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この原稿はパパのホームページに載せ、私とパパがお世話になった親しい人に読

んでいただき、励ましの言葉や暖かい御指摘、評価をいただきました。これも書

かなければ、あれも書かなければという思いが強く、その浮かんだイメージが消

えないうちに書きとめようということで、言葉使いや漢字の使い方に気を使う時

間も無く、とにかくパパの手を借りてパソコンのキーボードを打ちまくっており

ましたので、支離滅裂の文章も多く、ご指摘を受けながら、何度も修正させてい

ただきました。ここまでまとめることができたのも、皆様のおかげです。本当に

ありがとうございました。

 さて、私は地上のパパと共におりますから、その後もこの不思議なドラマは続

いております。最近の面白い出来事を御紹介いたしましょう。

 六月の第二日曜日は、統一教会の尾瀬霊園で統一慰霊祭の行われる日です。梅

雨の季節にもかかわらず、この統一慰霊祭は必ず晴れるというジンクスがあり、

昨年も朝は雨が降っていたのに、尾瀬に到着したら、からりと晴れていました。

今年も台風の接近がありましたが、大丈夫なようです。我が家でも尾瀬に行くた

めに花束を準備し、パパは寝る前に、

 「ママ、明日は尾瀬に行くんだから、今晩は何か特別な楽しい夢を見せて欲し

いな」と私に言ってきました。我が家が尾瀬霊園に行く時には、確かに不思議な

夢や現象が現れることが多かったのです。それに、最近パパと夢の中で夫婦生活

をしていないものですから、「たまにいいじゃないの」という意味もあったので

す。まったく男はしようがありませんね。


                             p132



 でも、私は夫婦生活よりも、もっとすばらしいことをパパに体験させてあげた

かったのです。

 「パパ、起きて。起きて。神様がおられる風景を見せてあげる」

 パパは私の言葉に夢の中で飛び起きました。そこは雪山でした。どこかで見た

ことのあるような、懐かしい風景です。でも、故郷新潟の雪山ではないことが分

かりました。それはこの世の風景ではありませんでした。ちょうど朝の太陽が昇

ってきます。金色の雲が真っ赤になり、原色の青や緑に変わっていきます。パパも、

ここは神様がおられる風景だと気づきました。そして、この風景をカメラに記録

しなければならないと、久しぶりに会った私のことはそっちのけで、カメラのレ

ンズを換えながら、一生懸命写真を撮っています。パパは、今何時だろう、時間

を確認しなければと瞬間的に起きて目覚まし時計を確認しました。朝の二時半で

した。でも起きてしまったため、この神様のおられる風景の続きは、もう見るこ

とができませんでした。

 「ママ、すてきな夢を見せてくれてありがとう。ママもずいぶん力をつけてき

たんだね」

 朝五時に起床し、パパは車を運転して尾瀬霊園に向かいました。前日の天気予

報は曇りだったのに、快晴でじりじり照りつける日差しでした。暑くて、パパは

「ここまで晴れにしてくれなくてもいいのに」とぶつぶつ言っていました。

 統一慰霊祭の最中に、何回か虹が見えました。全体行事が終えてお昼弁当を食

べている時、尾瀬霊園の北の上空に、色の濃い虹が水平に出てきました。


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「ママが見せてくれた神様のおられる風景のほうが、もっとすごかったけど、念

のために写真を撮っておくかな、まてよ、ママはこの光景が現れることを教え

てくれたのかな」パパはカメラマン根性で、何枚もこの虹の写真を撮りました。

 その日の夕方、新聞やテレビのニュースで、虹は雨が太陽の光を受けて起こす

現象であり、これは虹ではなく、雲の氷の粒が太陽の光を受けて起こす彩雲とい

う現象だと報道されました。日本では年間に数回しか観測されないものであり、

願いごとが叶う幸運の雲、お釈迦様が乗る瑞雲とも言われているそうです。統一

慰霊祭に参加された二千名以上のみなさんに、今年はきっといいことがあるに違

いありません。

 さて私はいつもパパと一緒にいて、時々パパの夢に現れて慰めてあげるのです

が、言おう言おうと思いながら、言い出せずにいたことがあります。それは、私

がくも膜下出血で倒れ、先に霊界に来てしまったことです。人間の寿命は運命な

のかもしれませんが、私が高血圧についてもっと注意していたらこんなことには

ならずに、パパと一緒に老後まで暮らせたのかも知れません。それが申しわけず、

いつかパパに謝ろうと思っていました。

 六月十九日朝、私はパパに謝りました。

 「パパ、私が体を悪くしてしまったため、パパに苦労かけることになってごめ

んね」

 「ママ、いいんだよ。パパはママとこうしていつも一緒にいられるから幸せだ


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よ。ママはこれからは無理しないでね」

 パパは私をやさしく抱きしめてくれました。

 「パパ、ありがとう」

 私は、愛するパパや子供たちと、これからもずっと一緒に生きていきます。皆

様も応援してくださいね。この記録は、ここでいったん終えることにします。パ

パが霊界で私とともに永遠に生きる日が来るまでには、もっともっと面白いドラ

マが展開されるはずで、その記録もまたこうして発表されるようになると思いま

すが、それはまたいつかのお楽しみとしましょう。長い間、ありがとうございま

した。



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