1.対人恐怖症

       - 虚像のイメージを恐れずに自分の道を切り開こう-


善意が善意と受けとられず、自分の思いがそのままに伝わりにくい人間社会


 善意が悪意に受けとられたり、冗談のつもりが、相手にとっては大変な屈辱であったり
という具合に、人間社会でコミュニケーションほど難しいものはありません。
 「そんなつもりではなかったのに、だったらあの時なぜそう言ってくれなかったのだろ
う」、「彼のためを思ってそうしてやったのに逆に思われたなんてショックだわ」
 誰もがそんな経験を幾度かしているはずです。特にその時、自分の殻を精一杯抜け出し
て相手のために最善の努力を尽くしていたような場合は心が傷つき、しばらくは人間不信
に陥ってしまいます。精神的に幼い時にそういう体験をすると、心を開くことのないおど
おどとした人間となってしまいます。
 人間が苦手、誰かが自分の悪口を言っているのではないかという対人恐怖症は、多かれ
少なかれ誰でも持っていて、自分を守るために幾種類ものバリケードを心の周りに作り上
げているのが、人間の現状ではないでしょうか。
 バリケードとしては、知識、権力、富、名誉、腕力等が挙げられます。バリケードは厚
く高いほど自分を守りますが、同時に自分を孤独にします。
 自分を守ろうとすると孤独になり、自分をさらけ出して飛び出していくと傷ついてしま
います。心の奥底まで語ることのできる友人もそんなに多くはなく、人間社会はままなら
ないものですね。
 だからといってそのまま引き下がったら、面白みのないつまらない人生になってしまい
ますし、社会も良くなりません。そこで対人恐怖症をどう乗り越えていくかを、一緒に考
えてみましょう。

自分で自分の影におびえているだけで、人は自分のことを気にしていない


 人間関係を考えるとき、まず前提となることがあります。それは人間は自分のことを第
一に考える存在であり、他人のことはそんなに真剣に考えていないということです。「あ
の人はこんな人だな」と思うことはあっても、特別に利害関係がない場合の人物評価は、
それだけのことであって重要には思っていないということです。
 ですから「自分はこう思われているのではないか」とか、「誰か悪口を言っているので
は」という思いは、実際のものではなく、一のものを十くらいに増幅して自分でかってに
思い込んでいる虚像なのであり、影であるということなのです。この虚像は意外と厄介な
存在であり、いったん思い込んでしまうと自己増殖し、その人を破滅させ、人と人を仲た
がいさせ、組織を破壊させる力を持っています。まるで生き物のようであり、映画「ネバ
ーエンディングストリー」に出てきた、世界を滅ぼした「無の勢力」のようでもあります。
 この虚像との戦い方は、まず相手にしないということです。他人に笑われようが、馬鹿
にされようが自分には自分の生き方しかできません。人に認めてもらうことが問題ではな
く、自分で納得のいく人生を送ることが大切なのですから、他人の目を一切気にしないこ
とです。
 剣豪宮本武蔵は、「天地の間に我一人生く」と語り、一休禅師も辞世の句に「我が禅を
誰が理解できるだろうか」と書いているように、人間は基本的に一人の存在です。親子夫
婦といえども、一人の人間が背負っている宿命を代わって背負うことはできません。孤独
ではありますが、それに耐えなければなりません。
 その孤独に耐え、覚悟を決めて人生航路を歩もうとするとき、人の目は一切気にならな
くなります。それよりも、自分に与えられた課題に真剣に取り組み、自分の人生を精一杯
生きることが忙しくて、周りの雑音を気にしている暇がありません。
 他人の目や陰口は、しょせん無責任なもの。そんなものに惑わされずに、自分の人間性
を高め、個性を磨くことに専念しましょう。
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