第14 誓約による神々の生成

 

天照大御神は速須佐之男命と対峙する

 さて,古事記の物語に戻りましょう。

 根の堅州国に祓われた速須佐之男命は,天照大御神に会おうと,天に上ってきます。しかし天照大御神は,山川国土を揺り動かしてやって来る速須佐之男命に,邪心があるのではないか,「我が国を奪はむと欲ふにこそあれ。」と疑います。そこで,重武装をしたうえで速須佐之男命に対峙し,身の潔白を証明するよう,要求します。速須佐之男命は,「各誓(うけ)ひて子生まむ」と提案します。
 この内容は,日本書紀第6段本文とほぼ同じです。ここで,「誓ひ」が出てきました。日本書紀では「誓約」です。

 「誓約」に関する古事記の叙述が,いかによたっているか。それを知るには,何よりもまず日本書紀の叙述を把握しておかなければなりません。日本書紀と古事記を,対等な書物として,机の上に並べて読み比べてみるというのもダメです。必ず混乱して,わけがわからないまま終わります。いったん古事記は忘れて,日本書紀は日本書紀として理解して,そのうえで古事記を読んでみてください。

 せっかく古事記に戻ってきましたが,ここはしばらく,日本書紀の世界に行ってみましょう。


日本書紀で語られる誓約による神々の生成は象徴的で流麗で美しい

 日本書紀第6段本文はこうです。

 素戔鳴尊は高天原に上ります。その様子が,海はとどろき山が吠えるような凄さだったので,天照大神は,完全武装してこれを迎えます。そして,国を奪おうとする汚い心がないことを証明するため,誓約(うけい)を行います。
 ここでの誓約は,男が生まれれば「赤心(きよきこころ)」,女が生まれれば「黒心(きたなきこころ)」と予め決めておき,生んで勝負を決めるのです。

 その結果,天照大神は,素戔鳴尊の十握剣(とつかのつるぎ,握り拳10個分の長さのある剣)から田心姫(たごりひめ),湍津姫(たぎつひめ),市杵嶋姫(いちきしまひめ)の,いわゆる宗像3神を生みます。これに対して素戔鳴尊は,天照大神の八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる,天照大神が身につけていたアクセサリー)から,正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊,天穂日命,天津彦根命(あまつひこねのみこと),活津彦根命(いくつひこねのみこと)クマノノクスビノミコトを生みます。
 男神を生んだ素戔鳴尊が勝ったのです。

 この神々の生成の場面は,完全武装して雄叫びを上げる天照大神の場面と共に,私の好きな場面です。

 天照大神は,素戔鳴尊の十握剣を受けとり,「打ち折りて三段(みきだ)に為して,天真名井(あまのまない)に濯ぎて(ふりすすぎて),さがみに咀嚼(か)みて,吹き棄つる気噴の狭霧(ふきうつるいぶきのさぎり)に生まるる神を」という神生みにつながっていきます。

 イメージの連鎖と言葉の連鎖。そこには清冽なリズムがあります。流麗なリズムがあります。しかも神話的なリズムであり,何度読んでも飽きません。天真名井は天の井戸。水は生命の源泉であり,三段になした十握剣を水につけて振りすすぐことは,魂を振りたてる「魂振り(たまふり)」の儀式に通じます。それをカリカリと噛む。そうして吐く息や霧は,これまた生命の象徴であり,まさしく息吹であります。この息吹の中から神々が生まれてくるのです。言葉のリズムと,イメージのリズム。これほどよくできた文章は,そうそうありません。

 動的でありながら象徴的。息吹で思い出すのは,ウフィッツィ美術館にあるプリマベーラですが,そんなものは比較にならないほど美しい。これほどイマジネーション豊かな息吹はありません。

 一度でいいですから,古事記の,生命感を抜かれてカスカスになった叙述と比べてみてください。古事記が文学的だなんていう観念が,あっという間に吹き飛びます。


素戔鳴尊の気持ちを試すのだから天照大神が神々を生む必要はない(本来の誓約ではない)

 それはともかく,まず,わけのわからないことがあります。

 この誓約は素戔鳴尊の心を試すものですから,天照大神が神々を生む必要はありません。素戔鳴尊が生んだ神が男か女かを見ればそれでよいはずです。天照大神が神を生もうと生むまいと,その神が男であろうと女であろうと,素戔鳴尊の「赤心(きよきこころ)」の証明には,何の関係もないじゃありませんか。

 そもそも,誓約とは,2人でやるものじゃないはずでした。日本書紀には,戦いの結果を占おうとする神武天皇が,土器を川へ投げ入れて,魚が浮かんだら戦いに勝ち,浮かばなかったら負ける,という誓約を行っています(神武天皇即位前紀戊午年9月)。県守は,大蛇を退治しようとして瓢(ひさご)を川に投げ入れ,沈めば自分が去るが,浮けば大蛇を殺そうと述べます(仁徳天皇67年是歳)。日本書紀には,その他たくさんの誓約が出てきます。皆,これと同様単純です。下駄を飛ばして表なら晴れ,裏なら雨,というのも一種の誓約なのです。

 日本書紀が伝える誓約は,本来,ナンセンスで単純なのです。2人でやるものじゃありません。

 しかも,素戔鳴尊が複数の神を生む必要さえありません。素戔鳴尊が1人で,1人の神を生めばよいはずです。土器を川に投げ入れて浮くか沈むか。下駄を投げて表か裏か。それだけなのです。素戔鳴尊が最初に生んだ神が男か女かを見れば,それですむはずです。複数の神を生んでもらっちゃあ,むしろ困る。男ばかりだったらよいけれど,男と女だったらどうするのですか。
 要するに,誓約とは,丁か半かというくらい単純なものですし,そうでなければ誓約にならないのです。

 ところが,ここでの誓約は,@なぜか天照大神が神を生んでいる,Aしかも双方が複数の神を生んでいる,という点で極めて特殊というか,贅肉がだぶだぶついているのです。

 ですから,ここで語られている「誓約」は,もはや本来の誓約ではありません。それを,はっきりと頭の中に刻みつけてください。誓約の問題を考えてはいけないのです。それよりも,だぶだぶの贅肉の意味を考えることこそが,ここでの課題となります。誓約にしてはおかしいなあと,漠然と思っている限り,1歩も進めないのです。


遘合(みとのまぐわい)ではなく誓約によって神々を生む理由

 では,なぜ,このような贅肉をつけたのでしょうか。2神がそれぞれ,しかも複数の神々を生んでもらわないと困る事情があったはずです。誓約という形を借りて,天照大神までも子を生んで,それぞれの子を交換するという点に,重要な意味があったはずです。

 陰陽二元論をとる日本書紀の原則は,遘合(みとのまぐわい)でした。これが,世界生成の原理なのでした。対立する2つが,新しいものを生み出すという思想。それは,男と女がいないと人類は滅びるという,素朴かつ本質的な確信から始まって,右と左,天と地,有と無という世界哲学まで高められたのでした。決して幼稚な思想ではありません。現代でも,人間の身体や顔はなぜ左右対称なのか,なぜゾンビのような不定型な身体をしていないのか,というところから始まって陽子と反陽子という議論まであるとおり,対概念(ついがいねん)につながるのです。決して,トライアングルではありません。

 それはともかく,伊奘諾尊と伊奘再尊は,遘合によって国生みと神生みを行いました。だから,この誓約の場面で,突然,遘合で神々を生成しないのは,どう見てもおかしい。確実に変です。原理原則を放棄した理由があるはずです。
 日本書紀の叙述を分析してみましょう。

 天照大神は,素戔鳴尊が所持していた十握剣を「物根(ものざね)」として,水にすすいで,噛んで,息を吹きかけて神々を生みました。素戔鳴尊も同様でした。素戔鳴尊は,天照大神から八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)を受け取り,まったく同様にして神々を生成しました。

 これは,生命の基礎である卵子に,精を吹き込んで誕生させたということではないでしょうか。生命の水にすすいで揺り動かして,魂を奮い立たせ,さらに生命の息吹を吹きかけるのですから。雌が生んだ卵に精子をかけている雄の鮭と言ったら,興醒めでしょうか。とにかく,この描写の基本は,やはり生殖行為であり,遘合なのです。それに,神話的,言語的脚色を加えているにすぎません。この描写の実質は,それぞれの所持品,すなわち身体の一部を「物根(ものざね)」とした,すなわち種とした,生殖行為なのです。

 では,なぜこうした脚色を加えたのでしょうか。天照大神と素戔鳴尊とが兄弟であり,近親相姦になってしまうので場面をぼかしたのでしょうか。多分そうなのでしょう。しかしここには,特殊な事情があるようです。

 結論だけを先に言ってしまいましょう。日本書紀を論ずることになるので詳しくは語れません。概略だけを述べます。
 出雲国は,宗教的権威がある,決して無視できない国でした。ですから,素戔鳴尊は,生まれだけは,日の神や月の神と対等な出自をもたなければなりません。物語上は,兄弟として扱われました。

 しかし,出雲を中心として,かつて大八洲国を支配した国とその神々を退場させなければなりません。それを正当化する理由,すなわち,国譲りという名の侵略を正当化する理由を作らなければなりません。そのためには,素戔鳴尊の血を受け,しかも天照大神の血をも受けた神々を登場させなければなりません。素戔鳴尊は,出雲に降って国を作り,その後神話の表舞台から退場します。その子孫大己貴神(大国主神)が出雲を中心にして大八洲国を支配しますが,大己貴神(大国主神)に成り代わって支配者となる,素戔鳴尊の血を受けた神々を作らなければなりません。

 しかし,正面から,遘合を描写することはできません。それでは,読者から道徳的反感を買ってしまう。それぞれの神を信仰している人たちを冒涜することになるのです。ですから,誓約というからくりを採用しました。お互いに触発された,単性生殖という形にせざるを得なかったのです。

 これが,誓約による神々の生成の意味なのです。「正当性の契機」の作出と呼んでおきましょう。

 誓約による神々の生成は,素戔鳴尊を兄弟として扱わなければならない事情と,正当性の契機作出の必要性との,ジレンマを解決するテクニックだったのです。


生成された神々の親はいったい誰か

 それが証拠に,生まれてきた神々は,以下のとおりです。

 天照大神は,素戔鳴尊の十握剣から田心姫(たごりひめ),湍津姫(たぎつひめ),市杵嶋姫(いちきしまひめ)の,いわゆる宗像3神を生むのでした。
 これに対して素戔鳴尊は,天照大神の八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)から,正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊,天穂日命,天津彦根命(あまつひこねのみこと),活津彦根命(いくつひこねのみこと)クマノノクスビノミコトを生むのでした。

 まず,素戔鳴尊が勝ったのですから,その最初の子供に,「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」,まさに私が勝ったという名前を付けたのです。これをよく覚えておいてください。

 また,3女神が天照大神の子であり,5男神が素戔鳴尊の子のはずです。これが原則です。同じく単性生殖に,禊ぎというのがありました。禊ぎによって生まれた天照大御神の父は,伊邪那岐命だったのと同じです。

 叙述と文言をきちんと検討しない人たちは,漠然と,正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は天照大神の子であり,天津彦彦火瓊瓊杵尊が孫だと考えています。それは間違いではありません。しかし,それ以上考えようとしないところが間違いです。

 第9段本文は,以下のようにして始まっています。「天照大神の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊,高皇産霊尊の女(みむすめ)栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)を娶き(まき)たまひて,天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を生(あ)れます」。
 この第9段本文を読めば,天津彦彦火瓊瓊杵尊には父母がいることがわかります。じゃあ,正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の父母はいったい誰なのでしょうか。
あたりきしゃりしゃり。父は素戔鳴尊だ。母は天照大神だ。

 おおかたの人々は,素戔鳴尊が正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の父であることを忘れています。
 そもそも,「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」という長たらしい名前の頭にある「正哉吾勝」はいかなる意味でしょうか。第6段第3の一書は,誓約に勝った素戔鳴尊が,「正哉吾勝ちぬ(まさかあれかちぬ)」,すなわち,まさしく私が勝ったと述べたと伝えています。この皇子の名前は,まさしく,素戔鳴尊の子であることを誇らしく表示しているのです。


天照大神が素戔鳴尊の子正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊たちを取り上げた理由

 ところが叙述はねじれます。日本書紀の神話の体系を語るうえでの,重大なねじれと言ってよいでしょう。

 天照大神は言います。「其の物根(ものざね)を原(たづ)ぬれば,八坂瓊の五百箇の御統(やさかにのいおつのみすまる)は,是吾(あ)が物なり。故(かれ),彼の(その)五の(いつはしらの)男神は,悉に(ふつくに)是吾が児なり」。そして,素戔鳴尊からこの5男神を取り上げて,「乃ち(すなわち)取りて,子養したまふ(ひだしたまう)。」となってしまいます。

 すなわち,5男神が生じた「物根」,すなわち種は,自分が持っていた御統(みすまる)だから,全部自分のものだと言って,素戔鳴尊から取り上げて養育したというのです。そして,自分が生んだ3女神も,同様の理屈で素戔鳴尊に与えてしまいました。

 素戔鳴尊が父であるのに,横槍を入れて,素戔鳴尊から取り上げて育てたというのです。まるで,離婚調停で父親が親権者と決まったのに,無理矢理取り上げて育てたというようなもんです。

 天照大神は,なぜ5男神を取り上げたのでしょうか。素戔鳴尊の血を引いている男の子が欲しかったという以外,考えられません。

 素戔鳴尊は男神を生んで誓約に勝ちました。たいていの学者や研究者は,誓約に勝った勝たないという点だけを議論しています。
 しかし,この場面の本質からはずれた議論です。先に述べたとおり,誓約が問題になってはいますが,それは利用されているだけであり,むしろ誓約を利用した神々の生成に本質があるのです。誓約の一般的な物差しを,縦にしても横にしても斜めにしても,何もわかりません。


誓約による正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊生成の意味・国譲りという名の侵略と天孫降臨の正統性の契機

 天照大神によって取り上げられた神々は,いったいいかなる働きをするのでしょうか。

 素戔鳴尊は,この後,暴虐を働いて高天原を追放され。出雲に降ります。そこで国の基礎を作ります。その素戔鳴尊の子孫が,大己貴神(大国主神)です。国譲りという名の侵略は,ここを狙って行われるのです。

 真っ先に派遣されたのは,5男神の1人,天穂日命(あまのほひのみこと)でした。そして,国譲りという名の侵略と天孫降臨は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命の子,すなわち天孫が行うのです。なぜでしょうか。

 これらの神々は,素戔鳴尊を祖とする,天つ神なのです。いわば,速須佐之男命が天上界においてきた神なのです。素戔鳴尊が天の下でつくった大己貴神らとは,異母兄弟の系譜なのです。すなわち,出雲建国の祖,素戔鳴尊から分かれた異母兄弟の神が出雲を支配するというのが,国譲りという名の侵略を正当化するのです。私はこれを,「正統性の契機」と呼びます。

 ここで,大己貴神(大国主神)の偉大さに,ちょっと触れておきましょう。

 天の下を造ったのは,大己貴神(大国主神)です。単に出雲国だけを造ったのではありません。
 大己貴神は,出雲国を素戔鳴尊から引き継いだだけでなく,天の下を神武天皇以前に支配した大神です。いや,神武天皇は,大和地方をやっと支配しただけでした。これに対し大己貴神は,大八洲国全体を支配しました。

 それは,日本書紀第8段第6の一書が,少彦名命(すくなひこなのみこと)と力を合わせ,「経営天の下(あめのしたをつくる)」と述べていることからも明らかです。少彦名命が常世郷(とこよのくに)に去ったあと,大己貴神は,国を巡って「成らざるところ」を完成させます。そして,「遂に出雲国に到りて」,「葦原中国」は荒れていたが自分が平定したので帰順しない者はもはやいないと,言あげします。そして,「今此の国を理むるは(おさむるは),唯し(ただし)吾一身(われひとり)のみなり。其れ吾と共に天の下を理む(おさむ)べき者,蓋し有りや」と述べます。この日本書紀の叙述からすれば,出雲は,国を平定して最後にやってきた1つの国にすぎません。

 東征を果たした神武天皇は,山に登り,国見をして四囲が青垣に囲まれた大和盆地を称え,狭いけれど交尾をしている蜻蛉(あきづ)のようだと称えます(神武紀31年4月)。日本書紀編纂者は,これにより「秋津洲」の名が起こったとします。そしてそれに並べて,次の事実を紹介しています。伊奘諾尊は「浦安の国(うらやすのくに)」,「細戈の千足る国(くわしほこのちだるくに)」,「磯輪上の秀真国(しわかみのほつまくに)」と呼び,大己貴大神は「玉牆の内つ国(たまがきのうちつくに)」と呼び,饒速日命は「虚空見つ日本の国」と呼んだと。
 神武天皇以前に,大神,大己貴神が大和を支配していたのです。

 素戔鳴尊を祖とした大己貴神が,天の下の支配者でした。この偉大な支配者に成り代わる理由,正当性の契機が必要でした。それは,他でもない。やはり素戔鳴尊を祖とし,その血を引いた天孫,天津彦彦火瓊瓊杵尊であるということなのです。


誓約による宗像3神生成の意味

 さて,天照大神が生んだ3女神,いわゆる宗像3神はどうなったのでしょうか。

 これを明らかにしたのが,異伝である第6段第1の一書です。これによれば,天照大神(ここでは単に日神)は,この宗像3神を「筑紫洲(つくしのくに)」に天下らせて,「道の中に降り居して(くだりまして),天孫を助け奉りて,天孫のために祭られよ。」と命令しました。天照大神は,すでに九州のどこかにいます。そこで,やって来る天孫を迎えようという設定です。

 第6段第3の一書は,「葦原中国の宇佐嶋(うさのしま)」に天下らせ,それは「今(日本書紀編纂当時をいう),海の北の道」の中にあるといいます。これを名付けて「道主貴(ちぬしのむち)」といいます。道中の神という意味です。宗像3神は,もとは,宇佐にあったというのです。
 しかも宗像3神は,本文も第1及び第3の一書も,素戔鳴尊の剣から生じたとしています。これが天孫の行く道を守るのです。剣は,月夜見尊が保食神を撃ち殺した武器です(第5段第11の一書)。そして今,剣から生じた3女神が,降臨しようとする天孫を守るのです。日本書紀が語る剣のイメージは強烈です。

 要するに,日本書紀の異伝である一書は,天孫が,筑紫洲の宇佐を通ってやって来たとしています。宗像3神は,朝鮮から天孫がやってくる道中の,露払いの役割を与えられているのです。

 では,この「天孫を助け奉りて,天孫のために祭られよ」という天孫は,いったいいかなる天孫でしょうか。天孫は,「日向の襲の高千穂峯」(日本書紀第9段本文)とか,「筑紫の日向の高千穂のくじふる峯」(古事記)に天降ったのではないのでしょうか。
 私は,この天孫降臨の事実的根拠が,日本書紀の一書に語られていると考えています。天孫は,朝鮮からやって来ました。

 また素戔鳴尊は,この後出雲に降って,出雲国を創建します。その素戔鳴尊の愛娘たちが宗像3神です。
 朝鮮から日本にやってくるには,対馬,壱岐を伝って北九州へ来て,そこから敦賀,能登半島,新潟に至るルートがありました。当時は,北九州に至ってから沿岸沿いに航海したか,あるいは出雲あたりに直行して,そこから本州を北上しました。いずれにせよ,必ず出雲を通ります。
 出雲創建の神である素戔鳴尊の愛娘たちが,宗像3神として玄界灘に祭られていたのは,当然と言えば当然です。


古事記ライターは完全に混乱している

 さてさて,やっと古事記を語ることができるようです。
 その大筋は,日本書紀第6段本文と似ています。古事記でも,速須佐之男命は,「各誓(うけ)ひて子生まむ」と述べています。

 まず,「各」誓約をしようと言っている点から,引っかかってしまいます。前述したとおり,速須佐之男命に高天原を奪おうとする「異心(ことごころ)」があるか否かが問題となっているだけなのです。天照大御神まで誓約をする必要はありません。ですから,速須佐之男命だけが,1人で子を生めばよいのです。

 しかし,正当性の契機を導くには,やはり「各」神が子を生まなければならないのです。古事記ライターは,そこまで理解して「各」と言っているのかどうか。私は,何もわからず「各」と書いたと思います。

 それよりも,誓約の条件がまったく示されていない点がおかしいです。
 生まれてきた子が男の子ならば速須佐之男命に異心がないことが証明される,女の子ならば異心有り,という条件を示さなければ,誓約になりません。放り投げた下駄が表だったら晴れ,裏だったら雨,横に立ったら曇り,というのと同じです。前述したとおり,日本書紀に登場する誓約は,ほとんど条件を明示しています。

 速須佐之男命は,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命ら男神5神を生みます。ここで速須佐之男命は勝ったはずです。だからこそ,まさに私が勝ったという名前を,その子供に付けたのでした。そして天照大御神は,「物實(ものざね)」が自分のものだと言って,男女を交換してしまいます。


手弱女を生んだかどうかは誓約とはまったく関係がない

 ところが速須佐之男命は,誓約の最後の締めくくりとして,とんでもないことを言います。「我が心清く明し。故,我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば,自ら我勝ちぬ」と。

 ちょっと待ってくれ。

 速須佐之男命の身の証は,男の子を生めばそれでたったはずです。結果的に3女神の父とされるのは,例によって天照大御神が,「物實」が自分のものだからという屁理屈で,男女を交換してしまったからにすぎません。その交換は,誓約とはまったく別の,正当性の契機を導き出すための創作でした。

 であるのに,速須佐之男命は,手弱女,すなわち女神を生んだから勝ったというのです。国を奪うような猛々しい心がなかったからこそ,「手弱女を得つ」という論理なのです。すなわち古事記ライターは,正当性の契機のための男女交換という点が理解できず,「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」という名前の意味をろくすっぽ考えもせず,結局女の子の父となったという点だけをとらえて,物語全体を,根本的にひっくり返してしまったのです。男の子を生めば身の証がたつという,誓約の条件さえもひっくり返してしまったのです。

 ここには,明らかにリライトの跡があります。それも,出来損ないのリライトです。


古事記ライターは物實の意味がわからないので誓約を改悪してしまった

 念のため,もう1回,整理して説明しておきましょう。

 日本書紀第6段本文の内容はこうでした。@誓約による潔白証明の場面。A物根による正当性の契機作出の場面。

 ここで「物根」は,誓約にはまったく関係ありません。「物根」に基づいた子供の交換によって,結局のところ素戔鳴尊が3女神の父親になったことは,誓約の結果とは何ら関係がないのです。とにかく素戔鳴尊は,男の子を産んで潔白を証明するのです。すると天照大神が,物根を理由に,生んだ子供を交換してしまうのです。その交換により,素戔鳴尊の子孫が高天原に残されます。それが新たなる出雲の支配者になります。これが正当性の契機なのです。つまり,物根云々の叙述は,侵略の正統性の契機にかかわっているだけです。誓約はあくまでも素戔鳴尊の行為によって男神を生んだ点で決まっています。それが,日本書紀第6段本文の叙述です。極めて明快です。

 古事記ライターは,これがまったくわかっていません。わからないまま,@とAとを混同しています。私には,その当惑した気持ちが手に取るようにわかります。
 「物實」による男女の子供の交換の意味を理解していないので,@速須佐之男命が5男神を生んだのに,A交換により結局3女神の親になってしまった,Bいったいこれはどうしたことだ,速須佐之男命は勝ったのか負けたのか(と,現代の学者が陥っている疑問をもってしまった),C結局3女神の親になったのだから,最初の前提は,女の子を生めば速須佐之男命が勝つという条件だったのだろう(と,物語をひっくり返してしまい),Cとりあえず「手弱女」を生んだから,「異心」がないということなのだろう,Dそう記しておこう,と考えたに違いありません。

 その古事記ライターの苦心は,「我が心清く明し。故,我が生める子は手弱女(たおやめ)を得つ。これによりて言(もう)さば,自ら我勝ちぬ」という叙述に表れています。か弱い女の子を生むくらいだから高天原を奪おうとする心なんかないよ,という,極めて常識的で人間臭い判断が,つい,顔を出してしまいました。
 しかし,か弱い女の子を生む生まないということでは,もはや誓約ではありません。単に,男の子か女の子かというだけのはずです。女の子を生んだのなら,なぜ男の子に,まさに私が勝ったなどという名前を付けたの?。ほら,説明してみなさい。

 わけがわからなくなった古事記ライターが,誓約の意味さえ改悪して,凡庸な常識で決着を付けようとしたのが,この一文です。

 それが証拠に,日本書紀第6段は,本文も第1ないし第3の一書もすべて,素戔鳴尊が男神を生みます。女神を生んだから勝ちなどという伝承はありません。すべて,天照大神が女神を生みます。瓊(たま)から生んだか剣から生んだかの違いはありますが,素戔鳴尊が男神を生んでいる点では,ぶれがありません。「我が生める子は手弱女を得つ。これによりて言さば,自ら我勝ちぬ」。すなわち,女の子を生むくらいだから猛々しい心はないのさ,という,神話を知らない凡人の解釈は,どの伝承を探してもありません。

 わかってない奴が,余計なことをやったものです。


誓約自体も改悪してしまった

 くどいようですが,古事記ライターは,誓約の意味自体も曖昧にしてしまいました。

 子が生まれた後の天照大御神の主張によって,速須佐之男命が生んだのが男か女か左右されるのでは,誓約にならないじゃないですか。速須佐之男命が自分で潔白を証明したことにならないじゃないですか。天照大御神の考え次第で左右できるのであれば,そんなものは誓約ではありません。初めからそんなことをやる意味がありません。速須佐之男命が勝つか負けるかは,男の子を生む,これだけで決まるし,決まっているのです。

 しかも,武力に秀でた猛々しい男神ではなく,「手弱女」だったから,という主観的判断を持ち込んではいけません。誓約は,単純に男か女か,土器や瓢が浮くか沈むか,という客観的条件だけで占うものです。

 本当に,古来の伝承を食い散らかして,わけがわからなくしてしまいました。後世の私たちからすれば,たまったものじゃありません。
 このような人は,日本神話の意味がわからなくなった,はるか後代の人ではないでしょうか。とても,日本書紀成立と同時代の人だとは思えません。

 学者さんは,ここでは誓約の経過が問題なのではなく,その結果速須佐之男命が勝ったと宣言する点に意味があるだけである,という意味のことを言っています。私には,さっぱりわけがわかりません。古事記ライターの弁護をしているだけの,提灯持ち的解釈では,誰も何もわからないし,古事記が嫌いになるだけです。ダメなものはダメとはっきり言うべきです。


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