第23 古事記はどうなっているか |
古事記ライターは修理固成の命令のつもりでリライトした 日本書紀第8段第6の一書の叙述には,それなりの合理性があることがわかりました。本来の伝承は,出雲と大己貴神の偉大さを伝える@,Aだけでした。そこに,出雲を貶めるBが付け加えられたのです。これに対し,時系列に従ってB,@,Aの順に整理されている古事記は,悪意のソフィスティケイトなのでした。 一度でいいですから,叙述をよく読んでみて下さい。少名毘古那神がいると報告を受けた神産巣日神は,「汝(いまし)葦原色許男命と兄弟(あにおと)となりて,その国を作り堅めよ(かためよ)」と命令します。大己貴神は「汝」,すなわち「おまえ」呼ばわりです。 そんなことよりも,古事記での国作りは,神産巣日神の命令で行われるのです。第6の一書では,国を作った少彦名命が,じつは神産巣日神の子だったという打ち明け話にすぎませんでした。@とAの最後に,ちらっとこうした話をちらつかせる嫌らしさで終わっていました。 ここには,素朴な伝承をそのまま伝えるという態度は見られません。賛否はともあれ,古事記ライターの一貫した主張で作り替えられているのです。 しかしその態度は,笑うべきと言うほかありません。神産巣日神の命令で葦原中国を作ったのであれば,その後に国譲りという名の侵略や天孫降臨をする必要はありません。葦原中国は,当初から,天つ神が支配する世界なのですから。古事記ライターは,こんなにも単純なことに思い及ぶ人ではありませんでした。 私は,こんな駄話を信用しません。
もうひとつ言っておきましょう。私は,「兄弟(あにおと)となりて,その国を作り堅めよ(かためよ)」という道徳観念に笑ってしまうのです。日本書紀の神話には,意外にも,こうした臭さはありません。神武紀以下時代を降ってくると,中国の文献をもとにして美辞麗句を並べた部分に,こうした儒教精神がぷんぷんと臭ってはきます。皇位を兄と弟で譲り合った顕宗紀の叙述なども,はっきり言って臭いです。 しかし,日本書紀の本来の神話の部分(神武紀以前)では,儒教精神は希薄です。むしろそこには,外来の,変に凝り固まったあれやこれやの精神論とは無縁の,澄み切った素朴ささえあると言えましょう。儒教精神による脚色は,かなり新しい人の賢(さか)しらです。日本書紀の神話こそが,日本古来の精神を伝えているのではないでしょうか。
古事記もまた,海からやって来る神の話を掲載しています。しかし,大国主神の幸魂奇魂であると名乗る部分を省略しているので,大国主神とはまったく別の神だと考えるほかありません。古事記ライターは,大国主神とはまったく別の神が海からやって来て,自分を大和の御諸山にいつき祭れと要求したという話にしています。その結果,大国主神がその正体不明の神を大和の御諸山に祭ったという話になっており,わけがわからなくなってしまっています。 古事記ライターは,幸魂奇魂の意味がわからなかったのです。きちんとわかっていれば,こんな改悪はしません。日本書紀第8段第6の一書を読んで,理解できる人であれば,何も迷うことはありません。第6の一書と古事記の叙述は,おおむね同じではありますが,その本質はまったく異なります。自らの和魂奇魂が要求したのか,まったく別の神が要求したのか。読者の立場からすれば,まったく異なる解釈を迫られます。 古事記ライターは,能力がない駄ライターだったのでしょうか。それとも,神代の世界が永遠の昔になった時代の人だったのでしょうか。
さてここで,少名毘古那神との国作り神話自体の,構成上の大問題を振り返っておきましょう。岩波版古事記(倉野憲司校注)によれば,出雲の速須佐之男命の物語の後,以下のとおりの物語が展開されます。 @ 稲羽の素兎 @からEまでは,大国主神の王朝物語でした。そしてGのあとに,いよいよ国譲りという名の侵略が始まるのでした。すなわち古事記ライターは,速須佐之男命が出雲の国の基礎を作り,その子孫である大国主神が葦原中国を平定して王朝を築き上げ,そのうえで天つ神たちが国譲りという名の侵略を始めるのだという展開をしているのです。 そうした大きな流れをつかんでください。侵略されるべき葦原中国王朝ともいうべきものは,@からEで完結しています。Fの部分は,一度完結した王朝物語の蒸し返しであり,明らかに,構成上浮いています。Gも,古事記の物語のどこから続いているのか,わけがわからないという問題があります。 大国主神が少名毘古那神と一緒に国を作ったというお話は,じつは,古事記の構成上,本流ではないのです。何らかの理由により,全体の流れを無視してねじ込まれているのです。日本書紀では異伝扱いでした(第8段第6の一書)。
しつこいようですが,もう一度復習しておきましょう。 少名毘古那神との国作りエピソードの冒頭を読んでみてください。「故(かれ),大国主神,出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐す時」と始まっています。「故」とは,それまでの叙述のどこを受けているのでしょうか。さっぱりわかりません。直前にあるのは,大国主神の神裔の羅列です。話がつながっていません。 古事記は,速須佐之男命が出雲の須賀の宮を作り,「宮の首」を任命してその宮に「坐しき」というところで,その神裔の話に移っていきます。そこで大国主神が登場し,その異名,「大穴牟遲神」,「葦原色許男神」,「八千矛神」,「宇都志国玉神」が羅列されたうえで,稲羽の素兎等のお伽噺が展開され,その異名の由縁が語られます。それは,若き日の英雄大国主神が,通過儀礼を経て真の英雄になり,根国の速須佐之男命のすべてを奪って逃走し,速須佐之男命から荒々しい祝福を受けて葦原中国を平定したという物語でした。高志の沼河比賣への夜這いや正妻須世理毘賣の嫉妬の話が,歌物語として展開され,最後は,大国主神の神裔が語られて完結するのでした。 大国主神は,八十神を征伐して「始めて国を作りたまひき」と言われた神なのです。古事記ライターは,日本書紀編纂者とは異なり,神武天皇ではなく大国主神こそを,最初の建国者だと考えています。だからこそ,出雲神話を冷遇する日本書紀とは異なり,大国主神の王朝物語をお伽噺を交えて展開したのでした。 ですから,いまさらFとGを挿入する必要はないはずです。お話しはEで完結しているのですから,国譲りという名の侵略に入っていけばよいはずです。
その理由を考えるには,これに続いて突っ込まれている大年神の神裔を検討する必要があります。 大年神の神裔もまた,「故(かれ),その大年神」として始まっています。古事記を数回読んだ人でも,なぜここで大年神が「故,その」で導き出されるのか,まったくわかりません。 本来ならば,速須佐之男命による出雲国作りに続けて突っ込んでおけばよかったエピソードです。岩波文庫版では,13ページも後戻りしなければなりません。 これもまた,構成上,完璧な誤りです。 従来からこれは指摘されていて,その唐突さから,大年神の系譜は虚偽であり,その中に述べられている日枝神社や松尾大社の神を何とか位置づけようとした作為の産物であるとの学説さえあります。
だとしたら,少名毘古那神との国作りのエピソードも,同様に,作為の産物と言うべきだとなるはずです。両者共に,「故」と始まっているのに,それ以前のどの叙述を受けているのか,さっぱりわからないのですから。叙述全体を実質的に検討しても,この叙述がこの位置に納まる理由がありません。構成上,完璧に破綻しています。その一方を作為だ虚偽だというならば,少名毘古那神との国作りも虚偽ということになります。
私は,偉大なる出雲を貶めようとした,古代の人々の悪意を立証しました。日本書紀第8段第6の一書の悪意。それを本文に採用しなかった日本書紀編纂者の見識。その悪意を,論理矛盾を意に介することなく平気でソフィスティケイトした古事記ライター。 今は,そうした古事記ライターがどれほどの人だったかを考えてみましょう。 大国主神が出雲にいたとき,少名毘古那神がやってきました。少名毘古那神は,「天の羅摩船(かがみぶね)」すなわちガガイモの実でできた舟に乗って登場します。当然小さいのです。衣服も特異です。しかし,誰もその名前を知りません。タニクク,すなわちひきがえるは,「崩彦(ぐえひこ)」が知っていると言います。「崩彦」は案山子(かかし)です。その「崩彦」は,神産巣日神の子少名毘古那神だと言います。そしてこの「崩彦」は,「今者(いま)に山田のそほど」というのです。今にいう山田の案山子(かかし)だというのです。この神は,足は動かないが天の下のことをすべて知っている神だといいます。 一見して明らかなとおり,単なる童話,お伽噺のたぐいにすぎません。これは決して神話ではありません。山田のかかしは何でも知っているんだよ。昔は崩彦といったんだよ。だから,少名毘古那神をも知っていたんだよ。こういうのを,駄話というのです。 こんなお話しを平然と展開する古事記を,日本書紀の神話と同等に扱ってよいものでしょうか。これはこれで,民俗学の研究対象として峻別すべきではないでしょうか。私は,そうした疑問をもってしまうのです。
古事記ライターは絶好調です。 何でも知っている「崩彦」は,少名毘古那神は神産巣日神の子なんだよと言った。そこで大国主神は,「故(かれ)ここに神産巣日の御祖命(みおやのみこと)に白し上げたまへば」となった。神産巣日神は,「こは実に我が子ぞ」と答えた。 念のために申し上げますが,国譲りという名の侵略の前の話なのです。大国主神は,まだ天つ神に降伏していません。なのになぜ,大国主神がへりくだっているのですか。なぜ,神産巣日神を「御祖命(みおやのみこと)」として,「白し上げたまへば」となるのですか。 私にはさっぱりわかりません。わからないどころか,読んでいて腹が立ちます。こんな出鱈目を許していてよいのだろうか。今までなぜ誰もこんな出鱈目を指摘しなかったのか。古事記伝を著した本居宣長は,何を読んでいたのか。本当に古事記を読んでいたのか。この部分を読むだけで,古事記は駄作だと判断できます。こんな書物が我が日本民族永遠の古典だなんて,信じられません。 神産巣日神は,高御産巣日神と共に高天原にいる神です。学者さんたちに,造化の3神と呼ばれて,あがめ奉られている神です。古事記冒頭に堂々と登場する神です。その天つ神と,「道速振る(ちはやぶる)荒振る国つ神等(ども)」がたくさんいる葦原中国との対立を描くのが,古事記の世界だったのではないですか。だからこそ,高貴な天つ神たちが,国譲りという名の侵略を始めたのではないですか。大国主神が国を譲ったからこそ,天孫降臨となったのではないですか。 国譲りという名の侵略さえもないのに,大国主神が「故ここに神産巣日の御祖命に白し上げたまへば」とは何事でしょうか。ライターの風上にもおけません。 古事記ライターの頭の中は,国譲りという名の侵略も何も,すべてがトンデいます。何があっても高天原が支配しているという,構成を無視した思い込みがあるだけです。
神産巣日神の命令は,「故,汝(いまし)葦原色許男命と兄弟となりて,その国を作り堅(かた)めよ」というものでした。 少名毘古那神は神産巣日神の子であり,天つ神です。これに対し葦原色許男命は大国主神であり,国つ神です。国つ神は,高御産巣日神と天照大御神によって,「道速振る(ちはやぶる)荒振る国つ神等(ども)」と呼ばれる,敵対した神です。だからこそ,国譲りという名の侵略が始まるのです。 兄弟となって国を作り固めよなんて,笑っちゃう。だったら何で侵略するの。 兄弟となって国を作ったのならば,もはやそこを侵略する必要がありません。葦原中国は,初めから天つ神のものです。それとも,天つ神の子供の少名毘古那神が常世国に去って,国つ神の大国主神が支配者になったから侵略するのですか。よくわかりません。 神産巣日神は,別天つ神5神のうち最初に成った3神です。古事記冒頭に登場する最高神中の最高神です。だから,国譲りという名の侵略の場面で,十拳劔(とつかのつるぎ)を地面に突き立てて武力で侵略するのは,神産巣日神に対する反逆じゃなかろうか。国譲りという名の侵略を命令した高御産巣日神と神産巣日神は,喧嘩になっちゃったのでしょうか。内ゲバでしょうか。また,葦原中国は初めから国つ神大国主神と天つ神少名毘古那神が兄弟として共同して作った国ですから,そこに天孫降臨する必要もないのではないでしょうか。
へりくだって報告申し上げた大国主神。それに対する神産巣日神の返答は,以下のとおりです。「故,汝(いまし)葦原色許男命と兄弟となりて,その国を作り堅(かた)めよ」。 大国主神の別名は,「葦原色許男神」だったはずです。大国主神をいつき祭る人々は,「神」としてあがめ奉っていたのでしょう。ところがここでは,「葦原色許男命」となっています。叙述の都合で「神」を「命」に貶めてしまう節操のなさ。一度「葦原色許男神」として登場させたものを,「葦原色許男命」としてしまう節操のなさ。これは,「伊邪那美命」が神世七代の場面での叙述では「伊邪那美神」,修理固成の命令を受ける所では,「伊邪那美命」,火の神迦具土神(かぐつちのかみ)を生んだところでは「伊邪那美神」と,呼び名が転々とすることでも指摘しました。要するに,古事記ライターが偉いと考えている神の前では,「神」も「命」になるのです。 また,古事記本文冒頭を読み直してみてください。神産巣日神は,高御産巣日神らと共に,獨神となって隠れてしまったはずでした。隠れた神がなぜ堂々と登場するのでしょうか。これでは,隠れた意味がないではありませんか。いったいいかなる意味で隠れるという言葉を遣っているのでしょうか。
すでに述べましたが,伊邪那岐命と伊邪那美命に対する「修理固成」の命令に次ぐ「その國を作り堅めよ」との命令が発せられ,「大穴牟遲神と少名毘古那と…この國を作り堅めたまひき」とされている点も,まったくおかしいのです。 天つ神が伊邪那岐命と伊邪那美命に発した,いわゆる「修理固成」の命令は,自然的存在としての国土作りの命令でした。さらにその次に問題となるのは,その国土の上に作られるべき人間社会,すなわち社会的組織としての国の生成となるはずです。古事記ライターは,それがわかっていますから,出雲の速須佐之男命の国の基礎作りを描き,さらに続けて,大国主神の王朝物語を展開しました。 しかし,大国主神の王朝物語では,少名毘古那神は登場しませんでした。大国主神一人で,生太刀と生弓矢で八十神を征伐して,「始めて国を作りたまひき」となったのです。 大国主神の王朝物語と,大国主神が少名毘古那神と一緒に国作りをしたという伝承と,どちらが本物なのでしょうか。何度も述べるとおり,王朝物語として完結したあとに少名毘古那神のエピソードがぶち込まれていることからすれば,古事記ライター自身もまた,少名毘古那神との国作りのエピソードに疑問を呈しているのです。古事記をまとめるにあたって,古事記ライターが信じたのは,大国主神が「始めて国を作りたまひき」に至る,一連の物語でしょう。しかし,日本書紀第8段第6の一書に見える,少名毘古那神のエピソードを無視できなかったのです。あっさりと捨てる勇気がなかったのです。
そうした構成上の問題は,もうよしましょう。神話伝承だからそれくらいのことはあるサ,と言う人もいるでしょうから。いっそのこと近視眼的になって,内容自体を吟味してみましょう。 「二柱の~,相並ばして,この國を作り堅めたまひき。然(さ)て後は,その少名毘古那~は,常世國に度(わた)りましき。………ここに大國主~,愁ひて,告(の)りたまひしく,「吾(あれ)獨りして何(いか)にかよくこの國を得(え)作らむ。孰(いず)れの~と吾(あれ)と能(よ)くこの國を相作らむや。」とのりたまひき。」 これをよーく熟読玩味してください。 参考までに,日本書紀第8段第6の一書を復習しておきましょう。少彦名命は,「或は成せる所も有り。或は成らざるところも有り。」と言って,常世国に行くのです。社会的組織としての国作りの途中でいなくなるのです。だからこそ,「自後(これよりのち),国の中に未だ成らざる所をば,大己貴~,独(ひとり)能(よ)く巡り造る。遂に出雲国に到りて,」となるのです。そして,大己貴神は,「今此の国を理むるは(おさむるは),唯し吾一身(われひとり)のみなり。其れ吾と共に天の下を理む(おさむ)べき者,蓋し有りや」という独白をします。 古事記がいかに出鱈目か。 大国主神と少名毘古那神は,一緒に苦労して,国作りを完成させたのです。少名毘古那神は,国が完成してからいなくなったのです。ですから,「吾(あれ)獨りして何(いか)にかよくこの國を得(え)作らむ。孰(いず)れの~と吾(あれ)と能(よ)くこの國を相作らむや。」と慨嘆するというのは,明らかに間違っています。 学者さんがどう言い繕おうとも,間違いは間違いです。古事記の駄本度ここに極まれり。古事記は,トンデモ本である。 私は,日本書紀第8段第6の一書を生半可に聞きかじった痕跡だと断言します。このいい加減さ。身体が震えるくらいだ。腹がたちませんか。
それだけではありません。第6の一書が描いた,三輪山鎮座の前提としての英雄の慨嘆が,内容カスカスの,しかも間違った叙述になっているのです。 ここには英雄の慨嘆がありません。少彦名命がいなくなり,大己貴神は,一人で征服戦争をやり遂げました。これからは政治の時代なのに,一緒に政治をする人がいません。どうしようか。これが英雄の慨嘆でした。ところが古事記では,社会的組織としての国作りを一緒にする人がいないので不安だという,平面的な愚痴になっています。しかもそれが,少名毘古那神との国作り完成後のこととして語られているのですから,なんと言ってよいやら,評価しようがありません。 その後,得体の知れない神が,「海を光(てら)して」やって来ます。その神は,自分を大和の御諸山にいつき祭れば,おまえと共に国を作り成すであろうと言います。 大国主神の王朝物語を完結させたのに,古事記ライターはなぜこうしたお話しを,構成を無視してぶち込んだのでしょうか。 大国主神の偉大さは,当時としても認めざるを得なかったのでしょう。具体的には,出雲の大国主神や速須佐之男命をいつき祭る人々,その子孫であると主張する偉大な人々が,まだまだ幅をきかせていたのでしょう。しかし時代は変わりつつありました。出雲神話の偉大さは認めつつも,大和を中心に書き換える必要性がありました。 ここには,明らかに,大和中心主義者の思想が見て取れます。大国主神は一地方神であり,国作りは,三輪山に祭られている正体不明の神がいたからこそ成ったというのです。その神の正体さえ,古事記ライターは隠してしまいます。大国主神(大己貴神)の幸魂奇魂は無視したかったのでしょう。 偉大なる大国主神(大己貴神)は,明らかに貶められています。第6の一書では,葦原中国を支配した大己貴神自身が三輪山へ行って鎮座し,政治を行ったとされていました。偉大なる出雲神話が,悪意の付け足しはあっても(Bの部分),ストレートに述べられていました。 きちんとした神話伝承が,ぼんやりとしたものに書き換えられていく過程がここにあります。きちんと掃除をしても,いずれ散らかっていきます。順序立てた筋の通ったお話は,リライトするたびに内容が拡散し,曖昧になっていきます。その逆はありえません。これを,エントロピー増大の法則という人もいます。小学生の出来の悪い読書感想文,書物のあらすじをなぞっただけの感想文に,こうしたのがよくあります。 この逆はあり得ません。他の神がやって来て倭に行くよう誘ったというお話を,それは実は自分の幸魂奇魂だったという解釈を加え,物語を書き換える作業は,なかなかできるものではありません。
ここまで考えてくると,少名毘古那神が常世国に行く理由もわかります。 日本書紀第8段第6の一書では,国作りの途中で失踪します。古事記では,国作り完成後に失踪します。いずれにせよ,失踪せずに最後までいてもらっては困るのです。少名毘古那神が大国主神と共に葦原中国を統治していると,そこに高御産巣日神の命令で建御雷神らが武力侵略することになってしまいますから,大矛盾をきたすのです。高天原の神々の内ゲバになってしまいます。その後の天孫降臨も,天つ神の国つ神に対する支配ではなくなってしまいます。 失踪の理由は,じつはこれだけなのです。神話伝承というものは,人口に膾炙するものですから,それなりに筋を通そうと努力するのでしょう。 どこへ失踪するのでしょうか。片づけられ,祓われた者が行くのが根の堅州国でした。しかし少名毘古那神は,祓われた厄介者ではありません。しかも,古事記によれば神産巣日神の子という由緒正しい血筋があります。そして何よりも,前述したとおり朝鮮出身の神であり,海からやってきた神なのでしょう。 だから,海の遙か彼方の常住不変の世界,常世国へ戻っていくしかないのです。
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