第25 国譲りという名の侵略を考える前提問題

 

鈍感な人たちがいまだに国譲りと言う

 さてさて,やっと,国譲りという名の侵略です。実際には,天菩比神(あめのほひのかみ),天若日子(あめわかひこ)が役立たずだったので,建御雷神らを派遣して侵略となるのですが,私は,その全体を,国譲りという名の侵略といいます。

 ところで,一般には「国譲り」という文言が使われています。しかし誤りです。私は,「国譲りという名の侵略」という言葉を使います。その,叙述と文言にあまりにも鈍感な精神が許せないからです。さらに,時代精神にも鈍感だからです。さらに,そうした鈍感さは,世の中に害毒をまき散らすからです。

 古事記にも日本書紀にも,「国譲り」という文言はありませんし,そんなお話など,どこにも書いてありません。

 日本書紀を見てみましょう。そのころ葦原中国は,「多に(さわに)蛍火(ほたるび)の光く(かがやく)神,及び蠅声なす(さばえなす)邪しき神(あしきかみ)あり。復(また)草木咸に(ことごとくに)能く(よく)言語有り(ものいうことあり)」。すなわち葦原中国は,蛍火が輝くような多くの神がおり,蠅のように小うるさい邪神がたくさんおり,草木さえもものを言って人を脅かすような国だったのです。
 そこで高皇産霊尊は,「八十諸神(やそもろかみたち)を召し集へて」,「吾(われ),葦原中国の邪しき(あしき)鬼を撥ひ(はらい)平け(むけ)しめむと欲ふ(おもう)」と述べ,誰を派遣したらよかろうかと問うたのです。

 まるで,鬼ヶ島の鬼退治ですね。未開の地に対する軍事的侵略。キリスト教の看板を掲げたヨーロッパの植民地主義みたい。人類共通のお約束の構図。人間ふぜいがやることは,1000年たっても同じなんですね。

 古事記を見ましょう。天菩比神の次に派遣される天若日子は,天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天之波波矢(あめのははや)という武器を携行します。次の建御雷神(たけみかづちのかみ)は,武神であり雷神です。この神は,大国主神に対して,十拳劔(とつかのつるぎ)を逆さまに立て,胡座をかいて,「汝がうしはける葦原中国は,我が御子の知らす国と言依(ことよ)さしたまひき。故,汝が心は奈何(いか)に。」と問いかけます。お前が治めている葦原中国はわが皇子が治める国との命令があったが,お前はどうするんだ,なんていう意味です。内容は,日本書紀も同じようなもんです。

 恫喝そのものですね。現代なら強盗か恐喝か。もっと大きなことを言えば,一方的な宣戦布告です。イラク戦争前夜のアメリカの態度と同じです。

 逆らった建御名方神(たけみなかたのかみ)は,腕をへし折られ,諏訪湖まで逃げていき,生涯そこから出ないと,誓わねばなりませんでした。「恐し(かしこし)。我をな殺したまひそ。」というのが,彼の命乞いです。建御雷神は,高天原に帰り,葦原中国を「言向け和平(やわ)しつる状」を「復奏」したのでした。将軍の凱旋と申せましょう。


学者さんたちはイケナイ

 ところが学者さんたちは,「大国主神の国譲り」という見出しを勝手に作って,改めようとしません(倉野憲司校注・古事記・岩波書店。その他多数。最近では,山口佳紀及び神野志隆光校注・古事記・小学館・新編日本古典文学全集)。
 そして,武力に訴えずに話し合いでことを解決しようとしたのだ,という注釈さえつけ加えます(倉野憲司・古事記・岩波書店)。この人たちは,いったい何を読んでいるのでしょうか。わけがわからないどころか,この人たちの頭の中にある,暗黙の前提さえ考えてしまいます。

 と言うのも,こうした見出しが,読者の便宜になるどころか,日本神話を混乱させているからです。
 「国譲り」という言葉は,太っ腹だがお人好しで従順な大国主神が,あえて戦うことなく国土を禅譲したというお伽噺を想起させます。それは,稲羽の素兎の話などとあいまって,時の権力者に都合のよい人物を「大人(たいじん)」として描く儒教的精神,あるいは戦前の貧困な精神を想起させます。儒教的精神や戦前の貧困な精神が悪いと言っているのではありません。それがテキストを読む眼を曇らせ,頭を鈍くしてしまうのがイケナイと言っているのです。私はパスです。

 しかし,かといって,突然,「国譲り」という言葉を完全放棄することもできません。読者一般との話が通じなくなりますから。妥協案としては,「国譲りという名の侵略」というのが一番いいでしょう。


日本神話を体系的に考える

 用語の問題の次は,体系的思考の問題です。

 日本書紀や古事記の神話のハイライトは,国譲りという名の侵略と天孫降臨です。これ以前の叙述は,準備にすぎないと言ってもいいくらいです。そしてここから,現代の天皇に至る正統性の系譜が始まります。その意味で,日本神話の焦点なのです。
 私は,その叙述の体系を,何度か解明してきました。ただ,私の体系的理解は一般の理解と異なっており,一般の人々の頭に入っていかないと思われるので,くどいようですが,もう一度復習しておきます。

 国生みと神生みにより,舞台装置が提示されました。日本書紀と違い,古事記の場合は,神の国の国生みなのでした。地理的存在としての国土が生まれたあと,次々に神が生まれてくる。人間はまったく無視されます。古事記ライターが考える国土とは,何よりもまず,神々が住む国なのでした。だからこそ,君たちの周りには,これこのとおり,こうした由縁で神々がいるんだよ,という説明を始めるのです。
 そして,その最後の最後に,天照大御神や速須佐之男命らの,一番貴い神が生まれてくるのでした。それは,禊ぎという極めて人間くさい行為,人間が神の前で行う行為から生まれてくるのでした。

 次に,誓約により生まれた神が速須佐之男命の子であり天孫の父になるというからくりを用意し,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う「正統性の契機」を用意しました。ただ,古事記ライターは,日本書紀が残したこの場面の意味を理解できず,ライターとしては恥ずかしい,はちゃめちゃな叙述しかできませんでした。
 さらに,五穀と養蚕の文化に反逆する速須佐之男命を描くことにより,国譲りという名の侵略と天孫降臨を行う口実を用意しました。天の石屋の話は,その過程に出てくるエピソードにすぎなかったのです。主人公は天照大御神ではなく,速須佐之男命だったのです。日本書紀ではそのことが鮮明ですが,天照大「御」神とする古事記ライターの筆にかかると,ちょっとぼんやりしてしまいます。

 速須佐之男命は,高天原から降って,出雲国の基礎を作りました。これは,いわゆる国生みではありません。自然的存在としての国土,神の国の国土は,伊邪那岐命と伊邪那美命によって,すでに用意されています。速須佐之男命が,初めて,人間社会としての国作りをするのです。人間社会を初めて作ったのは,一般の人が信じているような大和の人々ではなく,出雲の人々だったからです。

 速須佐之男命の子孫の大国主神は,大八洲国を平定し,「始めて国を作りたまひき」と称揚されました。ここに,単なる地方の都市国家ではない,文字どおり天の下でした。大和まで含めた天の下,すなわち葦原中国でした。こうして,人間社会としての国ができました。だからこそ,大国主神の王朝物語が展開されます。少名毘古那神との国作り,大年神の神裔という,編集上,雑に詰め込んだなとすぐわかるお話しはありますが,そのあとに,国譲りという名の侵略が始まります。

 こうして,@支配の正統性,A支配の口実,B支配される現実の国,が用意され,国譲りという名の侵略になだれ込んでいきます。

 日本書紀と異なり,古事記は,ぼんやりしています。矛盾がいっぱいあり,しかも誓約の意味がわかっていないなど叙述自体がちゃらんぽらんなため,日本書紀をしっかり理解しなければ,上記した単純な構造が把握できません。
 それは,伝承が古いという問題ではなく,ライターの能力の違いにすぎません。
 矛盾があってよくわからないから古事記の方が古いなどと,わけのわからないことを言ってはいけません。


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